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髙 瑞貴さん(ダンサー・振付家)

髙 瑞貴(たか みずき)。東京を拠点に活動するダンサー、振付家。
⼭室⼩学校(富山市)、⽚⼭学園中学校・⾼等学校(富山市)卒業(第一期生)。お茶の⽔⼥⼦⼤学舞踊・表現⾏動学コース修⼠過程修了。
ウェブサイト https://www.mizukitaka.com/


■富⼭の思い出

⽗の転勤による引っ越しで、幼少期は静岡県や岐⾩県で育ちました。富⼭に来たのは⼩学校 1 年⽣ですが、⾼校卒業まで暮らしたこの⼟地は、私にとって正真正銘の「ふるさと」です。

両親が子どもは富⼭で育つのが良いと考え、⼀度は転勤を断ったとか。
踊ることが好きだった私をみかねて、⺟が初めてダンス教室に通わせてくれたのも富⼭です。ファンクというストリートダンスが、とにかく楽しかったことを覚えています。その後、⼈⽣の中で決定的な出来事に逢います。それが、NY から来⽇公演を⾏った La MaMa の舞台でした。キャストは全員外国⼈、演出は La MaMa の創設者であり今は亡きエレン・スチュワートさん。⼦役として地元の⼦供が4⼈選ばれ参加したのです。
オーバードホールの舞台上のみを使って、出演者・演奏者と観客が混在し、古代ギリシャ語の怒号、裸体、叫び声にも似た悲痛な歌声などが⾶び交う観覧年齢制限ありのその舞台は、私が初めて「舞台芸術」に触れた体験でした。この公演は、⽇本の中でも富⼭でしか上演されていません。そんな舞台というものにすっかり魅了されてしまった私は、その後ミュージカルにも出演します。ここでもたくさんの出会いと豊かな時間を過ごして、本当に⼼から表現を楽しみました。

調⼦にのって芸能事務所にも所属し、オーディションを受けるために東京と富⼭を⾏ったり来たりしたことも。1 ⼈寝台列⾞に乗って雪の降る富⼭に帰るときは、⼦供ながらにほっとしたのを覚えています。
⼩学校⾼学年にはモダンバレエを習い始め、中学・⾼校で勉学が忙しくなってからも富⼭を離れるまで、家族や先⽣の⽀えがあって続けることができました。モダンバレエは、富⼭は特に盛んだということを、後に上京して知ることになります。

中学・⾼校は、先輩も後輩もいない、校舎もまだ完全に建っていない⼭の中でスタート。有志を集めてダンス部を創部したり、地元で流れる学校の CM に出演したり、海外研修で私だけこっそり本場のミュージカルに連れて⾏ってもらったり(今では⽣徒全員で観に⾏くようです)、⽂字通り⻘春を謳歌しました。

この頃、富⼭を舞台とした映画にも出演させていただきました。
何ヵ⽉間か、そこで出会った⼈たちや経験も、⾃分という世界を広げてもらった⼤切な思い出です。

3.11の瞬間、ちょうど⼤学の⼊学⾦を振り込んでいました。翌⽇、出演した映画の宣伝のため地元富山のラジオの収録へ⾏き、悲惨な新聞記事が⼤々的に張り出されているブースで、「このような状況ですが、いつも通り明るく話しましょう」となって。これからこの富⼭を離れて何が待っているのか、どれだけ安⼼で恵まれた環境で今まで⽣きてこられたのか、そんなことを考えたのが最後の思い出です。

東京へ来てから、東京でしか経験できないことにたくさん触れ、表現することを続け、今も挑戦しています。

その中で改めて思うのは、「ふるさと」があることの強さです。
肌に馴染んでいる湿度、⼈や⾔葉、味、景⾊。初めてデートした映画館や河川敷も、地元でしか楽しめないお祭りも、毎⽇⾒ていた⽥園や⽴⼭連峰も、どこか優しく⼒強い⼟台となって、⾃分という⼈間が⽀えられていると思っています。
上京と共に実家も引っ越し、もう富⼭に帰る家はありません。そのせいもあってか、私の「ふるさと」には格別な想いがあります。

■これから

現在、私は「作品」を創作しています。
ダンサーとして踊るだけではなく、舞台作品を創ることに挑んでいます。2022年は、⾃⾝の創作作品を初めて海外で上演することができました。今、次なるステージへ向かっているところです。

いつか富⼭で公演をしたいと思っています。
利賀村のような富⼭にしかない素敵な劇場空間もありますし、富⼭県美術館もまだ⾏ったことがないので興味があります。この⾵⼟の中で、どんな企画がいいのか、考えるだけでワクワクしています。でもその時は、⽴⼭に負けないくらいのスケールがある作品を持っていかないと、というプレッシャーもありますけどね。また帰りたいです。

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