こいつ、30代で脳梗塞だってよ。(救急搬送編)

T_Miyabi⚙

7月某日、脳梗塞で病院に運ばれた。

結論から言うと、迅速に処置を受けられたことで命の危険まで至ることはなかったが、右腕右脚に若干の麻痺が残り、記事執筆時点でリハビリ中となっている。

なお本件について、僕は両親や職場、友人から多大な助力を頂いているため、同じ境遇の人にとっては読んでも慰みにならないものかもしれない。
あくまで個人的な主観による報告、体験記だ。

その日、始めは二日酔いか何かだと思った。
午後一の会議が終わったあたりから徐々に悪化し、午後16時ごろ、強烈なめまいと共に激しく嘔吐。
目の焦点が合わなくなり、まっすぐ歩けなくなっているのを自覚した。
これはまずいと思いスマホを取り出した時点で、視線が右下を向いたまま動かせないことに気付き、119番を決断。
両親に連絡した後、救急へと自分で電話した。

幸いコロナの再流行直前だったので、救急はすぐに来てくれた。
ストレッチャーで救急車に乗せられ、名前と年齢、今日の日付を問われた。まだ意識はクリアだったので正しく答えることができ緊急連絡先も正確に伝えることができた。
行き先にはすぐに着いた。名前だけは知っていた、近場の総合病院だ。まさかこういう形で立ち入ることになるとは思わなかったが。

CTとMRIにかけられた後、じきに当直医がやってきて、検査結果から異常が見られないこと、翌朝に専門医の目で改めて診てもらうことを告げられた。
異常がないはずはないと思ったが、自分がここで何か言う気力はなかったし、いずれ専門医に見てもらえるのであればこれ以上言うことはなかった。
その後、事務員から入院にあたり必要な幾つかの書類を渡されてサインをした。これ以降、自分の右手は今に至るまで役目を果たしていない。

続きはまた明日。
救急も当直医も引き上げ、自分は救急棟のベッドで一晩過ごすこととなった。
夜21時を回り院内の照明が落とされた頃から、状況は加速して悪化していった。
ずっと続いていた回転性のめまいは一段と酷くなり、寝ているのにベッドから転げ落ちそうにすら感じられた。
呼吸が荒くなり、不快な汗が止まらない。きっと高熱が出ていたのだろう。
そして気がつけば、手の指と足首から先が痺れ、自分の意思で動かせなくなっていた。

ついに来た。そう思った。
そういうことが起きることは知っていたが、実際に経験してみると、それは正座したときの痺れを数段酷くしたような感覚に近く、いやに覚えのある感覚だった。その場所はどれだけ力を込めようと、全く動かないということを除いては。
最早なるようにしかならないと割り切り、数時間前とは比べ物にならないほど重くなった身体を引き起こした。まだ足を左右に振ることは出来たので、その場にいた看護師が、足を振り子にして身体を起こすことを教えてくれた。

とにかく喉が乾いていた。
必要な水分は点滴を通じて得られていたが、コップ一杯の水を看護師に所望した。すぐに差し出されたその水を、自分の喉は異物として激しく拒絶した。
痛むほど咳込んだ喉を抑えながら、新たに加わった不自由を認識して目を見開いて愕然とした。そして、諦めをもう一つ増やして机を額で打った。

今年の始めに亡くなった実家の愛犬も、最期は水も飲めなくなり、口の端を湿らせてあげることしかできなかった。
自分も同じように死ぬんだろうか。だとしたら、天国じゃなくてお前のいるところに行きたいなと思った。

時計を見たかったが、めまいと視線の固定、そして暗闇で視界はほぼゼロだった。あとどれだけ待てばいいのだろう。看護師に時間を問うと、まだ日付すら変わっていなかった。
手首足首、肘と膝、上腕と太腿。少しずつ少しずつ動かなくなっていくのを感じながら、夜が明けるのをじっと待っていた。
紛れもなく、人生で一番長い夜だった。

もしこの手足がずっと戻らなかったら、今後どのように生活するのだろうか。
今の自宅に戻ることは難しいだろう。実家に帰る?
とんでもない! 親に自分の介助などさせられない。
ではどうする? 引っ越し? そんな金は残るのだろうか。
仕事はどうなる? そもそも続けられるのだろうか。
何ヶ月休めるのだろう。復帰できたとして、同じ業務には戻れないのではないか。ようやくもらえた幾つかの原稿仕事もこれでポシャってしまう。
この手ではゲームもできないし、この足ではどこにも出かけられない。今までの友人と同じように付き合うことは、間違いなく不可能だ。

今振り返ればいくつかの解決法はあるであろう疑問と不安が、雪崩のように押し寄せた。ひとつひとつ冷静に答えを出していくには、この瞬間の自分はあまりにも孤独だった。

今まで積み上げてきたささやかなキャリアも、ようやくまとまってきた貯金も、恵まれた友人関係も、音を立てて崩れていき、そこには何も無かった。
あったのは、動かない手足を引きずる自分と、この先30年、40年生き続けてしまうという長い長い時間だけ。

血の巡りが止まった頭の中で、開けてはいけない扉が、ほんの少しだけ音を立てた。
致命的な社会的落伍とでも呼ぶべきその扉は、幼い頃から両親の尽力、学校教育、友人の助けや己の挑戦によって固く閉じられてきた未来、世界、不安の種だ。
己を憐れむ涙も出ず、扉の外に垣間見える「これから起こるであろう未来」を前に、ただただ思考を停止してうずくまることしかできなかった。

―――

もし最初の検査のタイミングで脳梗塞を判断できていたら、執筆時点での状況はもう少し良かったかもしれない。

ただこればかりはたらればを書いても詮無いことだ。自分は考えうる最速の判断で救急を呼んだし、当直の先生もベストを尽くして判断してくれた筈だ。
そもそも専門医がいなければ具体的な対処は難しかったのだろう。

―――

ともあれ、困惑と絶望の12時間が明けた。

憔悴しきり、されど眠りに落ちることもできない朦朧とした頭で、身体がふたたびストレッチャーで運ばれていくのがわかった。
改めてMRIを撮られ、外来と同じ診察室へ回された。いくつかの問診の後、瞳をライトで照らされ「左を見てください!」と複数回言われたが、僕の眼球はぶるぶると震えるばかりで少しも動かなかった。

かくして診察はおわり、自分はまた別の病室へ運ばれた。どうやら4人部屋の一角のようだった。ここで当分は過ごすのだろう。
状況が動き出したという希望でわずかに気力を取り戻した自分は、最低限の状況報告を職場に送り、社会人としての勤めをはたした。
やることはやりきった。あとは周りがどうにかしてくれるはずだ。そう思って、ようやく少しばかりの意識を手放すことに成功した。

しばらくして、病室のカーテンを開ける影で目を覚ました。その格幅の良い白衣の男性は耳鼻咽喉科と神経内科を兼ねていることを名乗り、2回目の検査で脳梗塞が見つかったことを告げた。
すぐにお薬を落としますから。医師は必要十分な情報を伝えると、すぐに出ていった。
あまり時間を置くことなく、若い看護師がやってきて液体の入った袋を点滴台に吊り下げ、見慣れない機械を取り付けていった。

ようやく事態が改善する。
全てが二重に映って曖昧になった視界に、透明なチューブが朝の光を弾いてきらきらと瞬いた。その朝日も見えない無明から、僕は手首へと垂らされた蜘蛛の糸を掴んだ。



急性期病院編へ続く。

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