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子供の世界

流行り物を持てなかった私だが、小学校高学年にもなると、同級生にバカにされないように強がり始めた。母からの強制ではなく、自らの意思で流行り物を「持たない」という演技をするようになっていた。子供っぽいものは嫌いなの、とか言って誤魔化したり、母に強制的に持たされているものだって、自分が選んで買ってもらったかのようなフリをした。小6にもなれば親に反抗し始めるころだと思う。親に隠れて、これ買った!とか、親のお金を盗んで、あれ買った!とか言っている子供たちもいる中で、お母さんの言うことを真面目に聞いて、お母さんに従っているなんてバレたら絶対にバカにされるのだ。全ては自己防衛のため。私は自分を大きく見せるような類いの嘘はつかなかったが、自分の気持ちに嘘をつき、その場を誤魔化し取り繕うようなことばかりしている子供だった。

子供の好きは母の大嫌い。何でもかんでも禁止する母。でも、皮肉なことに、大人から見た母のセンスは決して悪くはなかった。前回触れたプールバッグも、サンダルも、お裁縫箱も、そして母が私に作る洋服も全てが、大人目線で見ればセンスの良い物だった。母が仕立てる洋服は縫製が良いだけではなく、デザインも洗練されていたし、海外の友達が送ってきてくれた布地などを使って作ったりすることもあった。大人たちからは本当によく褒められた。というか、母が褒められるのだ。「お子さんにいつも素敵なお洋服を着せてらっしゃる!」と。母は、「ほらね?やっぱりお母さんが正しい」と鼻高々だった。母が“正しい”と周りも言っている。やはり自分が”おかしい”と思わざるをえなかった。

でも、子供には子供の世界がある。大人の目からしたらどんなにダサくても、その時にしか味わえないカッコ良さがある。流行り物をいち早く身につける子供たちは常に人気者で自己肯定感が高く、キラキラしているのだ。そしてその流行りを真似する子たちにも、みんなと同じ!という子供の世界での居場所が提供されるのだ。うちの母はいつだってそれをくだらないと言った。「あなた本当に馬鹿ね、そんなくだらない子供たちの輪に入りたいなんて」と。私は子供だったのだ。子供が子供の輪に入りたいと思うことはそんなにくだらなくて馬鹿なことなのか?

もちろん、金銭的な事情から流行りものを一切買ってもらえない子供たちも学校にいた。彼らからすれば、私はとても恵まれた家の子供に違いなかった。毎日同じ服を着ているクラスメイトや、貧乏だとか父親がいないとかいう理由で虐められている子供たちを見るのが辛かった。クラスの弱者を嘲笑う、子供の残酷な世界に対する憤りがあった。結局、私には家庭にも学校にも、心地よいと思えるような居場所は無かった。


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