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『りぼん』の思い出

テレビも音楽も、お祭りも駄菓子も大嫌いだった私の母は、漫画、ファミコン、キャラクターグッズなども当然の如く嫌っていた。子供の大好きは、うちの母の大嫌いと言うことだ。

私が小学校3年生の時、クラスの女子のほとんどが『りぼん』や『なかよし』という漫画雑誌を買い始めた。クラスでは、りぼん派となかよし派に分かれてグループができて、私の友達は皆りぼんを読んでいた。休み時間は、漫画や付録の話題で持ちきりだった。なんでもかんでも禁止されていた当時の私は、少女漫画がどういうものなのか、そもそも漫画の読み方すら知らない子供だった。だから、初めの頃はみんなの話を聞きながら、ただニコニコしていたのだが、そのうち自分がまるで空気のような存在になっていくのを感じた。私は確かにみんなの横に座っているのに、だれも自分に向けて話していない。悲しくなった。皆の輪の中に入って、私も一緒に話したいと思った。

でも、そのためには『りぼん』を買ってもらえるように、母にお願いしなければならない。母にどうお願いするか、悩んではお腹が痛くなり、胸が苦しくなった。どんなに下手に出ても、まずは怒られ、否定され、非難され、一日中不機嫌を撒き散らされるのが容易に想像できるからだ。しかも買ってもらえる可能性は限りなく低い。でもお願いしなければ私が漫画を買ってもらえることは一生なく、そのうち学校での居場所を無くすリスクもある。

私は悩みに悩んだ末、母にお願いすることにした。予想通り怒られた。それでも数ヶ月、怒られ続けながら交渉して、やっと買っても良いと言うことになった。母が敬意を払っていたあるご家庭が、娘さんに毎月『りぼん』を買っていたことが、最終的なきっかけだった。「あのお家が読んでいるなら仕方がない」みたいな。いつものことだ。母は、自分が好きな人がやっていることは取り入れても良いけど、自分が嫌っている人たちのやっていることは絶対に許さない。ちなみに多くの人を嫌っているので、多くのことを許さないのだ。

こうして、私もついに『りぼん』を手に入れた。最初は読み方がわからなくて苦戦した。それでも皆と同じ付録を持ち、皆の話す漫画とその登場人物の名前が一致した時、とても嬉しかった。一方で、母は喜ぶ私のことを、全く快く思っていなかった。「うちはね、こんな雑誌を買うような家じゃないのよ!」とか「こんなもの読んでたら馬鹿な大人になる!」とか、私が心底嫌な気持ちになるような言葉を、しつこくしつこく言い続ける人だった。

毎月の発売日が近づくと、私はまた憂鬱だった。買っても良いことになったといっても、毎月必ず買ってもらえる保証はどこにも無いのだ。全ては母の機嫌次第。私が、少しでも母の気に入らないことをしでかしたら、その月は買ってもらえなかった。

とある月、私はどうしても欲しい付録があったのだが、理不尽に怒られて買うことを禁止された。私はこの時の事を、今でも恨んでいる。当時あまりにも傷ついたし、今思い出しても辛くなるので詳しくは割愛するが、私が学校でしたある些細な行動が母を怒らせたのだった。でもその私の行動は、むしろ正しい行動だったことが後日判明したのだ。それなのに、母は全ての非は私にあって、自分は絶対に正しいと言い張り、一生懸命説明しようとする私を更に叱り、私の味方をしてくれた先生の事までも信用できないと馬鹿にしたのだ。

あまりにも悔しくて、涙も出なかった。でもその後、その事を思い出すたびに、1人で何度も泣いた。買ってもらえなかった『りぼん』や欲しかった付録なんてどうでもよかった。私はただ、「お母さんが間違ってたね、ごめんね」と言って欲しかった。

これが私と『りぼん』の思い出だ。私は「懐かしの〇〇!」とか、「80年代に流行った〇〇!」みたいな普通の人なら懐かしむようなテレビ番組に、何一つ心を動かされない。そこに映るのは、どれも私が禁止されていたものばかりだ。これでよく遊んだとか、集めてた、とか友達とよく食べたとか、そんな思い出は、私にはない。そして今回の『りぼん』のように、許された数少ないアイテムだって、結局はこうした苦い記憶とばかりとリンクするのだ。

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