週休3日制を阻む慣習
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週休3日制を阻む慣習

私たちの生活リズムをつかさどる週休2日というルール。これを見直そうとする動きは度々取り上げられるものの、なかなか実現まではこぎつけられません。それもそのはず、働く時間と対価の結びつきは意外と強く、収入を減らすことなく週休3日制を叶えようとすれば、それぞれの業界に根付く慣習を見直していく必要があると思うのです。

 週休3日制が現実味を帯びてきた。アイスランドは2度目の実証実験を終えて、ポジティブな結果を公表している。労働生産性の向上を前提に、賃金を減らすことなく、労働時間を40時間から35時間に削減できたという。働く時間が短くなれば幸せを感じる人も多い。もう少し身近なところで言えば、日本マイクロソフトが2019年8月の毎週金曜日を休業日としたことが記憶に新しい。当時、お付き合いのあった社員の方が、申し訳なさそうに話されていたことを思い出す。結果、同社の92.1%の社員が週休3日を前向きに評価した。毎週末が3連休、そんな夢のような社会が本当に訪れるのだろうか。

 日本に週休2日制を定着させたのは松下幸之助氏とされている。氏の率いるパナソニック(当時、松下電器産業)は1965年、土曜日を社員が学びに当てる日として休業日にした。その後、1980年頃から他社も追従し、官公庁にまで広がったのは1992年のこと。週休2日でさえ、わずか30、40年前に出来上がった枠組みなのだ。子どもの頃、当然のように土曜日も学校に通っていたことを思い出す。そして、この起源をさらに遡ると、米フォード・モーターに辿り着く。1日の労働時間を8時間と定めたことで有名な同社は、1926年に世界で初めて週休2日制を導入した。科学的管理法を用いた大量生産によって今の資本主義の型を作ったフォーディズムが、こんなところにまで根を張り巡らせている。

 それはもはや製造業に限らず、あらゆる業界に適用されている。最も新しい産業であるはずのIT業界も例外では無く、ここではむしろコスト管理や価格設定のプロセスに積極的に使われている。つまり情報システムは、時間単価いくらの人が、何人、何時間働けば完成するのか、という積み上げによって製造コストを見積もることが一般的だ。人件費以外の原材料コストが極めて小さいIT産業において、これはそのままITシステムの販売価格に結びつけられる。このロジックにおいて、本来、時間単価に反映されるべき個々のエンジニアの能力差は、単に仕事の早さに置き換えられる可能性が高い。例えば、素晴らしく使いやすい画面一つを8時間で作れる人よりも、ありきたりな画面を一つ1時間で作れる人の方が生産性が高く、高額な時間単価が設定される可能性が高い。DXの叫ばれる時代に創造性なんて二の次なのだ。システム開発の現場において、開発者を単なる労働力とみなすことの問題点を指摘して話題となった歴史的名著『人月の神話』は1975年に出版されている。

 週休3日制が適用されれば、概ね160時間(=8時間×20日)とされる今の月あたりの稼働時間は128時間(=8時間×16日)まで削減される。作るべきシステムの規模が変わらなければ販売価格も変わらず、単純に完成するまでの工期が延びることになるのだから、必然的にエンジニアのための毎月の投入コストは20%低減される。よって、彼ら彼女らの月給は休みが増えた分だけ下がらざるを得ないのだ。そんなことを望んでいる人は多くない。アイスランドや日本マイクロソフトの試みは、給与所得が減らないことを前提としていたけれど、これを実現するためには、業界全体で大きなパラダイムシフトが欠かせないだろう。

 人類学者・松村圭一郎氏が他の学者や作家との対話を通じてまとめられた『働くことの人類学』(黒鳥社)において、丸山淳子氏はアフリカの狩猟採集民であるブッシュマンが賃金労働の提供される社会環境においても狩猟採集をやめず、ダブルワークを続ける現状を説いた。彼ら彼女らにとって国が提供する公共事業は安定した賃金が得られる一方、誰かの指図に従う労働役務に他ならない。自らの意思で動ける狩猟活動のみで暮らしていけるのであれば、それに越したことはないそうだ。古く、狩猟採集のみで暮らす人々の1日の労働時間は3、4時間だったと言われているのだから、分からないでもない。朝から晩まで、8時間も誰かに強いられる仕事は悲しい。

 日々、ITビジネスの中で人月工数単価のしがらみから逃れられない私は、自らの意思を尊重するために平日週5日勤務の外側で自由に文章を書きはじめた。そこで出会ったのが「1文字いくら」の世界だ。ここでは何時間をかけて執筆したのかではなく、何文字を記したのかが問われる。読み手が求めるのは無駄に長い文章ではなく、中身のある文章だと明白であるにもかかわらず、ベテランのライターですら自分が何文字書いたのかを訴求しがちな業界に、IT業界と同じような課題を感じるのだ。文字数を価値とみなす文化において、無数な駄文が生み出される可能性は避けられない。

 これをITの世界に置き換えると、プログラムソースを「1行いくら」と見積もることになるわけで、実際にこのような指標が扱われることもある。洗練されたプログラムはすっきりと短くまとめられるはずにもかかわらず、である。一方で人が1時間で書くことのできるプログラム行数やテキスト文字数はある程度決まっているのだから、結局のところ、彼ら彼女らの報酬は一定の時間給に落ち着くことになってしまうのだ。フォードが完成させた資本主義の枠組みの中で、私たちは、働いた時間と収入とのリンクを断ち切ることができない。

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 本来、アウトプットは受益者が享受する便益に基づき、その価値が定義される。しかし多くの効果が定量化できない社会において、提供者が受け取るべき対価はどうしてもアウトプットのために費やした時間で測られてしまう。それはつまり、働く時間を減らして生活を続けることの難しさを物語っている。誰もが資本家やアーティストになることはできないのだから、やはり一部の先進企業が目先の利益を犠牲にしてでも週休3日制を導入することを待つしかないのかもしれない。それを促すために私たちは、それぞれの業界の「当たり前」に意義を申し立てていく必要があると思うのだ。

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会社員|セキュリティコンサルタント|プロジェクトマネージャー。NECを退職後、日々、ITシステムの構想と実装に勤しんでいます。写真も撮ります。著書『さよならセキュリティ』も宜しくお願いいたします。CISSP、PMP、中小企業診断士。