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ポップコーンは買わない。vol.103

ドライブ・マイ・カー

実は初めてかな、映画化されることを知らずに事前に原作を読んでいたのは。

ドライブ・マイ・カーというタイトルから村上春樹みを感じる。

イメージとしてやはり出てくるのはビートルズの同名楽曲だ。

かといって本作と直接的に関係があるかと言われれば、ない。

本作を通じて印象的だったのは、一回聴いただけでは理解できない量のセリフたち。

「文学的」という表現が正しいかどうかはさておき、あんなセリフまわしは現実で喋る人なんてまずいないだろうなという印象。寓話っぽさも感じる。

でも3時間近くの大作、どこかダラっとしてしまうのかと思いきや、無駄のない丁寧な物語づくりが見えた。

この間ミッドサマーのディレクターズカット版を配信で観た。劇場公開版に20分ほど追加された内容だったが、制作の方々はまだまだ追加し足りないんじゃないかと思った。

ミッドサマー以外でも映画を観ていて、え?なんでこうなった?という場面がたまに見受けられる。そういったところを見ると編集の都合が見えてくるように思える。

映画は興行的な理由から2時間そこそこで収めないとだらっとする

ことがあるらしくて、どうしてもカットしなくてはいけないところが出てくる。スタッフもなくなくカットしてしまうような場面があるのだと思う。

そんな風潮の中でも3時間の作品を作るって中身に相当自信がないとできないことだと思うわけで。

そう思うと本作が海外で脚本賞やらなんやらいろいろ受賞したニュースには納得できた。

さて、冒頭に事前に原作を読んでいたという話をしたが、

「女のいない男たち」というタイトルの短編集のひとつとしてあったのが「ドライブ・マイ・カー」だった。

初めに聞いた時に上映時間が3時間あると聞いて、正直驚いた。なぜなら、明らかに3時間も時間が持つようなボリュームじゃないと思ったからだ。

でも、原作では直接描かれていない部分も映画では表現されていたため、その点を考えると無理に伸ばしているという印象よりも必要だったから3時間になったんだという印象だった。


見たくないもの、考えたくないこと、知りたくないけど知らなくてはならない、向き合わなければならないこと。逃げずに向き合うためには、わかり合うためには、言葉に出して伝え、相手の言葉を聴かなくてはならない。心を研ぎ澄ませれば、手話で語る韓国人女優イ・ユナ(パク・ユリム)の声さえも、聴こえたような気がした。
『ばんばひろふみ!ラジオDEしょー!』、「おたかのシネマdeトーク」より

本作を象徴するテーマとしてうまくまとまっていると感じたので引用させていただいた。

見たくないし考えたくもないことに対して言葉に出して相手の言葉を聴くなんて苦痛すぎてできたもんじゃないと私は思う。

私も家族内での関係で向き合いたくないことに対してことごとく逃げて過ごしてきている。物理的に逃げることができないから、なるべく避けたいという気持ちにかられ、なかなか向き合うことができていないことがある。

だからか、物事がうまく回らなくなることが多々ある。

このままではいけないと思っていながらも、自分だけの責任ではないからこそ人のせいにしたくなるし、その責任から逃れたいという気持ちが強い。

色々含めて上記の言葉を強く僕の心に突き刺さった。

主人公の家福の喪失、ドライバーの渡利の過去のつらい経験を2人の交流を通じて互いに再生していく様子が丁寧に描かれていく。

抱える悩みや不安に向き合うことは止まっていた時を進める一歩になることを教えてもらったように感じたし、人に対しても耳を傾けられるようにしたいと思うよな。


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