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リスクを取る人、取らない人。どちらにも、それぞれの「役割」がある。

『築地本願寺新報』で連載中のエッセイストの酒井順子さんの「あっち、こっち、どっち?」。毎号、酒井さんが二つの異なる言葉を取り上げて紹介していきます。今回のテーマは「国内」と「国際」です(本記事は2022年3月に築地本願寺新報に掲載されたものを再掲載しています)。

  仲の良い女友達が、転勤でヨーロッパへと旅立っていきました。コロナ時代の今ですから、手続き等でも大変なことがたくさんあったようですが、それらも乗り越えて、無事に着任。夫は日本に置いての単身赴任なので、久しぶりの単身生活を堪能しているようです。

 彼女は、留学などで何度かの海外生活を経験している国際派です。対して私はというと、海外居住経験は無く、それどころか生まれ育った東京以外には住んだことがないという国内派。そんな2人が仲が良いというのも不思議な話ですが、彼女と一緒にいると、国際派と国内派の性格的違いが、如実に見えてくるのでした。

 国際派の彼女は、一口で言うならば、リスクを取ることが平気なタイプ。これまでの人生においても、恋愛であれ仕事であれ、様々なことにチャレンジし、大失敗することもあれば、大成功することもありました。

 対して国内派の私は、リスクを恐れて生活するタイプ。小失敗と小成功を繰り返しつつ人生を歩んできたのであり、元金割れの危険性がある金融商品などには、一切手を出しません。当然、どんな危険が潜んでいるかわからない海外に住むというストレスフルなことをしたいとは思わなかったのです。

 しかし考えてみれば、新しい文化は往々にして、リスクを取ることを厭わない人によって生まれるのでした。毒があるかもしれないというのに、カタツムリだのウニだのを食べてみようと思った人によって、人類の食文化は豊かになっていった。同じように、「海の向こうには、もっと世界がひろがっているのではないか」と思う人達が勇気を出して旅立ったことによって、新たな世界は広がっていったのでしょう。

 その昔、新大陸を目指してイギリスを旅立った人々の中には、途中で命を落としてしまった人もいれば、新大陸で大成功を収めた人もいます。アメリカとは、そのような「リスクを取る人たちが作った国」なのだと思うと、あの国の人々が持つ個性も、何となく納得できるもの。そして幕末の日本でも、伊藤博文達は密航してまでも海外へ渡って、進んだ文化を吸収しようとしたのでしたっけ。

 国際派という言葉の響きは格好よいものですが、実は国際派の人達は尋常ではない勇気を持っている、野性的な人々と言ってもいいのかもしれません。海外転勤した私の友人にしても、既に若くはないわけで、日本において残りの会社員生活を平穏に過ごすという選択も可能だったのです。しかし彼女は、今から海外に住んだら、残りの会社員生活がもっと面白いことになりそう、という道に賭けて旅立ちました。

 その賭けの結果がどう出るかは、まだわかりません。が、リスク嫌いで国内派の私は、自分にはできないことをしている彼女のことが、何だか羨ましいのです。

 国際派と国内派の違いは、後天的なものではなく、元々の気質の違いのような気がします。外へ外へと向かわずにはいられない人もいれば、同じ場所に居続けることが苦痛ではない人もいて、両者はそれぞれの場所で、それぞれの役割を果たしているのではないか。

 そんなわけで、海外で頑張る友人にエールを送りつつ、日本で頑張っている私。そんな私でも、海外旅行をするくらいの勇気は持っているので、コロナ明けにはすぐ、彼女のところに遊びに行きたいものだと思っています。
 
酒井 順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト。1966 年東京生まれ。大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。2003 年に刊行した『負け犬の遠吠え』がべストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。近著に『鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む』(KADOKAWA) など。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。
 

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