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22.7.2 今ある壁は自分の成長のためにある

こんばんは、多部栄次です。
ぼちぼち日記やっていきましょう

朝、炎天下の中(とはいっても気温34度程度だったけど)、15km走りました。近いうち駅伝大会に参加するので、全部のコースを把握しようと走ったんですが、迷子になったこともあり想定より長く走っちゃいました。帽子も水もない中、山道も上り下りしたので、よく生還したなと思います。

午後は研究室で作業しつつ、ちょっとしたセミナーというか研究発表にオンライン参加しましたね。MIについて軽くではありますが学びました。昨日の講演もMIだったので、徐々にどんなものか掴めてきている感はしますね。ごめんなさい嘘です全然わかりません。新しく取り入れたい分野なのにくっそわかりません。どうしましょ。そんな日でしたね。

あと病気に関してですが(話題が転々としちゃう系男子)、服薬中で回復しかけているとはいえ、鬱病完治してない状態で論文書いたり研究したり、後輩の研究指導したり留学生の生活・研究のサポートしたりするのよく考えたら結構ハードなことしてるんじゃないかと自分を褒めたくなる僕です。
ただ急に病んで何もかも嫌になり、後輩との予定は(事前に連絡するとはいえ)後ろ回しにすることはあるので今の僕は大層嫌なドクターなんだろうなと考えたりしています。

あ、そういえば最近、ノートで日記書くようにしたんですよ。朝起きてすぐに手書きでなんかつらつらと書く感じで。これも続けてみないとどういう効果があるのかわかりませんが、寝る前に日記付けるのはこっちにして(とはいえ毎日更新できませんけども)、朝は手書きの日記を書けたらなと思います。何日続くかな。

さて、ようやく本題に入りますが、
Twitterを見ていると論文アクセプトされたという投稿を多く見かけ、また後輩も論文が通ったという話を聞き、胃を痛めています。自分は自分と割り切らないと命がいくつあっても足りない業界ですね(違)

IFも論文数も気にせず、自分自身の成長のつもりで論文を書き、採択し、博士論文を書くことが大事だと教授より教わりました。プロジェクトも学生に責任はないから、進捗がどうあれ自分を責めなくてもいいとお言葉をいただき、本当にありがたく思いました。同時申し訳なさが一層強まりましたが。

自分の成長のために博士課程を修了しよう。博士論文がすべてじゃない。
学位を取ったところからスタートラインだから、博士課程での業績が人生を左右するわけではないんですよね(アカデミックに残り、教授職を目指すなら多かれ少なかれ左右されますが)。それに単位満了の道もあるので、学位取れない自分は人間失格とまで責めると、傷つけるのは自分だけにとどまらなくなります。

自分を責めることは間接的に人も責めてしまいます。逆に自分を許し、愛することができれば他者にも同じように接することができると僕は考えます。

いまはこうして慈愛の男エージになってるのに、寝る前になると途端にメンヘラエージになるので人の心というのは忙しないものですね(他人事)

それではおやすみなさい。明日も良い一日を。

(今からひとりで焼き肉食べに行ってきます。ひゃっほう)

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