22.5.11 アートを楽しむふたつの見方

こんばんは、多部栄次です。
ぼちぼち日記やっていきましょう。

毎日投稿できなくなったのでぼちぼち日記にかわりました。ごめんね。
いやでも半年近くもよく毎日続けられたと思いますよ!三日坊主の僕がですよ? とまぁ自画自賛はここまでにしておいて、本題に入ります。

趣味の範疇で美術館をぶらぶらすることあるのですが、GW中もそれは例外なく、今回は石川県の21世紀美術館にいきました。ただ時間が足りなかったので3つの展覧会の内、ひとつしか行けなかったのですが。それでも満足でした。ただ一気に見ようとしてまとめてチケット買ったので、数百円分損しちゃいました。いやぁ閉館時間とは異なるんだなと。

いや博士課程のくせにそんな暇ねーだろと怒られそうですね。GW遊んでんじゃねぇぞと。

ごもっともです。

ただ、今の自分にはこの時間も必要なんだということもまた確かなので、これが自分の学びになることはもちろん、うつ病の事情もあって無理しないスタンスでやっていく(いずれ無理するしな…)こともご理解いただけますと幸いです(開き直り)。いや誰に対して言ってんだろ。

さて、タイトルはですね「ムン・キョンウォン&チョン・ジュンホ:どこにもない場所のこと」を観に行きました。現代韓国を代表するアーティストデュオということを鑑賞したあとに知り、驚いてはいますが芸術は彫刻や絵に限らない(そりゃそうだろ)ことを身をもって知ったきっかけとなったと思います。

映像作品なんですね。詳細は言っていいのかわからないので割愛しますが、表面だけ見ると「?」しか出ないことが多いです。一見すると難解だと言った方が良いでしょうか。ただ、それに真摯に向き合ってどういうことを伝えたいのか、何を表現しているのかを考えてみると見えてくる面白さがありますね。

あと、ほとんどがいつはじまっていつ終わるのかわからない、いわばループしている解釈ができる作品がありました。これが何を意味するのか、正解はないでしょうが、少なくとも私は終わりがないこと、いつの間にかその世界観に呑みこまれていくことを示してそうだなと思いました。いや知らんけども。

あとは現代と未来を芸術や創作物が繋いでいることを示しているものが多かった印象です。それを踏まえて、今何を残せるのかという気持ちにもなれましたし、作者の意図とは裏腹に違う意味で伝わることもあるんだなと。ただ歴史や人を繋ぐのは言葉だけじゃないと感じました。

いやぁなんといいますか、混沌や虚飾された世界の中に見える規則性や美しさというものがあると感じました。その美しさというものは一見すると小汚く見えますが、その本質や含まれる意味を考えて見つめ直すと、美しく思えるようになるんですよね。何言ってんだ。

そういうことも踏まえて、アートに触れるのは本当に楽しいですね。
正解はなく、自分で解釈して、それが二次的な作品となることのおもしろさよ。そこに言葉や解説は必要ない。人間だからこそ、ただの物的情報や色彩、動きだけで感情や抽象の面を味わえるんだと思います。

なんかよくわかんないことばっか言ってすいません。要は楽しかったです(笑)

タイトルについて触れてなかったですね。
アートには二つの見方があるのかなと思ってまして、ひとつは直感的にどう感じ取れたか、もうひとつはそこにどんなストーリーがあるかを考えるか。

表面を見るか、内部を見るか、ですね。そこは材料化学も同じだなぁと思います。どっちも同じ芸術(材料)ですが、見える世界は核(Core)と表面(Shell)で異なりますから。材料に関しては表面の方が本質的で、かつ悪魔的ではありますが。

それではおやすみなさい。明日も良い一日を。

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