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本が還る場所|掌編小説

 ――へぇ、田舎にしては立派な図書館だな。

 引っ越しの荷物を一通り片付け、車で街を散策していると、やたらと立派な建物が目に付き、何だと思ったら図書館だった。自動ドアから館内に入り、ふらふらと歩く。明るい照明、整然と並べられた本、来館者を圧迫しない本棚の高さ。本棚と本棚の間も広く取られている。

 ――これはいい。

 本屋が1軒も見当たらず、この町の文化レベルを疑ったが、この図書館を見る限り、大丈夫そうだ。
 図書館には個性がある。その町の全てを表している。それなりに転勤を経験した私が自信を持って言えることだ。
 入社して3年目、初めての転勤で住んだ町の図書館はひどいものだった。図書館と言うより、図書倉庫と言った方が正しいような場所で、「こんなところで本なんか借りられるか!」と激怒した私は、わざわざ隣町の図書館に通っていたほどだ。

 東京から電車で3時間半、人口2万人ちょっとの小さな町に転勤になった。本当は後輩が行く予定だったが、「東京に彼女がいるので嫌です。行けと言うなら辞めます」と課長に退職願を出した。さすが、現代の若者はある意味で肝が据わっている。私は今まで、転勤の辞令に「NO」を突き付けた人間を見たことがない。私が若い頃にもし同じことをやったら、退職願を破られて「クビだ!」と怒鳴られたに違いない。

 気の弱い課長は「分かった分かった。他に人に行ってもらうから!」と慌てて退職願を、ご丁寧に両手で後輩に返した。今のご時世、若手に辞められるのは会社として痛手ではあるが、それ以上に課長は若手を辞めさせた責任が自分に及ぶの恐れたのだろう。そして、私に白羽の矢が立った。若い連中は転勤したくない。同じ30代後半の連中はみんな結婚している。単身赴任させるのは忍びない。独身の私が適任なのは、自分でもよく分かる。まぁ、本当は2年のところを1年にしてもらったので、いっそ気分転換のつもりでのんびりやろうと思っていた。

 図書館の一角に、「本の寄贈、ありがとうございます!」と大きく書かれたコーナーがあった。絵本や小説、学術書のようなものまである。

「たくさんありますね」

 近くにいた年配の司書さんに話しかけると、「最近は本屋さんがたくさん潰れて……喜んではいけないことなんでしょうけど」と遠慮がちに笑った。

 ――なるほど、そういうことか。

 聞いてしまったことを少し後悔した。図書館としては複雑な心境ってところか。「本屋が1軒も見当たらず、この町の文化レベルを疑った」という言葉を、そっと自分の中で取り消した。

 ふと、本棚の隅に置いてある、ひときわ古い本が目に留まり、手に取った。表紙が元々茶色なのか、「ヤケ」による色の変化なのか分からない。

「旅」 金子絹江かねこきぬえ

 発行日は1965年9月30日となっている。

 ――金子絹江……。

 私はその名前を頭の中で反芻はんすうした。

「あの! この本って……」

 後ろから突然話しかけたせいか、さっきの司書さんはビクッと肩をすぼめて振り返った。本を渡すと、司書さんは驚いた表情で言う。

「あら、こんなところにあったなんて。金子さんはこの町の出身の作家さんなんですよ」
「この人――金子さんは今どこに?」
「あの……失礼ですが――」
「私は木島きじまと言います。金子絹江は私の祖母なんです」

 司書さんは「はぁ……」と困った顔をしていた。当然だろう。見ず知らずの人がいきなり寄贈された本を持って来て、著者の孫だと言い出した。不審人物だと思われても仕方ない。

「えーと、入院してて、話ができる状態では……」
「その病院はどこに?」
「いや、それはちょっと……」

 狼狽する司書さんを見て、私は「失礼しました。つい……」と謝ってその場を離れた。改めて、題名の「旅」と「金子絹江」という名前を見つめる。

 昔、母に聞いたことがある。祖母は小説を書いていて、ある文学賞を取り、1冊だけ出版された。しかし、その1冊がいつの間にか行方不明になってしまったと……。

 ――まさか、この本が。

 私が本のページを開いた瞬間、さっきの司書さんが声をかけてきた。眉をひそめ、「あのー……」と口ごもっている。

「実は金子さん、先ほど亡くなられたそうです」

 言葉が出ない。まるで酸素不足の熱帯魚のように、ただ口をパクパクするが精一杯だった。

「病院、すぐ近くですから」

 お辞儀をして背中を向けた司書さんは、もう一度振り返り、私の手にある「旅」を見て、「本と言うのは、巡り巡って持ち主の元へ帰るって言いますけど、本当だったんですねぇ」と言い、小さく2、3度頷いた。

「還して来ます。持ち主の元へ」

 私はそう言うと、図書館をあとにした。

(了)


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