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忘却を手にして

記憶力はいいほうだった。

英単語とかは覚えられないけれど、幼少期からあのときこんなことがあった、あの人はこう言った、みたいなことはとにかくよく覚えていて。今だから言えるけど「わたしそんなこと言った? ごめん忘れちゃった」みたいなことを言う人は無責任だなといちいち憤っていた過去もある。中学生ぐらいの話。

だから、自分の記憶力を信用していた。

でもあるとき、25歳を過ぎたあたりでおかしいなと思い始める。会議で話していた結論がどうなったか思い出せないことが多発して、とにかくメモをするようになった。そうなってようやくわたしは気づいたのです。人は忘れる生き物だと。

その一方で、忘れることを覚えたわたしは随分と生きやすくなった。

今でも嫌なことはうだうだ覚えているタイプだけど、一過性の情報は流せるようになったし、いい意味で自分のことを信用しなくなった。「そんなこと言ったっけ?忘れちゃった」という人の気持ちも今なら理解できる。そして、忘れてもいいことがあるんだと思えるようになった。荷物をひとつ、下ろした感じ。

前はまわりの友達のメールアドレスくらい空で言えたのに、もう全然思い出せない。興味がなくなったのもあるし、メールアドレスという文化がなくなったのもあるけれど、たぶんわたしにはもっと大事な、覚えておくべきことがある。だから必要ないと判断した記憶は押し入れの奥にしまうように忘れる。たまに思い出すけど。わたしが優先できる記憶には限りがあるんだよ。

こうして忘れることが増えて、ゆくゆくは両手に抱えられるくらいの思い出だけが残るんだろう。今の目の前のタスクも、きっと年末にはきれいに消えて結果だけが見える。それがこれから続く今につながるのであって。


忘却を手に入れたわたしは、生きるのが楽になった。大事なことだけ覚えていればいいから。

でもわたしが大事と思うことだけは、どこかに書かずとも忘れたくないな。

読んでもらえてうれしいです!とにかくありがとうと伝えたい!