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慈悲深い経営者と 温和な労働者と 永遠の不況

「お客様は神様です」という言葉がある。
元々は昭和の演歌界の大御所、三波春夫先生の言葉として有名だが、ひどく誤解されている言葉でもある。

三波春夫のオフィシャルサイトでは

 『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払って澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。だからお客様は絶対者、神様なのです』

と説明されており、本来は三波の歌手としての姿勢を明確に表した言葉である。

ところがいつしかこの言葉は「お客様は神様だろう!」とクレーマーが店側を脅す言葉であると理解されるようになった。
先程の三波のオフィシャルサイトにも「三波本人の真意とは違う意味に捉えられたり使われたりしていることが多くございます」という一文があったが、それはまさにそういう意味である。

さて、確かに「お客様は神様だろう!」と凄む客はいるのだと思う。しかし昨今の使われ方は、主に「クレーマーに対する批判的視座を持つという印」として使われがちである。

もし、この言葉の誤った扱われ方が、本当に「店と客」として、店の側が「お客様は神様とはとんでもない!」と憤慨しているなら、話はわかる。
「昨日レジでお釣り返したら、お札の向きが逆だとか言って怒った客がいた。神様ヅラしてんじゃねぇ!」というなら、それは真っ当な怒りだろう。

しかし、この言葉は実のところ、さらに誤った意味を持ってしまった。それは「文句を言う人間は、つけあがった酷い人間である」という意味である。

こうした意味の換骨奪胎は、現在のネット文化に直結している。すなわち「何かに文句を言う人間はつけあがった酷い人間だ」とする考え方である。

労働争議やデモなどに対する「うるさい!邪魔!」という文句は、これまでなかったわけではない。

大半の日本人は、高度経済成長から続く、バブル崩壊までの安定的な成長の中で、定期的はベアは約束され、賃上げは予定調和の時代が長らく続いていた。
そうした中で、賃上げデモやストライキは必要のない「異物」としてその存在意義を忘れ去られていった。

では、バブル崩壊度の不景気の時代に、闘争という手段が大いに用いられたかといえば、全く用いられなかった。
給料が上がらなくても、仕事がなくなるよりマシということで、大半の労働者は、賃上げを主張せず、身を潜めてじっとしていた。

そうした中で、新卒として社会に出てきた「氷河期世代」が、一生を台無しにするレベルのとばっちりを食らうのだが、それはまた別の話。

いずれにせよ、

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