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灯りをともす

生きることは、ちいさな灯りをともし、それを前に進めることだ。それぞれが自分の灯りをともす。ちいさな灯りを。
灯りを前に進めようとすると、微風にゆらぐ。だから、両の手のひらでそれをそっと包み、風から守る。大切なものをそうするように、手のひらでそっと。平凡なひとりのひとのともす灯りはちいさく、それを守る手のひらもそう大きくはない。だから、速くは進めないかもしれない。大切なちいさな灯りを消してしまわないように、そっと進むのだ。
灯りは自分ひとりのものだ。誰かのと継ぎ足して大きな炎にする必要もなければ、誰かの大きな手のひらの内に入って守ってもらうこともない。ただ、自分ひとりの手に余らないちいさな灯りをともして、そっと進んで行けばよい。

誰かが亡くなり、気持ちを手向けるためにちいさな灯りをともすことがある。それは、大切な誰かを送る灯りでもあるけれど、まだ燃え続ける側から、その意志や気持ちを引き継いで生きることを表明する灯りかもしれない。
一年前8月8日、翁長雄志沖縄県知事が亡くなった。銀座数寄屋橋の街角に多くのひとが集まって、ちいさな灯りをともして送った。それは送るだけではなく、沖縄のことを、本土にいるわたしたちがわたしたちの問題として取り組むという再表明でもあった。
翁長雄志にとって数寄屋橋という場所は、ある意味特別な場所だ。2013年1月27日、沖縄の全41市町村から代表が集まり「オスプレイ配備反対」を訴えるデモ行進を東京で行い、数寄屋橋を通った。そのときにここで、排外・差別者から沖縄へ不様な言葉が投げかけられた。それは本当に酷いものだった。そして、その言葉以上に、その場に居合わせただ通り過ぎる街の無関心に絶望したと彼は語っている。その絶望は、あらたな闘いの始まりでもあったろう。

夏の夕方、まだ肌に火照りの残る時間に、ちいさな灯りをともす。道ゆくひとの多くは無関心であろうが、そこにちいさな「生きる表明」がともされている。仰いでみる空は、街の底から見える区切られた都会のわずかな空でしかない。近づいてくる夜の湿度を感じながら、長い息をひとつ吐いた一年前のことを、思い出している。

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