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【T3 STUDENT GALLERY 2022】全国13の美術大学・専門学校から選ばれた各校代表の学生作品が集結。

概要

13の美術大学・専門学校から選ばれた各校代表の学生たちが、作品を展示。これからの時代を担っていく世代たちが今、何を見つめ、どんな作品をつくっているのか、是非ご覧ください。

会期:10/1(土)~10/30(日)
会場:東京駅八重洲口グランルーフ B1階通路
参加料:無料
参加校:大阪芸術大学、京都芸術大学、女子美術大学、多摩美術大学、東京藝術大学、東京工芸大学、東京綜合写真専門学校、東京ビジュアルアーツ、日本大学芸術学部写真学科、日本写真映像専門学校、日本写真芸術専門学校、ビジュアルアーツ専門学校大阪、武蔵野美術大学 

出展作品紹介

中澤 伶宇子《変容》

中澤 伶宇子《変容》

この作品は作者自身の身体の一部を撮影対象としている。それは肉体の不確定性への問い、同時に人間が無意識のうちに課している身体性の定義からの解放を試みた行為である。
ある日、それまで撮り溜めていたセルフポートレートをハサミで切断してみた。自分の身体の一部を切り取り、解体し、バラバラになったそれらをまた組み合わせて再構築を行った。
再構築された部位はそれぞれの境界線が曖昧になり、不定形の塊へと変容した。「私」を構成するものたちが「私」以外の何かへ簡単に変容することで、身体性の定義から解放された。

中澤 伶宇子(大阪芸術大学)
2001年兵庫県生まれ。2021年一回生展(大阪芸術大学体育館ギャラリー)、2022年二回生展(大阪芸術大学体育館ギャラリー)、ZINE「KACO」vol.6参画、第32回日韓交流展(弘益大学メイン展示ホール、韓国)、第9回中国済南国際写真ビエンナーレ・アジア学生写真展「相知万里・微芒成陽」(予定)、2022年現在、大阪芸術大学写真学科在籍中。

中川 桃子《HUG》

中川 桃子《HUG》

わたしたちは日頃から大小様々なモニターに意識を張り巡らせ、肉眼からの情報量を遥かに上回る視覚データを得ている。わからないことをすぐ悪と決めつけるこの時代に、わたしは写真を利用して世界を「触診」する。コロナウイルスが猛威を振るい 3 年が経過した今、世界は新しい基準を設けて「接触」を制限してきた。その結果、わたしたちは「触れる」という行為に対して非常にナーバスになり、わたし自身もそれを避けるようになった。しかし、それでも写真を通して世界に「触れる」ことは可能であり、現実での「接触」回数と反比例するように、シャッターを押す回数は増加していった。日々、消毒液で手を濡らしながら「触れる」という行為について考える。わたしたち人間の場合、それは五感の中で最もはやく妊娠 7 週目から行われ、自己と外界の境目を認知するきっかけとなる。そうだ。忘れていたが、生きるということは「触れる」ということではなかったか。

中川 桃子(京都芸術大学)

1992 年京都生まれ。京都芸術大学美術工芸学科写真・映像コース在学中。2013年に聖母女学院短期大学生活科学科ファッションアパレルコースを卒業後、音楽活動に励む。2017 年に右足を骨折し音楽から離れ、それを転機に写真をはじめる。
最近では「アートにおける報酬系回路の刺激、そこから生まれる善循環」というテーマをもとに制作。展示歴として、「写真は変成する 2 BLeeDing eDgE on PoST pHotOgRapHy」(キュレーション:後藤繁雄+多和田有希)など。

森 美羽《Breath of silence 静寂の呼吸》

森 美羽《Breath of silence 静寂の呼吸》

死。生活。人と人との繋がり。自然との繋がり。言葉にするのではなく写真にすることで心が動くこと。悲しみの中に美しさがある。孤独であること。ひとりで生きること。人間と雨と生活。雨が降るたび、人間は自然の中に生きていることを実感する。静かな湿気の中に小さな虫たちの呼吸がきこえた。小さなものを見つめる。大きな世界で生きるために小さなものを見つめる。

森 美羽( 女子美術大学)
2001年 千葉県市川市生まれ女子美術大学 芸術学部 メディア表現領域 在学中。2020年、新型コロナウイルスの流行により自粛生活が続く中、
カメラを下げて近所の川沿いを歩くことが日課になり、フォトグラファーを志す。植物、虫、海、夕陽、雨。人間の暮らしとともにある身近な自然。
一瞬一瞬変わっていく世界で、美しい言葉を見つけるようにしてシャッターを切る。

ジョ リタン《ベランダ》

ジョ リタン《ベランダ》

日本語の場合では、〈人〉だけではなく〈間〉をつけ加えて〈人間〉と表記する、日本人が対人関係に関して抱く価値観は,<人>を理解するためにまずは<間>を認識すべきだと考えられる。私が<間>として 考えているのは、日本で公的空間と私的空間の交差点であるベランダだ。日本のベランダは道路に面し、居住者にとって半開き的なプライバシーの隙間となることから、通り過ぎる通行人は皆、意識的・無 意識的に他人のプライベート空間を侵害し、各家庭の生活ルールを読み解くことになる。ベランダへの観察を通し て、個人や家庭を単位に、生き方と単なる生活様式をこえたその単位のアイデンティティが見られるきっかけになると思う。

ジョ リタン(多摩美術大学)
Xu Lidan、中国出身、現在は日本を中心に活動をしている。決定的な瞬間を客観的な存在に置き換えて、 写 真でドラマチックな効果は軽視され、被写体を客観的に表現することに重点が置かれている。写真の力 は言 葉を交わさなくても、無言な交流が成り立つ媒介である。

辻 凪彩《LANDSCAPE》

辻 凪彩《LANDSCAPE》

⻘い空、草原が広がり、木が生えている。
鳥が飛んだ。
朝がきて夜がきて、春がきて冬がくる。
水平線を見て世界の縁を見る。

風景とは何なのでしょうか。
被写体が生きている。
時間の推移がある。
自然光によって映しだされる光景。
広大な空間が続いている。ということでしょうか。

日常的な場から切り離し、写真のフレームの中で結ばれたモノとモノの関係で風景をつくる。
スケールを変換されイメージとなったモノたちは本来の意味を痕跡として残さない。見慣れたモノを見つけた時に狂ってしまうスケールのズレは画面の中だけで成り立つ光景を映す。
こうして撮影をしていくうちに、意図的に配置されたオブジェのまわりに無意識に置かれたモノたちが、動いていく机の上の景色もまたひとつのランドスケープに思えた。
写真はつくられたものが起こすズレや隙き間をひとつのリアルとして受け止めてくれると思います。
これは写真という場での風景写真です。

星子 桃花《沖縄の光と陰に魅せられて》


星子 桃花《沖縄の光と陰に魅せられて》

沖縄を訪れると、豊かな自然や本土とは異なる独自の文化、温かい人々との出逢いに魅了させられる。しかし、大半の人々がイメージするであろう美しい観光地としての姿とは裏腹に、かつてこの地で起きた戦争や、理想と現実の差異により、時に違和感を感じざるを得ない。このような風景を沖縄以外の場所で見た時には、単なる当たり前の風景になるかもしれない。しかし、現在も様々な問題が渦巻く沖縄では、光と陰の存在を感じる場面に多く遭遇する。そして、撮影された被写体が放つ存在感は、本土にはない沖縄という地そのものが持つ力強さを露わにしている。

星子 桃花 (東京工芸大学)
2000年千葉県生まれ。地元の戦争遺跡を訪れたことをきっかけに、戦跡を撮影するようになる。2021年より沖縄の伊江島に通い、島の人の過去と現在に対する想いを聞いたことで、戦跡は目に見えるものだけではないことを実感させられる。現在も沖縄に通いながら制作を行う。

韓 笑《定風波(てい ふう は)》

韓 笑《定風波(てい ふう は)》

タイトルは中国北宋の詩人である蘇軾の代表作「定風波」を引用している。その詩は政治闘争に巻き込まれる詩人の不安定な生活を描いている。「不安定」はこの世の永遠の問題である。細胞の増殖と壊死が生物を化育し、生物の進化と絶滅が地球を発展し、惑星の誕生と壊滅が宇宙を形成する。どんなに雄大なものでも、その中に微小な粒子の動きで出来ているのである。写真も同様、ピクセルの配列と組合せがデジタル画像を構成し、銀塩の現像と定着がフィルム写真を構成する。つまり我々は様々な不安定な粒子に満ちた世界にいるということである。いわゆる将棋倒し、微小な粒子の動きは浩瀚な宇宙の変遷を決定した。今回の作品はリアルな風景写真に対する加工を通し、粒子の調和と葛藤という動きを視覚的に表現する。

韓 笑(東京綜合写真専門学校)
1996年中国西安生まれ
2021年東京綜合写真専門学校 第一学科Basic

渡邊 シンティア 美加《equal》

渡邊 シンティア 美加《equal》

物心付く前から私は二つの街、東京とパリの間で生きてきた。そして私はこれらを平等な風景として、同じ目線で見つめていた。「混血」である私は、常に半分が現地人であり、半分が異邦人だ。自分にとってはどっちらも心温まるほど地元でも無く、怖気づくほど知らない土地でも無い。帰属意識はあるが、一方へ帰る度に別の街へ行ったかのように変化している。いつも懐かしくて、どこか新しい。この感覚はどちらの街でも等しく感じている。二つの歴史と文化が混ざりあった視点が風景を切り取っていく。この作品は、常にこの「二つ」が平等に共存する視点としての自分自身だ。

渡邊 シンティア 美加(東京ビジュアルアーツ)
フランス・オー=ド=セーヌ県生まれ。日仏家庭で育ち、幼少期よりフランスと日本を行き来する。2021年より専門学校東京ビジュアルアーツ写真学科に在籍。

鎌田 三四郎 《Wild Tokyo》

鎌田 三四郎 《Wild Tokyo》

東京の街はいろいろなもので溢れていて、人々は常に高速度・高密度で生きている。私は街を歩いていると、街にいる全員が限られたごく一部のものしか見えていないのではないかと感じることがある。東京23区外の住宅地で生まれた私にとって、東京とは自身の故郷を表す言葉ではなく、遠く離れた別世界の様な気がする。私の住む東京よりもここはずっと自然が少なく閉鎖的で、少なくとも私のいる「東京」と、同じ境界線上にあるものではない。私は街中で時たま鳥を見かけると、それを強く注視してしまうことがある。私がそれらに惹かれるのは、都市の中に存在する野生であり、私の東京と異世界としての東京をつなげ合わせるものであるからかもしれない。 

鎌田 三四郎 (日本大学芸術学部写真学科)
2001年 東京都 東久留米市生まれ
2020年 日本大学芸術学部写真学科に入学、現在在学中
東久留米市で生まれ育ち、現在に至る。自身の居住する地域としての東京と、混沌とした都市である東京に境界があることを感じ、撮影をはじめる。
東京の風景と生活の間に生まれる不和に焦点を当て、都市の風景をテーマに小型カメラで作品を制作している。

岡﨑 ひなた《水面にカゲロウ》

岡﨑 ひなた《水面にカゲロウ》

私は和歌山県の小さな村で育った。現在は都市での暮らしがあるのだがかつて私の周りにあったものはなかった。都市化することにより土地が失った何かにフォーカスをあて今回の制作に至った。日本人の共通思想は八百万に命が宿る神道の思想を持ち合わせているのではないだろうか。このアニミズムが先進国における集団統治の術が宗教観から資本に大きく変化したことを
起因とし日々薄らいでいく現実がある。元来私たちは畑を耕し家畜と共に生き営みを立ててきた農耕民族であり命から多くのことを学び生きてきた。私が生まれ育ったこの土地は資本と宗教観の狭間にあるのでは無いかと考えた。これからも資本主義の台頭は止まらないだろう。しかし私たちは継承された文化を絶やしてはいけないのではないだろうか。この土地にある営みは、近い昔遠い昔現在と同様に同じことが繰り返されている。これは過去を尊重する行為であり脈々と継承された営みである。

岡崎 ひなた( 日本写真映像専門学校)
個展:2022 Les Rencontres d'Arles アルル国際写真祭 同時開催イベント ARTAOTA ARLES
グループ展:2020 KYOTOGRAPHIE SATELITE KG+2020 神島高校写真展「古道と鼓動」、2021 Unknown Asia2021
受賞:2019 第26回全国高等学校写真選手権大会 優勝、2021 T3 STUDENT PROJECT 選出、2022 1-WALL ファイナリスト選出、etc

土性 愛美 《さよならの向こう側》

土性 愛美 《さよならの向こう側》

精神的な不調に端を発した自身のからだとこころの乖離、不調和を起点に思考を拡げてきた。Controlという作品でまとめた時に、写真は日常の何気ない一瞬の光景や被写体が、自分の感情を写し出してくれる存在だと気づいた。
作品制作を通して自分を見つめ直し、こころとからだをとらえ直す試みを続けてきたけれど、かつての記憶を受け入れて解放するまでには、今も尚時間がかかっているような気がする。その痛みや苦しみは簡単に消えるものではない。そう思っていた。そんな時に訪れたことのないこの場所に私は歩み寄り、その美しい自然風景に心奪われていた。自分のこころとからだの可能性までも感じられたこの場所は、かつての記憶が美しい光、川の流れによって自然の中へ消え去っていくように感じた。さようならの向こう側に、新しい世界と光が待っている。

土性 愛美 (日本写真芸術専門学校)
土性愛美 DOSHO MANAMI 
1997年生まれ 日本写真芸術専門学校2年制写真科2年 在籍中 
 展覧会歴:
2019年 「私たち春が来る前に」自主展示 
2021年「呼吸する写真」渋谷区ふれあい植物センター/渋谷・東京
2021年 「Control」T3 STUDENT PROJECT 
2022年「さようならの向こう側」T3 STUDENT PROJECT

山本 梨央 《視えた宇宙のその先》

山本 梨央 《視えた宇宙のその先》

この作品は、食べ物で体内の細胞を表現したものです。私たちの身体は、細胞でカタチ作られている。そして細胞は、私たちが日々食べたものでできている。この制作のきっかけは、摂食障害でした。目の前に並ぶ食べ物を、ただの「食べる対象」として見ることができなくなった。まるで食べ物に飲み込まれる感覚。それがたまらなく怖く、初めは、食べたものを記録する目的で撮り始めた。すると、写真に起こす中でそのもの自体の色や形に魅せられ、また、それらが自分の一部になることが気味が悪く、でも神秘的だとも思えた。食べる、となるとコントロールが難しい。でも、カメラを通して被写体として接する時だけ、わたしは彼らをコントロールできる。そして、細胞を創り出す中で小さくも大きな宇宙がわたしには視えたのだ。これからもささやかな復讐と敬意を彼らに。

山本 梨央 (ビジュアルアーツ専門学校大阪)
1999 兵庫県生まれ。
2020 武庫川女子大学短期大学部生活造形学科卒業。
2022 現在、ビジュアルアーツ専門学校大阪在学中。

藤井 さくら《石が降る》

藤井 さくら《石が降る》

予兆。それは、自然的、客観的に現れることを指し、太陽や月などの天体現象、風や雨、雲、雪、雷などの気象、特定の動物や植物、人間の身体や行動、現象、とくにそれらが通常とは異なる現れ方をした様子のことをいう。空から石が降ってくると天狗が出る、という言い伝えがあるらしい。どこからともなく降ってきた石は、天狗が投げたものだと信じられている。予兆だ、なぜ人はそう感じるのか。そう思わせる現象には、いつか起きうることを暗示するヒントがあるからだ。この作品の断片的なイメージたちは、このあと何かが起ころうとするしるし。

藤井 さくら(武蔵野美術大学)
2001年、東京生まれ。
2019年、女子美術大学付属高校卒業。
現在、武蔵野美術大学 造形構想学部 映像学科3年に在籍。
 第24回写真 「1WALL」にて野口里佳奨励賞受賞。高校在学中は油画を学びながら、独学で写真作品の制作を始める。写真の表現を通して、空疎なところにある見えないものの存在を探している。絵画からインスピレーションを受け、非現実的な抽象写真の表現の在り方を模索する。

『学生プロジェクト』とは?

同時代に写真を学ぶ学生たちが一堂に会することで、交流を深め、お互いに刺激を与え合う機会になればと企画しています。また、海外のレビュアーに作品を見てもらうことで、自分自身の作品を異なる視点から見つめる機会となり、海外へご自身の作品を発信していくステップになることを願って開催しています。写真を学ぶ全国の美術大学・専門学校から選抜された学生の写真作品は、特設サイトでもご覧いただけます。


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