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私の愛したアンドロイド:P.K. Dick 「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」 "Do Androids Dream Electric Sheep?"

映画「ブレードランナー」で有名な P. K. Dick の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」で登場するアンドロイドは、大手のローゼン協会の製品で、Nexus(ネクサス)- 6 という新型ユニットを持つアンドロイドである。

Nexus-6型のアンドロイドは、一部の人間をも凌駕する知性、そして自意識をも持つ。二兆の構成素子の場を持ち、一千万のちがった神経経路の選択(脳活動の組み合わせの選択の範囲)がきくとされている。しかし、あらかじめ植え付けられた虚偽の記憶とともに大人としてこの世に生まれてきて、過酷な環境の火星の植民地で奴隷として酷使される運命にある。そして5年程度の寿命しかないのだ。

想像してみてほしい、大人になった私たちの自意識と知性を持たされて、この世の中に突如、放り込まれ、奴隷として酷使され、しかも数年したら死ぬ運命にあるかと思うとどんなだろう。また、量産された自分の分身が世界中にいるとしたら。そう思いを馳せたとき、あなたは、ぞっと身震いしないだろうか。

アンドロイドは夢を見るのだろうか?リックは自問した。見るらしい。だからこそ、彼らはときどき雇い主を殺して、地球へ逃亡してくるのだ。苦役のない、よりよい生活。

さて、上に「大人になった私たちの自意識と知性を持たされて」生まれてきたアンドロイドという書き方をしたが、「大人になった私たちの自意識と知性と感情を持たされて」と書かなかった点に注意してほしい。人間とアンドロイドの決定的な差は、共感能力とされているのだ。

人間や動物、生き物、あるいは機械、アンドロイド、そして、映画や漫画、小説の中の登場人物に対してさえ、感情移入をしてしまう、人間が持つこの能力を、アンドロイドは欠いているとされる。

新しいネクサス6型脳ユニットを備えたアンドロイドは、非情で実利一点ばりの見地からするかぎり、人間の大多数-だが劣悪な大多数ーより優ったものに進化をとげた。

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もう一度書く。

想像してみてほしい、大人になった私たちの自意識と知性を持たされて、この世の中に突如、放り込まれ、奴隷として酷使され、しかも数年したら死ぬ運命にあるかと思うとどんなだろう。また、量産された自分の分身が世界中にいるとしたら。そう思いを馳せたとき、あなたは、ぞっと身震いしないだろうか。

ぞっと身震いしなかっただろうか。しなかったあなたは共感能力が欠落しているアンドロイドなのかもしれない。

しかし、それにしても、私たちは、他の誰かが感情移入できる能力を持つ、すなわち心を持っている、とどうして言えるのだろうか。私たちの心はどこにあるのだろうか。あるとしたら、なくなったらどうなるのだろうか。そして、なにより、寿命の長さが違うだけで、自らの生を振り返ってみると、実は私たちはみな、彼らアンドロイドと同じ境遇とも言えるのではないだろうか。

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閑話休題。形あるもの、私たちの前に、現れては去っていく。

Nexus 5のことである。

私がこの6年間愛用してきたアンドロイド端末であるが、あろうことか、先週の土曜日(12月7日)に無くしてしまった。17時半ごろ、京都駅で降りる寸前までモデムとして使っていたのだけど、次の日から、どこ見ても見つからない。新幹線の中か、タクシーか、どこかだろう。

Googleの端末管理で見たら紛失した当日の20時過ぎまでは生きていたらしい。電池が切れたからだろう、すでに接続不能になっていた。端末はパスワードを入れてログインする設定にしていたので、よっぽどの執念がなければ不正に利用することはできないだろう。もちろん、Googleから端末ロックの指令をいれ、AmazonのKindleの端末からも削除した。

データはすべてクラウドに上がっている。

亡き骸になってしまったモノが無くなっただけである。

フランス、ドイツ、ポーランドにフィンランド、米国、中国、韓国、7カ国、15都市弱に連れて行いった。それぞれ1週間程度の出張だったが、指したSIMカードは10枚以上、この6年間の苦楽を共にしてきた Nexus 5.

去年すでに、バッテリーがほぼ完全に死亡してしまい、しかし、それでも使っていたのは、テザリングやデータ通信、そして、何よりも写真を綺麗に撮影できた。少々クセがあったが、自分の手に馴染み、ピントがシャープで発色もよく、ときにハッとするほど綺麗な色の写真を届けてくれた。

私の noteの記事 に添えている写真は、ほとんどのものが、Nexus 5 で撮影したものだ。

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この一年間、ジョギングにも連れて行った。美しい写真がとれたと思う。しかし、2-3枚撮影すると、それだけでダウン。モバイルバッテリーを一緒に持って走っていた。それに、新幹線の中のテザリングだって、Shinkansen Free Wi-Fiがあるから、実際には、もう必要ないのだ。それなのに、わざわざNexus 5 を使っていたのは、単に必要な理由を作っていただけなのかもしれない。

象は、死期が迫ると自分で群れから離れて誰にも知られずに死んでいくという。

Nexus 5。自意識と感情まで持つ Nexus型アンドロイドの名を冠した LG製 Google のスマートフォン。私が未練たらしく、いつまでも使っているのにあきれていたのかもしれない。

身体の一部を失ったようで少々さみしいが、これも仕方あるまい。

Nexus 5。私が愛したアンドロイド。

ありがとう。あえて君をさがさない。これでお別れだ。

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※この写真は、5年半前、アメリカはニュージャジーで、お客様とのミーティングの間、緊張のあまりタッチパネルを割ってしまい、その後、修理してもらって帰ってきたときの、リブート中の Nexus 5。

さて、ローゼン協会は、共感によって引き起されるとされる生体反応の点でも人間と区別のつかない次世代モデル Nexus-7を完成させるべく、開発を続けている。リック・デッカードが一時でも愛したアンドロイドのレイチェル・ローゼンはいわば、そのための捨石とも言えるのだ。

2週間ほど前だったか感想文を note に投稿しているので今回が「アンドロイドは・・・」の2回目だ。P.K. Dickの作品は、これも含め、「Valis」, 「UBIK」,「 テレポートされざるもの」など、今後も何度か触れることがあるだろう。

生命の本質としての情報:P. K. Dick, "VALIS"

侵略する理性と言葉:P. K. Dick, "VALIS"

現実に現実をもたらすもの:P. K. Dick "UBIK"

現実は、現実という名の幻想なのか P. K. Dick "テレポートされざる者"

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