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時の試練:外山滋比古「思考の整理学」

note は、投稿者のことを「クリエーター」と呼んでいる。少し私には違和感があるが、古い言葉かもしれないが「知的生産者」ということだと思っている。知的生産者と言えるような、少しでもクリエイティブな、自分がオリジナルだと思える何かを発信しようと思ったら、知識や考えていること、そして伝えたいこと、そういう「思考」を常日頃から整理しておきたいものである。

知的生産というと類書はいろいろある(*1) が、この「思考の整理学」外山滋比古は有名だし、あちこちに紹介されているけれども、今までなぜか読んでなかった。なにしろ、ジーコそとやま、などと著者の名前を間違えて呼んでいたくらいだ。(「とやま しげひこ」。念のため。)

1か月前だったか2か月前だったか、ものすごく久しぶりに本屋をぶらっとのぞいたときに、目についたので買ってきた。しかしあまり乗ることができず、少しづつぱらぱらと読んでいたのだけれど、ゴールデンウイークということで、気分一新、一日で一気に読了した。

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note に日ごろから文章を書き綴っている人たちの多くはこの本を一度は手にとってみたことがあるかもしれない。6ページづつ、知的生産に関わる考え方やノウハウに関わる様々なトピックについて、魅力的なエピソードも交えてまとめてある。読みやすい。情報の収集と整理の仕方、アイディアを温めて育てる方法、気持ちの持ちようや具体的なさまざまな工夫、そして、たとえば「とにかく書いてみる」「テーマと題名」といった一節は、直接役にたつものだろう。

整理にとって大切な取捨選択、捨てることや忘れることの重要さや方法論に触れているのは著者ならでは、場所や時間の作用についても、わかっていることとはいえ、なるほど、である。

では、なぜ、私はこれまで読んでなかったか、なぜ、乗ることができなかったのか、というと、私の出来ていないところは自分自身認識している、それらをはっきりと、ずばずばと指摘されるのがページをいちいちめくらなくてもわかっているからである。

誰が好き好んで「お前は残念なヤツだ」と指摘してくる本を読みたがるだろうか。もう、マゾの世界だ。

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閑話休題。

著者によると、人間にはグライダー能力と飛行機能力があるという。

受動的に知識を得るのが前者、自力とものごとを発明、発見するのが後者である。(p.13)

知的生産の能力とは後者の能力を指すわけだ。すぐ次の文章を引用すれば。

両者はひとりの人間の中に同居している。グライダー能力をまったく欠いていては、基本的知識すら習得できない。何も知らないで、独力で飛ぼうとすれば、どんな事故になるかわからない。
(略)
指導者がいて、目標がはっきりしているところではグライダー能力が高く評価されるけれども、新しい文化の創造には飛行機能力が不可欠である。
(略)
他方、現代は情報の社会である。グライダー人間をすっかりやめてしまうわけにもいかない。
(p.13 - p.15)

としたうえで、情報を集めて知識として取り入れつつ、そこから新しい何かを生み出し発信できる、いわば「グライダー兼飛行機」のようになるにはどのようにしたらよいかを考え指南してくれているのが本書、というわけだ。

知的生産とはどういうことだろうか。生産というからには何か材料をインプットし、ある工程を経て、もとの材料群だけでは提供できない価値のあるものをアウトプットするということだ。

材料は、直接の経験や感情であったり、観測や実験によって得られるデータであったり、行政機関や様々な組織から公開されている統計データの場合もあるだろう。過去知られてきたことや既存の概念、誰かが言ったことや小耳にはさんだこと、フェイクニュースなど、そういったものもインプットだ。

アウトプットは、場合によっては絵や漫画や、それとも劇や音楽ということもあるだろうけれども、著者が念頭においているのは論文や本など著作物だ。最近では、コラムやブログ、そして、note や facebook といった SNS も気軽にアウトプットできる場として提供されているので、アウトプットの敷居は、だいぶん低くなった。

これらのアウトプットを、より一般的にいえば、新たな有用な概念、ということになろう。

新たな概念とは、個別の事象や経験などの直観や、すでに存在する概念について、それらの間で新たな関係を見つけることでより総合的で広く適用できる、そのような考え方やものの見方であり、もとの直観や概念よりもさらに抽象度を高くした概念だ。

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著者が、このインプットからアウトプットに結び付ける工程を「醗酵」と呼んでいるのは、なるほどと思うところだ。しかも、直接的な材料(「素材」と呼んでいる)だけでなく、「アイディア」という酵素が必要だというのだ。材料を集めるだけではだめで、アイディアという酵素を加える。そして、時間をかけて発酵させるのが大事だという。ちなみに、私自身を振り返ってみると、この酵素が非常に弱いと痛感させられる。

工業製品としてのビールや酒などは、材料や酵素について、量や質を厳密にコントールし、醗酵時や前処理時の手順・温度や時間などを厳密にコントロールすることで均質で安価な商品を作ることができる。が、これは同じものを大量に作る場合である。

新しい製品を生み出そうと思うと時間がかかる。というより、どのくらい時間がかかるか予想が難しい。材料や酵素が適切であるか、うまく醗酵してくれるかさえ、事前にはわからない。

だから、著者のような学者であっても、テーマが熟するのを待っていると向こうからやってくる、と感じるということだ。次のようなことになるらしい。

くりかえし、くりかえし、同じようなことをしていると、だいたい、どれくらいすれば醗酵が始まるか、見当もつき、心づもりをすることができるようになる。論文を書くときにその予定が立てられるとたいへん好都合だが、初めてのことでは当てにすることは難しい。やはり、神だのみになってしまうことが多い。(p.35)

新しいものごとを理解して使いこなせるようになるまで、そして新しい概念を生み出すまで、かなり時間がかかることは実感だ。

もう少しちゃんと、自分の考えをまとめて整理してタイムリーにアウトプットできるようになりたい、と思い、去年の10月からだったか、こうして note に記事を定期的に書いて「くりかえし、くりかえし」訓練しようとしているのだけど、まだまだ道は始まったばかりだ。ジーコにしても神だのみなのだ。まだまだ先は長い。

だが、今の時代のように、起こった出来事や誰かが言ったことなどに対して、事実関係すら確かめることなく、即座に反射するように反応してコメントする人たちに囲まれ、それで少し気の利いたことを言う人たちがもてはやされるのを見ていると、「時間がかかるのはわかるけどねー、醗酵させているうちに世間の関心は別のところに移ってしまって、時間かけて熟成させている意味がなくなるんだよね」と思うことだろう。

多くの人は、情報を消費するだけだし興味も関心もうつろいやすい。それらを生かして、自らよく考えてよく生きようという人は少ないかもしれない。口当たりよく、安価で、簡単に消費できる情報を提供することが、今は逆に求められているのかもしれない。

新しい概念やものの見方や考え方よりも、簡単で簡潔明瞭な答え。

それでも、自分の足でしっかり立って、他人の考えに振り回されずに、自分の頭で考えていくことは、不確実で変化の大きい未来に現実に直面する私たちとっては必要なことなのだろうと思う。じっくりと熟成させる、そのような時間に慣れることも大事だと思っている。

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ところで、すぐれた工業製品としてのビールの工程を引き合いに出したが、そのときの工程は客観性があるから再現性があるわけだ。均質な品質で、大量に供給できる工業製品は客観的な製品といえる。

振り返って考えてみると、幅広く役に立ち意味のある新たな概念、すなわち客観性の高い独自の概念、そのような概念を生み出すためには、アイディアという極めて主観的な酵素が必要というのは面白いものだ。(だから再現性は低く予測がつかない)

2段落ほど話がそれたが、時間がたつとうまく醗酵するかもしれないのでポンっとここに記述しておく。時の試練を越えるにたるアイディアだろうか。

さて、この「思考の整理学」は1983年に書かれたものだ。まだまだ色褪せないどころか、「時の試練(p.122)」を乗り越えて、ますます読むべき本になっているかもしれない。

グライダー専業では安心していられないのは、コンピューターという飛び抜けて優秀なグライダー能力のもち主があらわれたからである。自分で翔べない人間はコンピューターに仕事をうばわれる。(p.15)

とはいえ、スクラップ、手帖やカード、ノート、メタノート、というような情報のインプット・整理のしかたのノウハウや道具立ては、やはり少し古いと言わざるを得ないが、最近のオンラインのデジタルツールを使うにしても、その概念は適用できる。

その観点で、私がよくアクセスして参考にさせてもらっているサイトを、最後に紹介しておこう。これも、みなさん、すでに知っている方も多いとは思うけれども。

10年後、20年後、時の試練を乗り越えて、私たちはどんな世界を築いているのだろうか。


(*1) 梅棹忠夫「知的生産の技術」、川喜田二郎「発想法」「パーティ学」など。


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