未来のはなし
将来のこと
おれは将来、別に大金持ちになって、いいマンションに住んで、高い外車に乗って優雅な生活を過ごしたいわけではない。ただ、美味いものを食べて、モードな服を着て、刺激的な芸術作品に囲まれて過ごしたいだけだ。そのかわり、絶対に料理に関わる仕事、飲食店の経営者などをしていきたいと思っている。その将来の目標のための道程であるならば、どんなに激しい生活が長く続いても構わないと思っている。激しいとは、プアではない。好きなことを仕事にできた以上、プアという概念はあり得ない。体力的にも精神的にも厳しい環境にさらされると言うことだ。
自分の官能に従う
おれの生きる意味は、ここに帰着する。おれは、絶対に自分の官能に従って、生きて、生き抜いて死んでいく。これが達成できなければ、途中で死んでしまっても構わないと思うほどに常に強く考えていることだ。
自分は、何に官能を感じるのか。それについて、20,21歳の2年間は本当に考えてきた。自己分析などという、風俗なものではなく、自己対峙とおれは言っている。
それは、社会の仕組みの中に自分自身を置いて、存在意義を考えるという作業ではなく、社会の慣習や、こうでなければならないという、同調圧力を全く無視して考え抜くという作業だった。その中で、自分は何に対して官能を感じるか。これをまず見つけ、それを芯にして長く考えることをしてきた。
大好きだが目を背けていた「料理」
おれの父親は、コックさんでおれは小さい頃から本当に料理が大好きだった。今振り返っても、小さい頃から美味しいのもを食べさせてもらってきたし、実家の家庭料理のクオリティも本当に高いと思う。
そんな環境の中で育ったおれは、小学生の時の夢はコックさんになることだった。それは至極必然的なことだと思う。
そこから、剣道に出会ってある程度の成績を残すようになると、剣道が楽しくなり高校の先生になるのもいいと考えるようになった。大学進学の時にはただ特に何も考えることもなく、化学を専攻した。まあ、コックさんになることは、ただの一過性の夢に過ぎず、まあこのまま化学系の会社に勤めるのか、大学で教員免許を取って高校の先生になるのかなと思っていた。これも、地方国立大学生のベイシックな流れだと思う。
でも、本音を言うと少し怖かった。
社会の仕組みに組み込まれて、そのまま人生を終えてしまうのが怖かった。
60歳過ぎまではたらいて、定年を迎えて老後の生活を送る。もちろんその中で、慎ましやかな幸福に包まれる場面は多々あるだろうが、あくまでそれは、戦後の日本社会がモデリングしたおままごとに過ぎないと思うようになってしまった。
自分の官能に従って生きるための作業として、まずは自分が何に対して恍惚を感じるか改めて知る必要があった。もちろん一番に料理を挙げたが、おれはいち早くそれを候補から除外した。大学まで卒業して料理の世界に飛び込むのはあまりにも難しそうだな、今からまた料理の専門学校に入り直すのはめんどくさいな、などと思ったからだ。結局おれは、偉そうに社会の仕組みを疑っておきながら、社会の仕組みの中でしか仕事というものを捉えていなかったし、周りの目を気にしていたのだ。おれはあまりにも矮小だった。
自分は美味しい料理を食べ終えた後、空間芸術としての料理を楽しんでいる時、また自分自身で調理をしている時にアドレナリンがでる感覚がはっきりとわかっていた。それは何にも置き換え難い、自分が今ここに存在しているぞと強く噛み締められる瞬間である。その瞬間を常に追い求めて、人生のうちで出来るだけその時間を体感していきたい。それならば、料理に関わる仕事に就けばいいだけなのである。難しく考える必要は全くなかった。答えはすぐそこにあるのに見えない壁やプレッシャーを感じているのは自分自身のせいではないのか。と、将来の仕事について長く考えるうちにこう思うようになってきた。
だから料理関係の仕事につくことにした。