推しに対しての「好き」の整理

・ここ数日、推しへの気持ちが爆発しそうになる最高な出来事が続いた。なので推しに対しての「好き」を整理する日記を書く。

・なかなか新しいジャンルには手を出せないが、のめり込んだらワーッと公式のものから二次創作から全部摂取する。そして漠然とした解釈をして満足する。熱が引くことはあっても定期的に再燃し、繰り返し同じ作品を見てはやっぱり最高! となるような普通のオタクである。いや、やっぱりTwitterも何もかも基本的にはROM専だし、絵も文章も書けないので無産市民という点でむしろ害悪な方かもしれない。

・新しいジャンルに入った時の好みというのは結構分かりやすいらしい。友人にも兄弟姉妹にも好みをバッチリ言い当てられてしまう。ざっくり自分の性癖を整理すると「黒髪、目に特徴(眼鏡など)、苦労人、頭はいいのにどこか抜けている」のどれかがあれば基本的に推し候補には入る。だが驚くべきことに全く違う好みが発揮される場合がある。それは「明るい、笑顔が似合う、情けない部分もあるけど頼りがいもある」という群である。これら3つは一緒じゃなければ効力を発揮しない。いつ発揮されるのかは私にも分からないため、新しいジャンルに入る時は結構ドキドキするのである。

・ここからが本題だが、自分が推しに感じる「好き」は完全に「応援したい、幸せになってほしい、金払わせろ」という感情である。私はこれを早々に「恋愛感情」とは違うと切り捨てて生きてきた。そのため身近にも推しは大量にいて、特にサークルでの推しにはお菓子を献上していた時代もあった。それで最高の気分になっていたものだ。ファンサももらいやすいし最高。今でもサークルの推しは推しである。会いたい。

・推しは自分にとって生きがいである。特に自分は恋愛感情を持っていないので、「〇〇のために生きる」となると家族もしくは推ししかいないということになる。そのため推しがけなされているとすごい勢いで反論したくなってしまう。この反論こそが荒らしの原因であると分かっているため書き込みはしないが、Twitterで推しに関してのサジェストが汚染されているのを見てしまった時なんかは相当へこむ。全人類を敵だと思ってフォロワー0人の鍵垢でやけくそに呟く。後で見て笑う。一方で酒を飲んでハチャメチャに気持ちが大きくなった時は「お前を一生応援するからな、愛してるぞ」みたいなキモイ呟きもする。それも見返して後で笑う。これらの繰り返しで生きている。

・推しの活動を支えるためにはお金が必要である。お金は決して出し渋ってはいけない。特に推しが念願としていた仕事をもらえた時なんかは必ずお金を出さなければいけないし、そうでなくとも数字を残さなければならない。結局世の中はお金だし、数字である。どんなに応援している人数が多くても関係ない。ここは応援している身として忘れないようにしたい。

・近年、様々な出来事から「推しは推せる時に推せ」という言葉が叫ばれている。実際自分もその状況を味わったことがある。呆然として涙も出なかった。数日後、ふとした瞬間に涙があふれて止まらなくなった。それはまさしく自分を「オタク」という概念に導いてくれたコンテンツだったので、喪失感がすごかった。今ももちろん喪失感しかない。後悔する前に出来る限り今存在する推しを応援したい。

・結局何が言いたいかというと、この数日で発表された全部の最高なことにむちゃくちゃに金使ってやるからな! 給付金10万入ったし! 全ての推し達、待ってろよ! ということでした。

・ハチャメチャになったので箇条書きで失礼しました。もう少し感情整理できるようになりたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?