座右の書『貞観政要』中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」(出口治明著)

唐の基礎を築き、名君と名高い太宗(李世民)の言行録「貞観政要」のエッセンスを知の巨人出口治明氏の手解きで読むこの書。

分かりやすい!しかし、「分かりやすい」という初読の感想に、我ながら違和感を持つ。自分は「分かった気」になっているだけではないか。

私が師事しているメンターとの、今年の読書は感想文にまとめるという約束が頭をよぎったが、ちょっと自信がなく、言葉に起こすのを避けた。その甘さを見抜いたかのように「読書感想待ってます」とのメンターの優しくも厳しいメッセージ。そうですね、約束ですし。

書くために読み直すと、この本の「座右の書」たる所以、構成の綿密さに驚く。まさに「リーダーの教科書」として戦略的な構成になっている。初めに伏線が張られ、自分の中で問いが立つ。読み進めるうちに答えが出てくる。例えば、p105劉洎の進言に「多くのことを忘れずに記憶していると心を損ないます。」とある。ところが、間もなく「第2章『部下の小言を聞き続ける能力』」とある。

えっ?「些末なことにまで心を砕いていると心が病んでしまう。」「心の健康が大切」と説きながら、部下の小言を「精神の修練」と思って聞き続けろとは?出口先生、どういうことですか?矛盾してませんか?と、もやもやしながら読み進めると、P142「ようするに『ヒソヒソ話や与太話は聞くだけ無駄。そんなものを聞いていると心が病んで……善人をそばに置き、閣議を設け、みんなで一緒に議論することが大切だ。」と来る。ああ、そういうことか(納得)。

やられました、出口先生!私なんぞ思うつぼ、楽勝の生徒でしょう。まんまとはまりましたよ。今後、先生と呼ばせてください。

「貞観政要」はクビライや乾隆帝が愛読し、北条政子や明治天皇が学んだとある。NHKの大河で話題の北条政子がこれを読んでいたというのか?!鎌倉時代の女性が、リーダーの姿を中国の古典に学んでいたというのが、(自分の不勉強のせいではあるが、)衝撃だった。えっ、そうなの?そして、クビライも?政子が学んで固めた鎌倉幕府を、愛読していたクビライが元寇で屈服させようとする。「愚者は経験に学び、賢者は歴に学ぶ。」当時の覇権をめぐるせめぎ合いの中では、現代以上に切実な学びだったのかも知れない。

国語教師として膝を打ったのは、P72「『腑に落ちる言葉』にはロジックと比喩がセットされている。」「諫議太夫」と位置付けられ、信頼の厚い魏徴であっても、時の大権力者太宗に直言するのは、内容が本人の落ち度を図星で突いていればいるほど、命懸けであったろう。しかし、この「ロジックと比喩のセット」で支配者に、素直に、自ら思い至らせるその知恵は、知識を蓄え、国語力を磨くことが、まさに生きる力となって働くことの証明になるであろう。このフレーズ、授業で絶対使おう!

もう一つ、目から鱗が落ちたのは(もちろん、何枚も落ちたのだけれど、)P166「正しく考えられる人は頭の中に『時間軸』をもっている」出口先生の著作は、歴史の裏付けとともに展開されて、非常に納得感があると常々思っていたが、今回もまさに。「貞観政要」の引用から、「アラブの春」についての見解まで、歴史の全体像を踏まえて判断することの大切さを改めて感じる。どのように「時間軸」を設定するかがリーダーの力量なのだ。ふと、萩の明倫館で吉田松陰が、世界地図を傍らに弟子たちに歴史を教えていたことを思い出した。松陰は歴史を「空間軸」を念頭に学ばせていた。本物の教育者は「時間軸」「空間軸」を駆使し、俯瞰で見るのだなあ。目の前のことであくせくしている己の小ささよ(泣)

他にも「諫議大夫」としてシステム化し回すこと、器を大きくするのではなく中身を捨てるという発想、「十思九徳」「守成の難しさ」等、本体の「貞観政要」もこの本も、人間は弱いということに徹底して立脚している。だからこそ、凡人・俗人の私には学ぶところが多い。そして、実践してみようという意欲につながる。これもまた、出口先生の戦略でしょうか。

初読の「分かった気」になっていただけという勘は的中だった。いいぞ、私!そう、「座右の書」だ。事あるごとに読み返そう。まだまだ、分からない。読むたびに気づきが得られそうだ。この勘は確信に近い。分からないって楽しいじゃないか。




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