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どうせ飛ぶなら「SexyZone」のすすめ

死んでやる、と思った。

悲しいよりさきに悔しかった。

7年共に過ごし、6年同棲したあなたの口から「好きな人ができた」は聞きたくなかった。結婚するためにわざわざファミリーサイズの部屋に転居したのが9月。そこから2ヶ月でこのさま。婚約破棄宣告を受けた当時どうしても納得いかなかったのが、その宣告を受ける日の朝までなんの前触れもなかったこと。

この現実よりもっとおそろしいのは、そんな状況に陥ったにもかかわらず心の中で少しだけ「わたしはこの人のこういう嘘つかないところが好きなんだ」と思ったこと。こういう男を愛したのはわたしだ。こうなったのもわたしの責任だ、と。どこか納得している冷静なわたしがいたな、と今は振り返ることができる。

冒頭の、死んでやる、は嘘じゃなかった。

わたしがいなくなることでわたしが強いられた痛みを味わせてやりたかった。ただ、そこは慎重派なわたし。死に方をたくさん調べるも、納得のいくものに行き着かなかった。やはりどこか冷静だった。

婚約破棄渦中のわたしにはわたしを心配してくれる職場の人、家族、友人、各々が「たのしそうなこと」を持ち込んで、わたしをあやしてくれた。(大変感謝している)

そのわたしをあやしてくれた人の中にジャニオタがいたのだ。そのジャニオタは別グループに心酔していたのでてっきりそのグループを勧められると思ったのだが予想に反してわたしがもらったのは彼女が沼っているグループのなにかでは、なかった。

送られてきたLINEには、ある雑誌の切り抜き写真が添付されていた。それが運命の出会いとなる。ジュニアアエラ 2019年11月号のオタ卒を検討するファンへの言葉だった。

まず、なにがすごいって、一切ファンではなかったわたしはこの記事を読んで泣いた。泣きますか?普通、29歳の女がアイドルの言葉を読んで。どうですか?どうですか?驚きますよね。

自分の感情の変化には敏感な性格である。なぜ涙が出たのか考えた。ぴったりの言葉を見つけることが出来なかったが、中島健人はわたしにたしかな「安心感」をくれた。

安心感、、、、ふむ、、思えば、婚約者との毎日は彼の仕事(想像を絶する激務)と2人で闘った7年間だった。彼の仕事、体調を完璧にサポートするために秘書のように動き回った。もちろんわたしもフルタイムで普通に働いているので、家事を完璧にこなすのも結構大変だった。ただ、毎日完璧な環境を整えられると人間はそれが当たり前になり、彼ももれなくありがとうと言わなくなった。わたし自身、ありがとうがないことは、家族になれたような気もして(考えが浅い、、、)、気にしないフリをしていたように思う。安心感はなかった。彼が仕事でピリピリすると怒鳴られたし、罵声を浴びせられたし、テレビが壊れることもあった。安心感は、なかったんだ、と中島健人の言葉で気がついた。

もちろん、中島健人はアイドルが仕事なので、彼も男女の関係になればどうなるかはわからないが、そんなことは一切気にさせないのが中島健人なんだから、すごい。

中島健人の記事を読んだわたしは、涙を拭いて、前を向き始めていた。自分でも驚く嘘みたいな本当の話だが、ご飯が食べられるようになり、会社に行けるようになり、笑えるようになっていた。一番驚いたのは、彼のことを許そうとしているわたしがいたこと。

中島健人はそれぞれの人の感情を尊重する。しかし、尊重した上でしっかり自分の考えも持つし発信する。彼は彼のビジョンを信じているからそれができるんだと、思った。ここまで来るともう、中島健人への愛は止まらなくなっていた。こういう人と結婚したいというより、こんな人になりたい!という気持ちに近い、愛と尊敬でわたしのAカップの胸はいっぱいになった。

そこからちょこちょことアルバムやライブDVDを集めては観て、観ては集めるを繰り返す日々が始まった。婚約破棄について話し合いながら裏で中島健人を漁っていた。

中島健人を摂取するとハイになって悲しいことが忘れられた。しかし、やはり突然悲しみに心が支配される瞬間もやってくる。わたしはふと、中島健人は孤独ではないのかな?と思うようになった。

ここで初めて他のメンバーに興味が湧く。情報が欲しくて、人生ではじめてTwitterを解禁した。Twitterには天国があって、通称セクラバと呼ばれるSexyZoneを愛するものたちが手取り足取りわたしに、SexyZoneという「文化」を教えてくださった。

結論、中島健人は時を経て孤高のアイドルではなく家族のようなメンバーが彼を愛し彼もメンバーを愛していることがわかってわたしは安心して泣いた。彼は何よりファンを愛し、そしてゴールで待ってるよ、と言うのだ。

ここまで来ると、母性が爆発して、わたしには出るはずのない母乳が、もしかしたら出るのではないかと疑ったほどである。

そんなこんなで、わたしは、わたしが生きていれば必ず誰かが喜んでくれて、そして、わたし自身が一番喜んでくれる。中島健人があらゆる媒体でファンに語る愛の言葉を噛み砕いて、わたしはこのように理解した。

わたしの第二形態が始まった瞬間だった。

死ななくてよかった。飛ばなくてよかった。どうせ飛ぶならSexyZone。これに尽きる。(個人的見解です。)

こうしてわたしはど新規セクラバとして、この世に生まれ直したのである。

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