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概説『明智軍記』

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2回で挫折。全話の要旨をまとめて終了。
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『信長公記』に見る明智光秀の告白

『信長公記』に見る明智光秀の告白

 『どうする家康』の徳川家康は、織田信長を討とうと考えていることを重臣たちに隠していましたが、明智光秀も、6月1日の夜まで隠していたそうです。(「本能寺の変」は6月2日の早朝。)

【現代語訳】 6月1日、夜になって、丹波国の亀山にて、明智光秀は、謀反を企て、明智左馬助秀満、明智次右衛門光忠、藤田伝五行政、斎藤内蔵佐利三と談合し、「織田信長を討ち、天下の主となる」作戦を究め、「亀山から中国地方(山

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未発表記事 明智光秀の家紋と軍旗

未発表記事 明智光秀の家紋と軍旗

 謀反人・明智光秀の遺物は全て焼かれたので、家紋や軍旗の実物は存在せず、詳細は不明であるが、次の3つの系図をもとに、考察してみたい。

①玄琳「明智系図」(以下「明智系図」)
②『明智氏一族宮城家相伝系図書』(以下「宮城系図」)
③『明智氏血脈山岸家相伝系図書』(以下「山岸系図」)

■『森本景一の家紋研究』「家紋用語集」
定紋(じょうもん)
家紋は家の印。一家に一家紋というのが原則であったが、主

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未発表記事 明智系図は出口の見えない迷路

未発表記事 明智系図は出口の見えない迷路

「明智系図」は、明智光秀を第10代宗主として、

①頼兼─②頼重─③頼篤─④国篤─⑤頼秋─⑥頼秀─⑦頼弘─⑧光継─⑨光綱─⑩光秀

とするが、万世一系、1本線の系図は、天皇家と徳川家くらいで、実際はもっと複雑である。史実は、「土岐頼尚譲状」から

  土岐明智頼尚┬土岐明智頼典(嫡男であったが、廃嫡→義絶)
          └土岐明智頼明(頼典に代わって嫡男になる)

としか分からないが

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新説誕生の時 -明智光秀の母は妻木氏-

新説誕生の時 -明智光秀の母は妻木氏-

 中世の研究は日進月歩で、新説が続々登場している。
 理由は小泉元総理の「平成の大合併」である。各市町村は、「合併で消える前に自分たちの歴史を残しておこう」と市町村史を発行した。この時、「古文書はありませんか?」と呼びかけ、蔵に眠っていた古文書が翻刻され、市町村史に載せられた。この新出史料を読んだ学者が続々と新説を打ち出したのである。

 私ですら現地へ行って広く知られていない史料を読めば、新説(

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未発表記事 妻木氏について

未発表記事 妻木氏について

1.妻木氏について

妻木氏についてWikipediaで調べてみた。

妻木氏(つまきし)は、日本の氏族。
歴史
『寛永系図』によると、土岐光定の9世の孫である彦九郎弘定がその根拠地であった妻木郷(現在の岐阜県土岐市妻木町)から妻木氏を称したことに始まるという。同じ土岐氏の庶流である明智氏とは深い関係があったとされ、明智氏の庶流であるともされる。明智光秀の正室煕子は妻木氏の出身である。宗家は江戸時

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未発表記事 明智光秀と明智定政

未発表記事 明智光秀と明智定政

1.「土岐頼尚譲状」
 明智光秀の出自には謎が多いが、祖父(?)については、「土岐頼尚譲状」に書かれている。

■文亀二年(1502年)4月13日付「土岐頼尚譲状」
譲渡 美濃国内土岐郡内妻木村、笠原村、駄智村、細野村(駄智、細野両所者、各半名、宛当知行)等事
右、実子・彦九郎仁所譲与也。兵部少輔頼典雖為嫡子、連々不孝之儀、重畳之間、令義絶之処、剰頼典並被官・肥田蔵人已下令造意、去月五日、無謂弥十

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『明智軍記』を読んで要旨をまとめてみた。(約15000文字)

『明智軍記』を読んで要旨をまとめてみた。(約15000文字)

第1巻
第1話 美濃国守護土岐氏と斎藤氏の系譜及び明智城の落城
第2話 「永禄五年加賀一揆」での活躍
第3話 朝倉氏の系譜と明智光秀の諸国勘合
第4話 朝倉義景の永平寺参詣と城の立地条件
第5話 山中温泉へ
第6話 足利将軍家の話
第2巻
第7話 織田氏の系譜と織田信長の尾張国統一の経緯
第8話 豊臣秀吉の出自と出世
第9話 浅井氏の系譜と縁組。及び、美濃国統一
第10話 明智光秀、織田信長に仕官

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『明智物語』を読む。第2話「永禄五年加賀一揆」での活躍

『明智物語』を読む。第2話「永禄五年加賀一揆」での活躍

第2話は、越前国から出陣して加賀国の一揆を鎮めた話です。この「永禄の一揆」の御幸塚(石川県小松市今江町)の戦いでは、まずは、明智3人衆(明智十兵衛、明智弥平次、明智次右衛門)ら50余人の鉄砲隊が活躍したとあります。

明智十兵衛、同弥平次、同次右衛門を先として、究竟の鉄炮の上手五十余人、櫓、井楼に上り、鉄炮を列(つるべ)放し懸けたり

敵がひるんだので、真柄十郎左衛門直隆、同息・十郎太郎隆基、隨伝

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『明智軍記』を読む。第1話 美濃国守護土岐氏と斎藤氏の系譜及び明智城の落城

『明智軍記』を読む。第1話 美濃国守護土岐氏と斎藤氏の系譜及び明智城の落城

祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。

こう始まる『平家物語』は、「盛者必衰の理」(平家滅亡)を著した物語ですが、軍記物『明智軍記』の冒頭(序文)は、「天道恐るべし」という話です。織田信長も、明智光秀も、天道に逆らったから討たれたのだと。

本文の内容は、

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