見出し画像

ライ麦畑で、落ちそうなあなたを捕まえたい

「僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ。(略)
そんなときに僕は、どっかから、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。
ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ」

J.Dサリンジャー著「ライ麦畑でつかまえて」より、主人公ホールデンの台詞


「私、もう学校に行きたく無い」


私が母にそう言ったのは、確か14歳の夏だった。

小さい頃からずっと、みんなは口々に私の事を変わっていると言った。
けれど、私にはどこがどう違うのか分からなかった。

「あなたは私達とは違うから。仲間に入れてあげない」
クスクス笑う声が聞こえてくる。何をするにも遠巻きに見てくる。

同じ髪の色、肌の色、同じ言語

私はまるで宇宙人だ。
突然、同じ姿形の、同じ言語を話す世界に放り出された宇宙人。

何が違うんだろう。どうすれば同じになれるんだろう。
考えて、考えて、考えて。
そしてついに、14歳の夏に、「私は周りと同じにはなれない」という結論にたどり着いた。

同じになれない私に、居場所は無い。
教室で、学校で、誰とも馴染めず、口をきく相手もいない。
みんな、遠巻きにこそこそと私の事を嗤ってくる。

私は学校で、どこまでも異質な存在なのだ。

悲しかった。とても辛かった。
辛くて、辛くて、毎日泣いた。
他の子は何の問題もなく学校に通えているのに、それがどうしてもできない自分に失望した。

自分が違うんだと、周りと同じでは無いと認め、弾かれる事を選ぶ。
それはつまり、ひとりぼっちの道を選ぶという事だ。

こんな異質の私は、孤独でいるのだろう。
分かり合える人なんて、出会わない。
ずっとずっと。死ぬまで。


そんな覚悟で、真っ暗に閉ざされたこの先の未来に不安でいっぱいになりながら、私は母に言った。
決して、その場の思いつきでは無い。
悩んで、悩んで、悩み抜いて、その日ついに口に出したのだ。



母の答えは、「NO」だった。

学校に通い続けろと言った。
私がどんな気持ちでいても、学校という場から逃げる事は決して許されないと言った。

「なんで?どうしていけないの?」

もう居場所が無いのに。
どうして、あの場からいなくなる事を許されないのかと、泣きながら問う14歳の私に、母はこう答えた。



「そんな事をされたら、私が周りからなんて言われるか分からないでしょう?」




私は期待していたのだ。
ひとりぼっちで生きていくしかないと覚悟をしていたくせに、親だけは、母だけは味方なんだと。

子供の輪から外れて、1人で落ちようとしている私を、『ライ麦畑を捕まえて』に出てくる、主人公のホールデンがなりたかったような、大きく手を広げて捕まえてくれる存在がいるのだと。

母に話す前に、何度も「ライ麦畑で捕まえて」を読んだ。
社会や大人に対する欺瞞や不満で鬱屈し、孤立を深める少年、ホールデンが主人公の物語で、冒頭に書いた一節が美しくて、何度も何度も読み返した。

『これが書かれたのは、ずっとずっと前の物語。この孤独な少年はもう大人になっている。だから、私を捕まえてくれる人は必ずいる』

そう、盲目に信じていた。信じていた事すら気付かないほど、当たり前の事なんだと思っていた。
けれど、勇気を出して伝えたその日に、学校と家の二つしかない私の世界で、居場所なんて何処にもないと思い知ったのだ。



『母さんは、仕事と子育てで忙しい。
おじいちゃんもおばあちゃんも、お母さんの悪口を言ってばかりで、近所の人も、誰も味方になってくれないんだから。辛いんだよ。だから、味方なんかになれないんだ』

『担任も、私が明らかに孤立しているのに気付かないのは、もう不登校が2人も出ているし、学級崩壊寸前で、見てなんていられないんだ。』


そう言い訳して、自分で自分を慰めて。
結局、ホールデンは物語の中にしか存在しなくて、誰も助けてくれないと悟った日から、私は目と耳を塞ぎ、口を噤み続けた。

傷つく心なんて気付かないフリをして、ただ、植物のように息をして、そのまま枯れ果てたい。
ただそれだけを願って日々を過ごしていた。


そんな私に、卒業式の日に担任は「あなたは逃げなくて偉かった」と言った。

担任に学校に行きたく無いと伝えた事はなかったけれど、この人はずっと気づいていたのか。
気づいていながら、何もしなかったのか。

笑いたかった。
声が枯れるまで笑って、どれ程愚かな事を言っているのか教えてやりたかった。
もうそんな感情、残っていなかったけれど。



結果的に私は死を選ばなかったから、母や担任のした事は正しかったのだろうか。

大人になって、子供を育てている立場の私は断言する。


違う。絶対に違う。



悩める子供に、居場所も帰る場所も与えないのは、大人の怠惰だ。怠慢だ。
『母や担任にも色々と事情がある』なんて、子どもに忖度させては絶対にいけない。

断言する。その大人は間違っている。

例え、あなたが捕まえて欲しいと願ってやまない相手でも、その人は間違っているんだ。


8/31の夜に悩めるあなた。どうか絶望しないで。
ネットでも、電話でも、あなたの心に寄り添ってくれる人は必ずいる。

ライ麦畑にいるホールデン少年自身も、捕まえて欲しい子供だと知っている大人がいる。


だって私は、ライ麦畑で落ちそうなあなたを、両手を広げて捕まえたい。


9/1加筆


とても光栄です。 頂いたサポートは、今後の活動の励みにさせていただきます。 コメントやtwitterで絡んでいただければ更に喜びます。