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妖刀異聞 異能剣技譚 壱章 四話

 気に入らない気に入らない気に入らない。
 此の私が折角派閥に入れてやると言っているのに。此の私が折角友に成ってやると言っているのに。
 鏖戦の剣聖の息子が同じ年に入学。しかも大した成績じゃないらしい。此れを聞いた時、私は好機だと思った。
 軈て軍の上層部に入り、剣聖の位を手に入れて、私は此の國の支配階層に君臨する。そして憐れで愚かな民草を適切に管理してあげる。お婆様が其れを望み、私も其れを望んでいる。当たり前の筋道で、私には其の素養も実力も備わっている。
 だけど完璧な能力を持ち、此れからも成長していく私でも自分一人で全てをこなす訳にはいかない。下の者共にも仕事をあげなきゃいけないし、何より日本は‘和’の國でしょう? 人と人との繋がりは大事にしないとね♪
 他の剣聖の子息が下手に優秀だと競争相手に成るかも知れない。だからこそ、偉大な血を引きつつも適度に低能な真柄滄波は都合のいい存在だ。
 士錬館に入って三日目、もう既に六人の奴婢を手に入れた。どれも民草に負けず劣らず憐れで愚かな者ばかり。当然よね。そんな輩は星命院閥に入って私の庇護下に居るのが幸せなんだから。温情深い私が導いてあげましょう。
 後は真柄滄波を組み入れてより盤石な態勢を整える。剣聖の血族を二人も要する派閥。下手に喧嘩を売ってくる脳足りんも居ないでしょう。まずは軽く生徒会長の座を射止める。私は出世街道をひた走り続ける――筈なのに……! 其の筈なのに……!
 詰まらない綻びが生じた。真柄滄波が、派閥の奴婢にする予定の男が……、有ろう事か此の私の……! 首席入学者、星命院美神楽の誘いを断りやがった! 何を考えているの!? 剣聖の児孫同士、手を組む事が最良の道でしょう!? 私は奴婢にも気を遣う。星命院閥に入れば其れなりのお零れもくれてやるのに!
 其れだけじゃない。奴は此の星命院美神楽との時間よりも、私の晴れ舞台の邪魔した凡愚との稽古を優先すると抜かした。妖力の微調整すら出来ない、どうせ偶然受容力が高く産まれただけの愚民の子が、此の私より大事だと! そんな奴は放って置けばいい! 途中で退学するか死ぬかがオチなんだから!
 だが私は心優しい。暗に出世の次いでに囲ってやる意味も込めて、星命院閥に誘ってやった。そうすれば真柄滄波もくっ付いて来るかとも考えた。そうしたら奴は何て言った?
「いい加減にしなさい」
 いい加減にしなさい? 私に対し? 注意した? お婆様でもないのに? 親切心で誘っているのに?
 其の後も偉そうに説教をされた。こいつ、何様のつもりだ? 何歳上みたいに私を叱ってるんだ?
 挙げ句の果てには田中とか言う、聞いた事も無いしどうでもいい奴と此の私が程度が同じと宣(のたま)いやがる。あの慈眼の剣聖、星命院生美華の孫を、此の星命院美神楽を!!
 あ、駄目だこいつ。こいつはあれだわ。父親が強かったから自分も強いと勘違いしてる口だわ。身内の偉大さを自分のものだと勘違いしてる可哀想な奴なのね。
 しょうが無いなぁ。可哀想だから私が教えてあげよう。真の強者の実力って奴を。十位以内の成績も取れないボンクラとは違う、本物の剣聖の血筋ってものを。
 親切にも私自らが手合わせで指導してあげようとしたら、生意気にも条件を付けてきた。もし奴が勝ったらあの一般人臭い小物……、ええと、名前何だっけ? 此れっぽっちも興味が無いからもう忘れたけど、そいつに手を突いて謝れですって! 笑いが止まらなかったわ! 万に一つでも首席入学者の私に勝てると思ってるのかしら! あまりにも可笑し過ぎて私の刀をあげるとか言っちゃった! ま、いいわよね。私が負ける訳無いし。
 端末から手合わせの申請をして待ってると、其処迄有能じゃなさそうな女教師がやってきた。どうやら真柄滄波の担任らしい。お似合いだわ。身の程を弁えない雑魚を教えるには丁度いい人材なんじゃないかしら。
 愈々手合わせという時にも、真柄滄波は白けた様に無表情だ。あ、ひょっとして怖くて固まってるのかしら? 手を突いて謝るんなら許してあげてもいいんだけどな〜。
 私が抜刀しても奴は全く動かない。ほら、やっぱり怖がってる! も〜、駄目じゃない。実力の無い奴が調子に乗っちゃ。此処は一つ、私と彼との実力差をもっと明白にしてあげましょう♪
 私は妖力を解放し、激しくも美しい雷を呼び出した。私の勝利を見物に来た有象無象が其れに見入る。よく見ておきなさい。自分達の上に立つ者の絶対的な格を!
 あら、真柄滄波の後ろの娘、私の刀に釘付けじゃない♪ 当然よねぇ。こんな妖刀、見た事も無いんじゃないかしら。愚民の家庭で買える様な代物じゃないからねぇ。奴婢に成るなら一秒だけ触らせてあげようかな〜。
 素直な反応のアホ面ちゃんから真柄滄波に目を移すと――、何の面白味も無い、眉の一つも動かさない顔の儘だった。
 チッ。
 ビビるなり感心するなり、他に何か有るでしょうが。反応の豊かさは後ろの女子を見習いなさいよ。
 まあ、いいわ。私は心が広いからねぇ。其の驕り高ぶった態度、私が一から矯正してあげる。星命院閥で一番下の奴婢として、徹底的に指導してあげましょう♪
 妖力は身体を巡り、雷の力も私の思惑通り作用している。何も出来ずに一瞬で、無様に惨めに倒れなさい!
 教師が右手を上げる。私は今か今かと其の時を待つ。
 振り下ろされた。手合わせ開始。
 私は頭で組み立てていた必勝の筋書きを実行する。すぐに終わる。星命院美神楽を怒らせた真柄滄波に、身の程ってものを解らセ

★ ★ ★

 ガチャンッ、キンッ、キン……
 硬い金属質の物が、体育館の床に転がる音が響いた。
 空気は静まり返り、其の場の光景が見物人に認識されるには、数秒を要した。
 倒れ伏す首席入学者。主の手を離れ、虚しく刃を地に晒す妖刀。其の美しさが今は只管(ひたすら)に物悲しい。
 そして開始位置から見て、自分の後方に拳を突き出す真柄滄波。
「どうして中途半端に動きが速い奴は、後ろに回り込みたがるんだか……」
 呆れ気味に独り言ち、滄波は拳を静かに下ろした。
 其れを確認したかの様に、齋原が手合わせの終了を告げる。
「其処迄! 勝者、真柄滄波!」
 文句無し、決着だ。
 齋原の言葉を皮切りに静寂は破られた。皆が皆、口々に今の手合わせについて語り出す。
「え? 何? 今何が起こったの?」
「嘘だろ……。あの星命院が……」
「あの男子、誰? 誰か知ってる? ……真柄!? それってあの真柄!?」
「真柄……!」
 勝者への喝采よりも、余りにも早い一蹴劇に館内はざわ付いている。そんな中、此の手合わせを見届けた齋原が敗者の少女に駆け寄った。
 首筋に指を当て、瞳孔、呼吸を確認する。そして懐から学内専用の通信機を取り出した。
「保健棟、体育館に担架を一つお願いします。手合わせの結果、倒れた女生徒が一人。気絶はしてますが外傷は有りません。命に別状は無いと思われますが、念の為精密検査の準備も。……はい、そうです。ともかく早急に人を寄越して下さい。其れでは」
 通信を切り、小さく溜め息を吐いて齋原は滄波を見やる。受け持ちの生徒が勝ったと言うのに、其の顔は浮かないものである。
「やっぱり強いのね。まあ、当たり前か。あの男の息子だもの」
 皮肉げに投げ掛けられた言葉に、滄波は何も答えなかった。其の程度の感情は受け止める、そんな気構えを思わせる。
 滄波から目を背け、飽く迄も淡々と口を開いた。
「もう行っていいわよ。後の事はこっちで処理しておくから」
「失礼します」
 齋原に一礼し、滄波は州子の所に戻った。
「凄い……。凄い凄い、真柄君! あの、ええと、しょ、しょーみいん?」
「星命院だな」
「そう、其れ! 星命院さんに勝っちゃった! 凄い凄い! 凄いよ!」
 昂りの所為か著しく語彙に欠ける感想を口にする州子。其の目は感動にキラキラとしている。雷光を身に纏った美神楽を見た時とは段違いの輝きだ。
 含む所の無い純粋な賛辞に滄波は微笑むが、此処で或る事に気付いて「あっ」と言った。
「そう言えばすまん、粟藤」
「え、何で謝るの!?」
「よく考えれば気絶させたらお前に謝らせれない。只普通に倒してしまった。悪かったな」
「……あはは! そんなのもういいよ! 有難う、真柄君!」
 先程泣いたのが嘘の様に州子の心は晴れ渡っていた。いい人に巡り会えた。今は此の幸運に感謝したい。
「ま、まさか美神楽様が……! こ、こんなの何かの間違いよ!」
「そ、そうだそうだ! 何か卑怯な事したに違い無ぇ!」
 自分達の飼い主が倒されて固まっていたが、ようやく動き出した金魚の糞達。夫々負け惜しみを垂れていたが、中でも州子に因縁を付けた二人が滄波の背に憤然と声を浴びせた。
「ちょ、ちょっと待て、真柄ぁ! てめぇ、此の儘で済むと……」
「そ、そうよ! あなた、美神楽様に謝りなさ……」
 其の声に滄波は振り返った。州子に対するものと違い、其の眼光が僅かに険しさを帯びていたが。
「まだ、何か、用か?」
「「ひっ……!」」
 此の二人、他の四人も、其れなりには武に秀でている。だからこそ理解した。ズルでも何でも無く、美神楽は単純に負けた事を。此の男には、自分達じゃ逆立ちしても敵わない事を。
 其れ以上何も言えず、全員目を伏せて悄々(すごすご)と立ち去った。
「やれやれ、此れからはちゃんと自分の腕を磨いて欲しいもんだ」
「真柄君?」
「粟藤、今日はもう終わりにしよう。下らない邪魔が入った所為で、もう稽古とか言う空気でもないしな」
「あ、うん……」
 露骨に残念そうな州子に、滄波は一つ提案する。
「良かったら一緒に帰るか?」
「うん……、って、いいの!?」
「勿論。多少のコツくらいなら帰りながらでも教えられるし、此れから暗く成るから途中迄は送るよ」
 パアッと州子の表情に光が差す。コロコロ顔が変わって面白い娘だ。
「解った! 今すぐ教室戻って支度して来る!」
 ピューッと擬音が出そうな勢いで駆けて行く州子。其れを見送りながら苦笑いが浮かぶ。
「教室同じなんだから、一旦別れなくてもいいだろうに」
 そそっかしい同級生に続いて、滄波も体育館を後にした。

★ ★ ★

 体育館二階、競技場を見渡せる観覧席にて一―四、阿川、秋野、田中の三人が今の手合わせを見た後、硬直していた。
「「「………………」」」
 何も言わない。何も言えない。同級生が勝った喜びよりも、自分達との実力差に由る衝撃の方が大きかった。
 放課後、屋外訓練場で憤懣の儘剣を振っていた田中。其処に阿川と秋野が通り掛かり声を掛けた。
 体育館で面白い事が始まる。真柄と星命院の手合わせだ。
 秋野はそうでもないが、阿川と田中の二人はあの同級生に好ましからざる感情を抱いていた。首席に叩きのめされる所を見てやろう、そんな趣味の悪い目的の為に此処に来たのである。
 結果が此れ。成績では見る事の出来ない格の差を見せ付けられただけだった。
「……強いね」
 初めに沈黙を破ったのは秋野である。他の二人に比べれば思う所の無い彼女は、戦慄しながらも称賛する。
 男子達は其の儘暫し黙っていたが、阿川が重い口振りで声を発した。
「なあ、田中」
「……何だね」
「お前、今の手合わせ、見えてたか? 一体何が起こって、真柄がどうやって星命院を伸したのか」
「…………見えていた訳、無いだろうっ」
 悔しさを滲ませる田中。此の三人の中では、彼の実力が最も高い。軍人の子として産まれ、其れ相応の訓練、教育を受けて来た。其れを誇りとし、恥じる事の無い優秀さを身に付けていると信じていた。信じていたが……。
(何が少佐の子だ! 何が高度な訓練だ! そんなもの、まるで役に立たないじゃないか!)
 さっきの事を思い出す。不出来な同級生に叱咤の意味も込めて訓戒を垂れてやっていたら止められた。まるで大人が子供の言い過ぎを見咎める様に。其の時、真柄滄波の父親の威光がちら付いた気がして、癇癪を起こして立ち去った。
 父親がどうかはともかく、今は僕の方が優れている筈だ。演習の結果でもそう解るじゃないか。いつかもっとはっきり証明してやる!
 そんな折り、剣聖の血族同士が激突。自分が闘れないのは不本意だが仕方無い。星命院さんが真柄君の目を醒ましてくれるだろう。きっと彼は父親の武名に甘え、鍛錬を怠っていたに違い無い。そうでなければ、成績優秀者の所に名前が載っていた筈だ。
 そして今、明確に解った。自分では真柄滄波に全く歯が立たない事が。自分等、誇る程の実力も無い事が。
 三人が意気阻喪していると、場違いな明るい声が響いた。
「うわー、凄ーい! さっすが真柄君、最強の剣聖の息子さんは違うね〜。私、何やってるのか全然解らなかった!」
 そちらに目を向けると、二人の女生徒が競技場を見下ろしていた。
 一人は恐らく見物人の中で、最も純粋に感心してるあどけ無い印象の少女。そしてもう一人は何と、士練館学園生徒会長である。
「確かに、彼の大剣聖の子というのは真の様ですな。……あれ程の強さで今迄名が聞こえて来なかったのが不自然なくらいに」
「あれ? 氷雨ちゃん、何か顔が恐いぞ〜? 今の手合わせに思う事でも?」
「……いえ、特には」
「嘘吐け〜! 私にお主の謀(たばか)りが通ると思うてか〜!」
「こらこら、頬を摘むんじゃありません」
 生徒会長をちゃん付けで呼び、親しそうにくっ付く女生徒に真柄滄波とは別の意味で瞠目する三人。意図せずして小声に成り、顔を寄せて話す。
(え、誰々、あの人? 矢牛生徒会長を氷雨ちゃんだって)
(あの冷徹な美人とあんな風に話せるとか、相当仲良さそうだよな。羨ましいぜ……。俺、矢牛生徒会長、結構好みなんだ)
(阿川君、今そんな事どうでもいいのだよ。……待てよ。矢牛生徒会長があんなにも丁寧な態度という事は、ひょっとして、彼処におわす御仁は……)
((…………えーーーーっ、まさか!?))
 其の正体に思い当たり、阿川、秋野の二人は声を上げずに絶叫した。
 一年生達の会話等露知らず、女生徒が生徒会長に尋ねた。
「ねえねえ、氷雨ちゃんだったら今の手合わせ、見えてたんじゃない?」
「はい、一応は」
「教えて教えて! 真柄君、どうやって星命院ちゃんを倒したの?」
 此の場に居る者の中で、唯一まともに視認出来ていた矢牛氷雨。其の言葉に訊いた本人以外も聞き耳を立ててしまう。
「真柄がやった事自体は単純です。星命院の動きに合わせて後の先を取った。言ってしまえば此れだけです」
「ふむふむ」
「星命院は妖力で身体強化をするだけでなく、妖刀の個別能力で応用を効かせていました。肉体というのは脳からの電気信号で動く。此れは解りますね?」
 氷雨が適当に手を動かして例を示した。
「彼女の妖刀の能力は雷。其れを飛ばして攻撃に使うんじゃなく、速さの為に一工夫加えたのでしょう。脳から伝わる信号に、雷の妖力を上乗せた。身体強化に加えて脳の身体への命令速度を上げる。此れに由って星命院は、正しく電光の素早さと成ったのです」
「へー、そんな使い方も出来るんだ」
「ですが此のやり方は難易度が極めて高いので、下手に真似をしない方がいいです。僅かでも加減を間違えると、神経を焼き切り兼ねませんからね。彼処迄妖力を完璧に操作出来るのは、流石と言わざるを得ません。首席としての面目躍如といった所です。只……」
 氷雨の眼が、滄波を注視する。それはおよそ、上級生が下級生に向けるものではなかった。
「背後に回り込み、一撃で仕留めようとする星命院の動きを読んで、見もせず顎への一撃で倒した。此れが顛末です」
「裏拳一発でって事?」
「いや……、最早殴ってもいませんね。真柄が殴れば文字通り顔を潰せた筈です。何なら怪我をさせない様に気を遣ってすらいました。星命院の顎が来る所に、拳を置いておいただけ。自分で高めた速度で自分から真柄の拳に当たった結果、脳震盪を起こして彼女は倒れた」
「ふえ〜、凄〜」
「ええ、でも本当に驚くべきは、真柄が妖刀に手を掛けてすらいなかった事です」
「「「「あっ」」」」
 解説に聴き入っていた四人の声がハモッた。脇で驚く余計な三人に眉を顰めるが、氷雨は其の儘続ける。
「真柄は鯉口を切っていない……。つまり肉体が強化されていない状態で星命院の後の先を取った。こんな事、普通は出来ません」
 禍物と戦う侍にとって、妖力で肉体を強化するのは呼吸をするのに等しい程当たり前である。素の状態では禍物の暴力的な強さに対抗出来ないからだ。
 妖力に由る強化の有無は天と地程の差を産み出す。妖力強化有りの貧弱なド素人と妖力強化無しの熟達した格闘家が戦えば、十中八九は前者が勝つと言われているのだ。
 ましてや妖刀を持つ方が素人でなければ不利の多寡は言わずもがなである。普通ならば。
「星命院の電光が如き加速、其れに合わせるのは妖力で強化された身体でも難しいでしょう。妖刀を抜かずにやってのけるには本人の肉体的素養だけでなく、相手の動き出しの起こり、自分が動き出す時機、其れ等全てを逸さずに見極めなければなりません。真柄滄波……、奴は只者じゃないですね」
 言い終えた氷雨は左腰の妖刀を握り締めていた。其の胸中は推し量れないが、面差しは戦士の其れである。
「成る程ね〜。あ、真柄君、もう行っちゃうみたい。氷雨ちゃん、私、挨拶して来るね!」
「はい……、って、ええ!? 今からですか!? お、お待ちなさい、香姫様! 私も行きます、行きますから!」
 足早に其の場を去る少女を追い掛ける生徒会長。其の姿からは仕える者の気苦労が感じられた。
 残された一―四の三人は其の場から動かずに居る。少しの間無言だったが、今回は阿川から口を開いた。
「秋野」
「ん、何?」
「入学初日にさ、お前、下手に真柄に喧嘩売んなとか言ったじゃん」
「うん、言ったね」
「俺、絶対に真柄とだけは喧嘩しねぇわ」
「其れがいいと思うよ」
 滄波の武威に打ちのめされた二人は逆に晴れやかな面持ちである。
 しかし田中は其の顔を曇らせていた。
 遥か先を行く同級生と、挫かれた自信。成績の数値でしか物事を見ていなかった己を恥じた。
 軈て立ち上がり、屋外訓練場へと足を向ける。
「田中、どした?」
「稽古だ」
 阿川の問いに素っ気無く答え、振り返らずに歩き去った。
「やれやれ、軍人さんの子供は、やっぱ真柄見てると穏やかじゃないんかね?」
「あんたも最初はそうだったじゃないのよ。まあでも、私達は帰ろっか」
「そだな。なあ、帰りに蕎麦屋寄ってかん? 割り勘で」
「其処は誘った方が出しなさいよ……」
 席が前後の此の二人、何だか仲良く成った様である。学生らしい会話に花を咲かせながら、帰途に着いたのだった。

★ ★ ★

 教室への廊下を滄波は一人歩いている。途中すれ違う生徒や教師の何人かが、目を逸らしたり道を勝手に開けたりした。
 一々気にせず歩を進めていると、ふと窓の外に視線が行った。もう空は日が沈み始めている。まだ明るいが街灯がちらほらと点(とも)っていた。
(暮れ泥(なず)む……、ううむ、暮れ泥む、茜の空の……)
 思案顔に成って其の場に立ち止まる。先程の手合わせの時より大分真剣な表情だ。
(暮れ泥む、秋の茜の……いや、今は春だ。暮れ泥む、夜長に向かう……、ううん、何か違うな)
 滄波は歌が好きである。古の名歌を好むが、自分で考えると中々いい歌が浮かばない。
 頭の中で単語を組み合わせ、渾身の一文を産み出そうとする。
 其の時、ハッと閃いた。
(此れだ! 此の歌だ! 暮れ泥む、春の夜長へ)
「真柄滄波君!」
(っ!?)
 急に声を掛けられ、振り向くと其処には息を切らせた少女と生徒会長が居た。片や可愛らしい印象を受けるのに対し、会長の方は武人然とした眼差しを滄波に向けている。
 呼んできた少女がこちらに近付き、両手で滄波の右手を握る。
「手合わせ見てたよ! すっごく強いんだね! 私、感激しちゃった!」
「はあ、其れはどうも。ええと、あなたは?」
「あ、ごめんごめん! 名乗るのが先だったね!」
 手を離し、一歩下がって言動とは裏腹に優雅なお辞儀をする。
「私、香姫! 二年の東山香姫(とうやまこうひめ)よ! あなたが鏖戦の剣聖、真柄滄溟の御子息だって聞いて、居ても立っても居られずに挨拶に来ました!」
 士練館に入って、此れ程迄に清々しく挨拶された事は無い。父親の名前を堂々と出されているが、嫌味さを全く感じなかった。
 そして少女の名を聞き、「ほお」と少し驚いた。
「東山という事は、東山元帥の?」
「そう、孫だよ! 今の元帥は私のお祖父様!」「また孫か……」
 今日は矢鱈と軍の高官の身内(特に孫)と出会う日だ。此処は士練館だから仕方無いと言えば其れ迄だが。
「真柄君?」
「ああ、失礼。しかし、元帥閣下の御令孫とは。敬礼した方が宜しいですか?」
「いいのいいの。此処は学園で、私達は同じ学生なんだから! 気兼ね無く仲良くしてくれると嬉しいな!」
 人好きのする笑顔を向けてくる香姫。驕るでも誇るでもなく、只の事実として元帥の孫である事を言った。其処に衒(てら)った様子はまるで無い。
 同じ軍の高官の孫で此の違いである。何処ぞの勘違いした馬鹿に爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
「あなたが東山家の方という事は、生徒会長は」「察しがいいな。私は香姫様付きの護衛兼お目付け役、矢牛氷雨だ。宜しくな」
 差し出してくる生徒会長の手を取る。握る強さから、友好的とは言えないものが伝わってきた。
「宜しくお願い致します、生徒会長」
 握力を受け止めつつ、滄波はにこやかに返した。
 手が離れてお互いに視線を交わす。其処に男女の浮付いた心は無く、氷雨は武士としての眼で滄波を見定めている。
 緊張感を知ってか知らずか、香姫は朗らかに氷雨を紹介する。
「氷雨ちゃんは子供の頃から私に付いててくれてるの。一つ上だから学園では先輩なんだけど、昔から一緒に居るから私にとってはお姉ちゃんみたいな感じかな」
「恐れ多い。勿体無きお言葉です」
 先輩、生徒会長という身分に関わらず、氷雨は香姫に礼節を尽くしている。飽く迄従者として仕え、侍り、護っているのだろう。余人には計り知れない親愛の情が垣間見える。
 氷雨について語る香姫の声も自慢げだ。だが、此処で一つ爆弾を投下した。
「氷雨ちゃん、勉強もよく出来るんだけど、其れだけじゃなくてとっても強いんだ! 真柄君とどっちが強いかなぁ?」
「……っ!」
「…………」
 天真爛漫な一言。焚き付ける意図も無く、只の好奇心から発せられたのだろう。
 氷雨は眉をピクッと動かしたが、努めて平静を保っている。滄波はと言うと、顔を全く動かさなかった。
 ピンと張り詰める空気。其れは長くは続かず、氷雨はやんわりと主を嗜めた。
「香姫様、力とは徒に競うものではありませんよ。急にそんな事を言っては真柄が困ってしまうでしょう」
「あっ、そっか。ごめんね、真柄君。変な事言って」
 悪気の無い香姫に、滄波は別に怒る事も無い。
「お気になさらず。しかし、生徒会長も相当にお使いに成る様子。流石は東山家の警衛を担う矢牛家の侍だ。東山先輩、良い護衛をお連れですな」
「えへへ〜、でしょでしょ〜」
 氷雨が褒められて嬉しそうな香姫。だが、氷雨の胸中は若干ざわ付いていた。
(敵わないとは言わんか)
 侍養成校、士練館学園。其処の生徒会に入るには、勉学だけでは不足する。生徒会役員は皆が皆、一角の武人が揃っている。其の頭目である氷雨は誰もが認める強者だ。学園で五指に入る実力者だろう。
 其の矢牛氷雨を前に、暗に自分は劣っていないと言っている。
 言意に生意気と思えず、事実と感じさせる強さが滄波には有るのだ。
 平然とは言えない心境の氷雨を置いて、香姫は楽しそうに話し続ける。
「いや〜、でも真柄大将の息子さんと同じ時期に学園に通えるなんて嬉しいな! お祖父様からよくあなたのお父様の事は聞かされていたのよ」
「ほお、父の事を。元帥閣下はなんと?」
「こう言っていたわ。鏖戦の剣聖、真柄滄溟。あの男程、信頼出来る軍人は居なかった、と」
「……そうですか」
 自分の物心付く前に居なくなっていた父親。其の男は國軍の頂点から、怖れるでもなく、阿(おもね)るでもなく、至純の信頼を寄せられていた。其れを聞いた滄波の眼は、何処か懐かしそうに此処ではない遠くを見ている。
 悲喜交々、まるで過去に想いを馳せる様に。まるで自分の事を聞いたかの様に。
「真柄君……?」
「……元帥閣下から其の様な御信頼を賜っていたとあらば、亡き父も草場の陰で喜んでいる事でしょう。聞けて良かった。東山先輩、有難う御座います」「……うん! お祖父様も真柄君が士練館に入ったって聞いたら喜ぶと思うな。お祖父様、ああいう立場だから色々と苦労してるけど、真柄大将の事を話す時は優しい笑顔だったから……、って、ちょっとごめんね?」
 香姫が制服のポケットから振動する端末を取り出す。操作すると、慌てた様子の声が滄波や氷雨にも聞こえてきた。
「もしもし? うん、どうしたの? ……あれって今日だったっけ? うん、解った。今から行くね。そんなに慌てなくても大丈夫よ。じゃ、また後でね」
 通話を切り、香姫は残念そうな顔に成る。
「うう〜、真柄君、ごめん。私此れから都知事との食事会に行かなきゃいけないの。あ〜あ、もっとお話したかったな〜」
「いやいや、謝る事無いですよ。大事な用なのですから、私に構わず行って下さい」
「うん……。ねえ真柄君、此れからも時偶(ときたま)お話出来ないかな? 私、真柄君の事も聞きたいの」
 派閥を作りたいだの政治的野心だの関係無く、醇乎たる興味関心を向けられる。東山家のお嬢様は随分無邪気な天質らしい。
「ええ、其れは勿論。私も未来の上官とは仲良くしておきませんとね」
 冗談めかした言葉に香姫は顔を綻ばせた。
「あははっ、上官かはともかく、一緒に戦う事は有るかもね! じゃあ、またね! 氷雨ちゃん、行こ。車もこっちに向かってるって」
「はっ」
 小走りに去る香姫に付き従う氷雨。一瞬、ほんの一瞬だけ、滄波に眼を向ける。油断無く、警戒心を滲ませる視線だ。
 其れを見送った滄波は、不快がるでもなく感心していた。
「侍衛として正しい心持ちだ」
 若人を褒めるかの様な口振り。何なら嬉しそうな声色である。
 再び教室に戻ろうとする。だが其処で或る事に気付いて頭を抱えた。
(さっきの歌……、忘れた……)
 入学して三日、真柄滄波が初めて表情を曇らせたのは、そんな理由だった。

サポートして頂けたなら大変有難く思います。更なる創作に活かさせて頂きます。