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第38回 義母を慕うストーリー

紫式部は少女の頃から『源氏の物語』(当時はこう呼ばれていたそうです)の構想を考えていたでしょうが、光源氏が義母・藤壺と通じるというのはいつ頃、発想したのでしょうか?
どこから書いたかも、千年前の話ですから、諸説乱れ飛んでいて、「須磨・明石から書いた」とか「いややっぱり桐壺から書いた」、その他からと賑やかです。
しかし義母と通じるというのは穏やかではありません。ましてや皇室を舞台としています。ただショッキングな話題なので読者は大いに興奮したことでしょう。

これは夫宣孝の死後、その息子隆光に懸想された事が最後の引きがねになったかも知れませんが、それ以前から、歌人伊勢が宇多法皇の想い人でありながら15歳も年下の、その皇子敦慶親王(光の皇子と呼ばれていたそうです!)から言い寄られ、女児(中務)を産んでいます。
義母と通じ、子供を産むというのは、ままあった話だったのでしょうか?

現在でも、ネットの相談欄などを見ると「妻の母と関係を持ってしまいました。どうしたらいいでしょうか?」などがあったりして、身近な人に恋をすると、ややこしいというのは分かっていても抑えられないのでしょうね。(続く)

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