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第115回 厳島神社の改修

仁安3(1168)年10月、讃岐に着いた西行は、空海ゆかりの善通寺や満濃池に寄った後、崇徳上皇が眠る白峰御陵に行きました。
「これでは・・・」
粗末な土が盛っているだけの墓でした。
「上皇様がお亡くなりになってすでに4年。これではいかぬ」
上皇の霊が夜に出てきて西行と話したと、江戸時代の『雨月物語』では創作されています。
「院様、さぞご無念でございましたでしょう」
祈った後、西行は帰京し、知己の清盛に面会し、墓の窮状を訴えました。
「分かりました」異父兄弟に当たるかもしれない崇徳上皇の墓は改修される事になりました。

その話を聞いて、11月になって厳島神社の神主・佐伯影弘(かげひろ)が神社の修築を訴えにきました。
「音戸の瀬戸もお見事に改修なされました。つきましては、厳島神社も美しい社にして下さいませ。平家の氏神として相応しいような」
平伏する影弘に清盛は言いました。
「やりましょう。奈良の春日大赦に負けぬような、そして海に浮かぶ日本一の美しい神社にしますぞ」
それだけの財力と勢いのある平家でした。(続く)

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