副腎に求めよ。関心のない所にこそ重要なものがある。

 「副腎に求めよ」とは、僕の師匠、名郷直樹先生(武蔵国分寺公園クリニック院長)の言葉である。副腎というのは、もちろん臓器の副腎のことであるが、この言葉はあるエピソードに由来している。

 副腎白質脳症という代謝性疾患がある。まだその病態も解明されていない頃、名郷先生の師匠であった五十嵐正紘先生によって、その欠損酵素が発見された。

 脳症の研究は、病因の解明のために、亡くなった患者組織から研究サンプルを得ようとする。当時、副腎白質脳症の原因は誰しもが脳にあると考えていた。したがって著明な研究者たちは、脳や脊髄など脳症と関連してそうな組織や臓器から研究サンプルを採取していく。日本から留学してきた五十嵐先生が研究サンプルを得ようとしたときには、副腎くらいしか残っていなかったそうだ。しかし、誰も見向きもしなかった副腎から副腎白質脳症の欠損酵素が見つかった。

 大事なのは、欠損酵素を見つけたということではない。誰も関心を向けなかった副腎を調べたということだ。物の見方、感じ方、あるいは考え方を基本的なところで規定しているのは、僕らが所属している集団の関心である。それは常識的な価値観といっても良い。

 しかし、常識的な価値観を一度カッコにいれ、誰しもが関心を向けなかったところに視線を向けてみる。物事の前提を疑い、自分の目で確かめてみる。常識の名において主張されうる全てのものに対して批判的に物事を考えた先に、それまでの価値観を大きく変革してしまうような偉大な発見があるものだ。

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