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ひとりぼっちの宇宙人─ウルトラセブン視聴記─ 零下140度の対決 (1)

ひとりぼっちの宇宙人 
─シューチョの『ウルトラセブン』視聴記─
第25話「零下140度の対決」[A] (1)

本話は『ウルトラセブン』の作品世界について考える/語る上で最も重要な挿話の1つです。その重要度は、有名な最終話「史上最大の侵略」と同等といっていいくらいです。
 
一言で言えば、
 
「零下140度の対決」は、『ウルトラセブン』全体の中心かつ要約になっているのです。
 
「中心」というのはもちろん第一には内容に関してですが、単純に形の上でも全49回のうちの第25回というのはちょうどぴったり真ん中!なのです。
 
ウルトラセブン、モロボシダン、友里アンヌ、ウルトラ警備隊、地球防衛軍、侵略宇宙人、怪獣…といった存在の意味とそれらの相互の関連・必然性が、過不足なく示されていく。「これらが登場する物語ならばどのような物語になるか?─このような物語になる」という、活性フィクションの本質的な問いと、それに対する優れた回答=帰結が示される。もちろんそれが、一つの感動的な物語展開を通じて示されるのです。その様子はまことに圧巻であり、活性フィクションの極みです。
 
そうです、まさに最終話「史上最大の侵略」もそういう挿話なのです。ただ、本話は「史上最大の侵略」に比べてはるかに地味で渋い出来映えであるために、見過ごされ、誰にも注目されないまま今日に至っているのかもしれません。これまで、『ウルトラセブン』に言及した関連本やネット上の記事等には可能な限り目を通してきたつもりですが、本話の内容に関して私と類似の読解がなされているのを見かけたことが未だにありません。私のその読解について、具体的には次の (2) で書くことにします。
 
ウルトラに限らず特撮に限らず連綿と作られてきたあらゆる「一話完結の連続TVドラマ」の中でも、このように「作品全体の本質をすぐれて要約した挿話を自己に内包している」ということはめったにないでしょう。しかもその自己要約の挿話における感動自体、まさにそれが自己要約であるからこそ起こる種類のものとなっている。そういう連動があるのです。ここまでのことって、TVドラマ史上唯一なのではないかとさえ勇み足的に予測したくなります。「全TVドラマ通史」とかになるとさすがに私の手には余る仕事で、証拠を示すことができないいんですが…。
 
また、「要約」であるということは、本話の真価は、他の挿話に複数に渡って触れてこそわかる種類のものであるということです。ここは、それだけを見ても十分感動的な「史上最大の侵略」との違いになります。
 
私の世代のいわゆる「若者言葉」として「しぶい」「しっぶぅ!」というのが、地域限定的かどうか、一時期流行りました。今どきの「ヤバい!」とほぼ同様の意味といってよいかと。「零下140度の対決」の良さ/凄さへの詠嘆の一言を発するとすればまさにこの「しっぶぅ!…」がふさわしいと思っています。

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