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月夜に。


仕事おわり、エレベーターを降りて家路へ急ぐ。
まだ明るい、外はむんと暑さの残る夏の夕方。
と、後ろから呼び止められた。
「山川さん。」

振り返れば、長身のスーツ姿の中西さんだった。

「お疲れ様です。」
「お疲れ。今帰り?」
「はい。どうかされました?」

横並びになると、私の視線は彼の肩あたりで、水泳で鍛えた広い肩幅に、つい過去の腕枕を思い出したり…、なんて、もうしない。

「いや。俺も今帰り。」

行き先も同じ方向で、当然のように並んで歩くこの男は、かつて私が懸命な恋をした人、だった。


「リョーコ、綺麗になったな。」
「急に、何?」
「いや、こないだの浴衣とかさ。俺、実はあん時ちょっとときめいちゃってさ。」
「やめてよ。」
「いや、マジで。俺、ちょっと後悔したりして。アホやったな、とかさ。」

彼、中西タケルのことをひたすら待って、ネクタイを緩ませる仕草や、骨ばった指にのこるタバコの匂いや、わがままに強引に求めてくる彼が好きだった頃。追いかけて、いつでも待って、自分のことよりも彼を優先するうちに、私は、結局、ただの都合のいい女になっていた。
私が律儀に彼を待つ間に、スーツの似合うこの口のうまい彼は、ちゃっかり他で、婚約までしていたのだから。

「何言ってんの。帰ったら、温かい夕飯が待ってる既婚者が。」

「…ぃや、結婚ってな…。つくづく自由とかねぇんだな、とか。俺、病んでるかも。」

そう言って、タケルはクイとアゴを上げて、ネクタイを緩ませる。作為的。そういうやつ。
もう、そんな仕草になびいたりなんかしない。

「そういうものでしょう?一緒に生きていくって決めたんだもの。」

「まぁそうだけど。なんかリョーコ変わった?」

「守るものができれば強くもなるでしょうよ。
お疲れ様、お先に。」

そう言って、さっさと足早に駅の改札を通った。

かおるくんのいる家へ帰る。あの男のせいで、ボロボロになっていた私の前に現れて、だだただ寄り添って、背伸びなんかしなくても、どんな私でもそばにいてくれた人の元へ。

          🌌


首に絡まるりょうこさんの両腕。
熱のこもった吐息が、煽るように耳にかかる。

「かおるくん、もっとして。」

いつにも増して積極的なりょうこさんは、どんどん満ちて、僕は、りょうこさんの海を泳ぐ。
波打って、息継ぎをして、声が漏れて、何度も何度も名前を呼ぶ。

好きだとか、愛してるだとか、それよりもっと、言葉を探して手繰り寄せる。

震える僕を優しく包んで、
やがて、
とぷんと、二人、揺蕩う。

          🌠


「かおるくん、私のどこが好き?」

皮膚を隔てただけの二人は、穏やかな呼吸の上下に揺れながら、囁く。

「んー、全部。」

「そうじゃなくて。なんで好きになったの?」

「んー、なんだろう…。なんか、この人はもっと『愛されるべき』だって思ったんだよ。」

「愛されるべき…。」

「りょうこさんに初めて会ったとき、この人は、もっともっと愛されて、もっともっと満たされているべき人なんだって思った、気がする。」

「すごいね。愛されてると思う。今すごく。」

「そりゃあ、もう。ふんだんに。」

満足そうにニッコリ笑うかおるくんの、柔らかな髪を優しく梳いて、瞼にキスをする。

月夜に寄せる波は、凪いで。

「りょうこさんは?僕のどこが好き?」

聞きながら、今にも眠ってしまいそうなかおるくんの頬を、愛しく撫でる。



「顔。」


ふふふ。

微笑みのまま眠りにつく夜。

月夜。



#りょうこさんとかおるくん




浴衣のりょうこさんはこちら。



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