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大乗仏教

菊谷隆太先生と言う方をご存知ですか↓Click↓


仏教を通して世俗をよりよく生きるための講座を開いている方です
この方のYouTubeを見るたびに
大乗仏教は洗練されているなあと思います。

めちゃくちゃためになるので是非見て下さい。

 大乗仏教はヒラタク言って見れば日本の仏教です
基本的に歴史という学問は色々ある過去に関わる物的証拠を掻き集めて
こうだったと“言われる”ことを、一応これが現状事実と近いのではなかろうか
と言う事を語る学問かと思います。

 概ね事実と言われるのが、古代インドで仏陀が生まれて、世の中は諸行無常と言い出して、全てが苦しみと言い出して、そこから脱出して、自分の人生これでいいのだと思える方法として自分の感情をメタ認知して、五感にフォーカスする事を提唱したと“言われる”。
 その後中国経由で仏教は日本に伝わる、その伝わっていく上で、宗教化していく上で色んな負荷価値がついて、変化したものが大乗仏教(大きく乗れる=庶民的)だと言われています。この大乗仏教も世間の需要に合わせて様々なスタイルが生まれました。
 反対にインドに残って、タイとかミャンマーに伝わった仏教をテーラワーダとか上座部とか、大乗仏教と違ってポピュラーじゃない、庶民的じゃないと言うディスる意味で小乗仏教とか言ったりします。

今、逆になってきた?

 前述にあるように、大乗仏教は庶民的、ポップだと触れて、テーラワーダの方が小乗、みんなが乗れないと説明しました。
しかし、最近流行ってるのはマインドフルネス、言わば小乗仏教を西洋人が科学的に解釈したメソッドの部分が、現代はポップなのかもしれません?何故?

1つは中世日本の無学な庶民にとっては、神とか鬼とかがいる、ドラゴンボールやワンピースの様な付加価値の“ストーリー”のある、オカルト的な面白みのある仏教の方が、単純にウケたわけです。

2つ目に、現代、科学が発展して逆に、若者はストーリーやオカルトな要素があると“怪しい”と言う目線で見てしまうことが大きいのかな、

と思います。
科学的な裏付けがないと信用できないね、と。

大乗仏教、小乗仏教、2つの違い

小乗はメソッドありきなのだと思います。しかしこの一重に小乗と言っても、マインドフルネスや毎回参考のこの反応しない練習の様な、宗教性をほぼほぼまるまる取り去ったメソッドとも別れると思いますあります。こちらは、体ありきのメンタル肉体健康法、かと思います。

元プロ格闘家のワタシに目線で格闘技に例えるなら、ジムで実際に体を動かすことで、格闘技を理解する先生や生徒の集団、なのかなと思います。

 伝統的テーラワーダはこれに少し伝統的宗教要素を残しています。日本テーラワーダ協会は、ちょっと大乗仏教をディスる性質があるのかなと客観的に思う。
ワタシは禅僧、やはりノンジャッジメンタル、良い悪いで判断はしない。しかし日本テーラワーダ協会は大乗仏教を良い悪いで判断する性質を持っっている。それだけ。これが良いことなのかは読者さんの判断に委ねますが、わかると思います。
歴史的にはこうだと言われているここを強調したのも、これこそが真実の教え、なんてものはないと言うアンチテーゼです。

 この様に小乗仏教も時代にマッチしたマインドフルネスや反応しない練習の様な変化が見られるのかなあ。ならば菊谷隆太先生の講座も、広い日本の仏教の、便利な処世術を優しくロジカルに現代語で解説してくれている講座、大乗仏教の現代風変化なのかなあと思います。

 現代の大乗仏教をさっきみたいに格闘技に例えるなら、わざわざジムに通わなくても口頭で伝えられる便利な護身術なのかもしれません。痴漢にあったら速攻的に金的を蹴る、とか、口伝で聞けば、わざわざジムに通わなくても、格闘技の智慧で便利に身を守ることがでいる。
 現代版小乗仏教のマインドフルネスは、ジム通いありき、かと思います、こう考えると“小乗”なとこもあるかもしれない。絶対、体を使うことがセットになる。
 なので以前フェルミ漫画大学の反応しない練習書評を、賛美しつつ、花は花、大便は大便と言いました。体ありきではないと別物なのです。

 

従って、菊谷隆太先生のYouTubeと大乗仏教は
講座だけで人生に役立つ、洗練された教えと思いました。

いつも賽銭箱おいてます。↓

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