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100万人のために唄われたラブソングなんかに、僕はカンタンに想いを重ねたりはしない

インフルエンサーとか、アルファなんちゃらってひとたちが。

そういうひとが、いるだろう。よくTwitterのタイムラインで見かけたりして、おお、すごいなぁ。いいこと言うなぁこのひと、ってなんとなく好感を持つようなすげーひとたちだ。ついつい気になって、色々見てしまったり、フォローしてしまったりしないか。

申し訳ないのだが、わたしはそういうひとに対してまったく興味が持てない。いや、「いいこと言うなー」とか、「そういう考えかたあるんだ、すげー!」とか、そういう気持ちはもちろんある。たまにだけど、リツイートもする。ただ、フォロワー(Twitterではなくて、本来の意味での)になろうという気持ちはないのだ。あとそれからついでに言えば、Twitterもフォローはしない。

意識がひくいのだ。インプットもアウトプットもそこそこでいい。なんならnoteだって「なんかみんな意識がたかそうでいやだ」とつい先日まで拒否反応を示していたくらいだ。もうなんというか偏見がすごい。

それを承知で読んでいただきたいのだが、すごそうなひとの意見って、なんかキラキラしているだろう。あまり影響を受けたくないのだ。たまーに入ってくるくらいでちょうどいい。自分もやらなきゃ!がんばらなきゃ!っておもうのがいやだ。じゃあ逆に「そのままでいいんだよ」みたいなこと言われても、「そんなわけねぇだろう」っておもってしまう。甘やかされすぎるのもすきじゃないのだ。話したことも会ったこともないおまえに、いったいおれのなにがわかるんだっておもう。まったく人間がゆがんでいる。めんどくさい性分である。

たとえば、本であったりとか、音楽であったりとか、そういうものはわたしもすきだ。ただ、その作者にまで興味を持てないのだ。なぜなら作品と人格は別である。自分のすきな作品を作っているかたが、自分のすきな人種であるとはかぎらない。自分がそういうバイアスによって、作品を見てしまうのもいやなのだ。わたしはただ、作品のファンでありたい。作者の意思は、作品から漏れ出てくるだけでじゅうぶんだ。好きなバンドのTwitterはもちろんフォローしているけども、あまり入れ込みすぎないように意識をしている。そりゃまぁ、いいねぐらいはするけども。

わたしは半径5mの世界で生きている。いや、そんなわけはないのだけれど。SNSを使ってしまえば、それこそ何千、何万km先のひととも話ができてしまう時代だけども。心の距離はそのくらいでいたいのだ。常に触れていたいわけではない。でも、手を振れば見える。呼べば聞こえる。そんな距離感の世界で生きていきたい。

わたしが繋がっているひとは、みんな「友達になりたい」とおもって繋がったひとばかりだ。そのひとたちのことは、深く知りたいとおもうし、もしわたしのことを知りたいとおもってくれたらうれしいな。そういうひとたちのことばがほしいのだ。耳障りのいい、不特定多数に向けたメッセージはいらない。友達が「そう言えばこの前、本で読んだんだけどさ~」って紹介してくれるくらいの、リツイートで回してくれるくらいの距離感でいい。

このnoteだって、友達の友達で、たまにTwitterのタイムラインに流れてきていたひとたちの作品を読んで、このひとたちと友達になりたいなって思わなければ。センスがすてきな友達が、「noteで書いてみようとおもう」って言わなければ。ブログの趣旨には合わないけど、どうしても書きたい話を、夜通し友達としなかったら。くだらない自分語りをする「恥」を捨てなければ。どれかひとつでも欠けていたら、きっと始めていなかったはずだ。

これがいいのか、わるいのかはわからない。でも、わたしの世界は、わたしがつくるのだ。わたしがすきなひとたちと、つくりたいのだ。

#エッセイ #日記 #コミュニケーション #人間関係 #note #ライフスタイル

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