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母と暮せば(「ピカの子」あとがき)【舞台】

一年前、井上ひさしさん原作の「母と暮せば」と言う長崎原爆から三年後を描いた作品の舞台を見に行きました。
その作品に出会って、私の「作品を残す」と言う概念がはっきりと変わったことを覚えています。
それまでは、共感するもの、面白いもの、感動するもの、きゅんとするもの…そう言った「楽しい」ものを作品として作っていけたらいいなあと思っていました。
もちろん今もそれは変わっていないし、楽しいものを届けることこそエンタメだとも思っているけれど、「作品を残す」はそれだけじゃなかったのです。
舞台「母と暮せば」は、残酷でした。
見ていて本当に、苦しかった。辛かった。怖かった。
でも、その中でもほっこりと笑顔になる瞬間も確かにあった。
それは、あの頃戦争や原爆を経験した方々の心情を忠実に描いているように思えたし、とにかくリアルだった。
絶対的にもう見たくない。絶対的にもう感じたくない辛いこと。
でも、それは、確かに起きていた。そこにあった。
そしてそれは、決して風化してはならないし消してはならないこと。

原爆や戦争経験者達の生存が少なくなった今、その頃のことを「今」の人達に伝えられるのは誰だろう。

それは「作品」しかないのだと思った。
「作品」を生み出そうとしている今生きてる私たちがやらなければいけないことなのだと思った。
目をそむけたくなるようなことでも、そうやって物語や音楽や絵や言葉……何かしらで、生きてる限り、作り出せる限りは伝え続けなければならないことなんだとはっきりと気付いたのです。

「母と暮せば」に出会うまで、恥ずかしながらそのことに気付けませんでした。
大好きなMONGOL800がいつも愛国心のある曲を必ず新譜のアルバムの中に一曲は入れ込んでくるのだけれど、とてもかっこいいけどどうしてそこまで残そうとするのか?正直わからなかった。
でもきっと彼らは沖縄で生まれたことによって、幼い頃から敏感にそれを感じていたのだろうし、伝え続けることはいい意味で当たり前のことだったのだと思います。

この「ピカの子」は、「母と暮せば」に完全に影響を受けた作品です。
長崎原爆から11年後を描いています。
昨年の執筆学校での課題で書いたものですので、ぶつ切り(課題は作品の途中を描くと言うもの)ですし、自分のできる範囲で当時のことや方言含め沢山調べて書きましたが、事実と異なることは多々あるかと思います。
なので、フィクションです。
フィクションですけど、今生きている私が伝えなければいけないことです。

(この作品で万が一不快な思いをされる方がいらっしゃいましたら、本当に、申し訳ございません。力量不足だと思ってやってください。)


ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

少しでも、今を生きる人々に届きますように。

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