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自分の存在の矮小さにつぶれた夜

30代も半ばになって思い出すあの頃は、もうすでに遠くなってしまっている。

細かいことはほぼ思い出せない。

死にたくなった夜があって、思うさま泣きじゃくっていたことだけが他人事のように記憶にある。

今でも死にたいと思うことはあるけれど、昔ほどの切実さはない。
疲れたり、思うように行かなかったり、理不尽だったりすることはあって、ふらっと死にたいと言葉だけが滑るように流れるだけだ。
包丁をじっと眺めてもの思いに沈むような昏さとは無縁の物だ。

それは多分私が成人、というか母親がいないと何もできない子供ではなくなったからだと思う。
小学生の頃だな、本気で死にたかったのは。

それでも死ななかったのは、当時の私にとって死ぬことは私が生存していることを証明する最終手段であったから。
私が生存するとは、自分の意志のままに何かを決定できることだろうと思う。他人の操り人形として不自由なままでいるのは、死んでいることも同然だったのだろうと思う。
精神が死んでは、肉体の死に意味を見出すことはできない。
精神が死んだとき、生存を示すのはその肉体の死をもってしか証明されない。
肉体の死を、死につつある身体の温かさを知り、生在していたことを知るのだ、きっと。
意味のない死と生存の確認。

そして、精神はずっと自由を求めて自由になりたくて、自由になることを、多分、諦めていなかったから。
だから、死ななかった。
死にたいと思い詰めていたときは、死ぬことしか私の思いのままになることはないような気がしていた気がする。大袈裟だけれど。
(死ぬことすら私の思いのままにはならなかったが。私はよく怪我をして膝をすりむいた。運が悪いときは、膝を突いたのが道路の側溝にある金網の部分で格子模様に膝がえぐれて白い筋の部分が見えたりした。それがどれほど痛くとも死ぬ気配の欠片すら感じられないのに、本当に死ぬとなったらどれ位痛いのか想像もつかないのだ。死ねるはずがない)

死んで窮屈でままならないこの生から逃れられるのは幸せなのかもしれないと夢想した。
そのときどきの悲しみや苦しみからいちどき自分を自由にするための夢想だった。

私はなぜだか分からないし、覚えていないけれど、母親をすごく気にする子どもであった。
母親の負担になるようなことを避ける子どもで、何をするにも母親の許可がなければ動けないような子供であった。学校で友人に遊びに誘われてもyesと言えなかった。遊びに友人が家に来るのは徹底的にお断りであった。

本当にそのころ、小学校の頃は記憶がおぼろだ。忘れたいんだろうと思う。

中学校に入って本を、それもファンタジーの明るい物語、クレヨン王国物語を夢中で読むようになって自分だけの世界を持つようになって、変わったと思う。
母親を客観的に批判的に見られるようになって、ただ従順に従うことがアホらしくなった。

心が自由になった。行動はかわらなかったけれど。
相変わらず母親の負担になるようなことは避けていたーー母親の小言を想像して、母親の小言につきあって自分が疲弊するのが分かって嫌になったからーーけれど、どこの学校に進学するとか放課後に友人と遊ぶとか自分のことを自分で決めるようになった。母親の要望ものむときも、自分の意志で飲んだ。決めたのは自分だ。堪え忍び平穏を望んだのは自分だと、沸き上がる不平に言い聞かせた。

中学校で図書委員長というような「長」のつくような役職を与えてもらって人前で話したりすることができたことも大きかったとったと思う。

私は今でこそ、そのような役職に就けたこととか自分にそれなりに学力があることなどに対して、多分に母親の教育が良かったのだろうと、母親とのことを幾分肯定的に認められる。

しかし、当時、自分で自分のことを決めるようになって、私は母親を蛇まむしなどの如く嫌いになった。

だがその反発も自分で自分のことを決めるのには役に立った。

なにしろ、クソババアの思いのままに動くのが嫌で嫌で嫌でたまらなかったから、クソババアが文句言えぬほどの理屈を考えに考えて黙らせたのだ。強引で傲慢な理屈をこねくったようなものだと思うが。詳しくは覚えていないが、今、母親が少なくとも私の意見に耳を貸すようになってくれたのはこのときのもがきが影響している気がする。あくまで私見だが。私を考える子にさせたのは、間違いなく母親に対する反発心であったと思う。

死にたくなる暗い昏い夜は、思いきり泣いた。
頭がスポンジになるまで。
悲しいことも辛いことも不自由なことも母親も自分もどうでも良くなるまで、眠くなるまで。

お月様に祈った。
気が済むまで。
自分が哀れで可哀想だって幾分イタイ自分が恥ずかしくなるまで。

散歩した。
夜の静けさの中を。
誰かの家の暖かい笑い声を耳にしながら。

徹底して孤独を味わった。

私はただ独りであるとしみじみ味わった。

私の心は誰にも分からないし、分かってもらう必要もない。
私は私だけのモノで誰にも私を傷つけることはできない、私が傷つくのは私が感傷的な気分になりたいから。

私は独りでいることを、誰にも心を預けないことを誇りにした。多分。

自分を悲劇のヒロインに仕立てて愛してあげた。多分。

端から見ても,自分で振り返ってもイタイ方法だけど、自分の支配者は自分だって、自分に知らしめてあげるのは、大切だったと思う。

成長するための某かにに使わせていただきます。