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他人から見た自分と自分から見た自分

他人と自分との間には何があるのか

「私が言われたら、きっと大きく凹むと思って」
そう言われて、励ましのメッセージをもらうことがある。
そうかと思えば、誰も何も感じていないのに、自分一人で大きく凹んでいることもある。そんな時は「自分は弱い」などと思ってしまいがちだ。

他人から見て『凹む自分』と『大丈夫な自分』は、同一であり、且つ、不同一でもある。
「そんなに弱そうには見えなかったのに……」
と他人を表現するように、多くの人にとって『強い人』と表現する人は存在しない。ほとんどが『弱い人』ということになる。
それは、「誰から見て弱い人なのか」というと、「自分から見て弱い人」ということだ。
それなら、自分はそれよりも強いのかと問われれば、そんなことはない。果てしなく弱い生き物だ。
他人を通して傷つくくせに、他人無しでは生きられない。
他人の言葉で励まされるのに、他人の発した言葉に傷つく。
これ自体はなんら、不思議なことは無いのに、おなじ『言葉』に対して傷つくときもあれば、平気な時もある。
それを、周囲の人が『強いね』、『弱いね』と判断してくる。
なんとなく「強いね」と言われたら嬉しいし、「弱いね」と言われたら凹む。そんな、何気ない他人の評価にも、一喜一憂する。

自分と他人をつないでいるのは、なんだろうか。
自分と他人の間には、何が存在しているのだろうか。

それは、『言葉』ではないかと私は思う。

言葉によって一喜一憂して、言葉によってコミュニティを形成する。
それなのに、その言葉によって傷ついて、立ち直ることができないことがある。
こうした日々の言葉や、言葉に変わるような“コミュニケーション(ボディランゲージなど)”によって、コミュニティは成り立っている。
同じ言葉を発しても、その何気ない言葉に傷つく人は必ずいる。
どのような『言葉』であっても、それは同様だ。
なにげなく「私は○○が嫌い」というだけでも、誰かが聞けば、必ず傷つく人がいる。
そのことを、私たちは何となく気づいていて、言葉を発するときには注意して言葉を紡いている。

こうした『傷つく“誰か”に対して気遣って、言葉を発する』ことができない人のことを、『KY』と言ったり『変人』と表現していることがある。
昔は、『きちがい』と言ったりもした。
こうして表現された言葉は、どの言葉も、人を傷つける言葉である。
「言葉によって傷つける人に対して、言葉で傷つけている」のである。

「目には目を歯には歯を」
そんな言葉を地で行くような、傷つけ合う姿がそこには存在する。
だから、「優しい言葉を使おう」とか「発言には気をつけよう」とか、耳障りのいい言葉で、多くの人の共感を呼ぼうとする。
しかし、先ほども言ったように、どのような言葉を発しても、傷つく人は“必ず”いる。それは、間違いない事実である。
それならば、“どこを”、“どのように”気をつけたらいいのだろうか。
発言するたびに、「すみません、私が今から言うことは、まったく悪意はありませんし、誰か特定の人のことを非難するものではありませんので、ご了承ください」などと、前置きをしてから、話し始めるというのだろうか。
そんなことは、毎度毎度は無理なことであり、非現実的である。

自分と他人の間には、『言葉』などのコミュニケーションが存在する。
それならば、そうした一つ一つの発言を、揚げ足を取るように切り抜いて是非を問うのは、やめた方が良い。
世間では『切り抜き動画』が流行っている。
このたった一つの『流行』が、人間社会を破壊させることを自覚した方が良いと思う。
人間からコミュニケーションを奪い、コミュニティを破綻させる。
それによって失うものの影響は、“自分だけは関係ない”ということは、絶対にない。自分の身に、舞い戻って降りかかってくる。
自分で、自分の首を絞めていることにつながる。

人は『言葉』を使っている。その『言葉』に過敏に反応する。
それなのに、『言葉』を発するときは、ほとんどの人が、浅はかで軽率に発言している。
「この言葉を聞いた人は、どう思うか」
そんなことを考えるためには、『様々な人の視点』というものがとても重要になるのだ。
その『多くの他人の目』というものを勉強するためには、小説が良いように思う。
小説には、多くの登場人物が出てくる。それこそ、価値観や思想、職業や性に至るまで様々だ。
こういう人物にとって、この『言葉』は大きな衝撃を与える言葉だ。ということを知っているだけでも、人間力が高まるように思う。
わたしの周囲に限ってのことだが、他人に対して心無い言葉を発する人間は、小説を読まないような傾向がみられる。

本は、決して、『役に立つ』から読むのではない。
そこには、『人として必要な機微』を身につけることによって、多くの人の気持ちがわかる人間になる要素がまとめられているのだ。

多くの人は、人間関係に疲弊している。
わたしもそうしたように、他人と自分との間にある『言葉』を知ることによって、その人の立場になってみると、本当の自分の言葉を見つけることができるかもしれない。

言いたいことを言わずにいるのではなく、「言いたいことを言えるように、言葉を探すことを決して忘れてはならない」と、わたしは心がけている。

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