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読書は個人的な営みである

読書感想は人をコントロールする

本を読んで、感想を言う際には、自分の個人的な記憶と連動する。
それによって、読書感想というものは、個人情報に溢れてしまうことが多い。
こうした読書感想は、多くの人にシェアすることができない。
そう、発表するということが難しくなるのだ。
すると、読書会などで「感想を述べてください」などと言われると大変困る。
感じたこともある。思ったこともある。それによって生まれた意見もある。
しかし、発表することができない。
それにも関わらず、発表したとしても、とても個人的な内容となってしまい、聞いている人のほとんどに、自分の感じた温度感の半分も伝わらない。

こんなことが往々にしてある。
読書感想には、個人的な情報がつまり過ぎていて、初対面の相手などに言える内容であない場合が多いのだ。
だから、通り一遍の感想を述べてしまう。
しかし、そんな通り一遍の内容は、自分の頭で作り出した言葉ではない。だからこそ、そんな発表をしたことも、自分にとっては後悔の種になる。
「もっと、本当に思ったことを言うべきだった」と。
しかし、発表したらしたで、これも後悔する。
「せっかく思い切って発表したのに、かなり薄い反応しかもらえなかった。個人情報も言ったのに。こんなことなら、言わなければよかった」と。

つまり読書は、個人的な営みなのだ。
本来、誰かと意見を共有するべきものではない。
でも、本の内容は話したいと思ってしまう。
これが困るのだ。

本をエンタメとして楽しむ分には、誰かと共有することができる。
しかも、エンタメである以上、正解も不正解もないため、議論には発展しにくい。
話している相手と、楽しく話せるのなら、これほど面白いことはない。映画や演劇を鑑賞した時と同じように、その相手と楽しく意見交換ができる。
こうした会話は、相手との信頼関係を作り、多くの場合において、より深い関係への架け橋となってくれる。いい事づくめである。

本がエンタメの場合、と申し上げたが、そうではない場合はどうなるのだろうか。
エンタメではない以上、思想や思考に直接的に語りかけてくる内容の本である場合が多い。死生観や恋愛観、家族や友人の定義や人生観に至るまで、そのほとんどは「正解が存在しない」ものとなる。
当然ではあるが、私たちの多くは、こうした思想を持って生きているとは言い難い。
常に、「私はこう生きるんだ!」と、強く願って生きている人は少ないだろう。
そして、「こんなふうに死にたい」と決めている人もまた、少ない。
つまり、こうした内容に関しては、「答えがない」のも当然であるが、「自分でも答えがわからない」ものとなる。自分自身の進むべき道すら、決めることができずに日々を過ごしている人が多いのが現状なのだ。

つまり、こうした「自分でも定まらない答えのない問い」に対して、思想を植え付けることはかなり危険な行為と言える。
それこそ、「人をコントロールする」ことにつながるためである。
しかし、人は、人をコントロールすることが好きな生き物だ。
「あの人との出会いがあったから、私の人生は大きく変わりました!」
こんなことを言われたいと思っている人の、なんと多いことか!
“自分のおかげで、人生が好転した”
と、言われたいと思っているものなのだ。
これは、少し間違うと、他人をコントロールすることになる。
そして、自分にとっても、他人にとっても、それがベストの結果を生むとは、言い難い状況になることも多い。
それが、“恨み”になっていく。
最初は、お互いのためを思って、行ったことだったのに、結局いい結果を生むことができずに、結果的に恨まれてしまうのだ。
「俺の人生を滅茶苦茶にしやがって!」ということになる。

本にはこんな力があるのだ。
「この本に書かれていることは、全て正しい」
こう決めつけて読んでいる人は、意外にも多い印象がある。
特に、自己啓発書や、ビジネス書に顕著に表れる。
まるで悪い新興宗教のような扱いだが、宗教が悪いのではなく、どんな思想でも「その考え方が100%正しい」という思想は、偏った人間を生み出してしまう。
他人の意見を聞くことができず、自分の意見が一番正しいと思ってしまう。
そのため、正義感を振り翳して、「更生してやる」と言わんばかりに、他人の歩いている道まで正そうとする。
こうしたことから、議論が生まれ、やがて争うことになり、戦争へと発展する。
どんなことでも、思想をコントロールすることは、よくない結果を生むのである。

このような力を持っている『本』という媒体を取り扱うのだから、もっと慎重になるべきなのだ。
本に書いてあるからと言って、全てを正しいと思ってはいけない。
常に新しい意見を取り入れる姿勢だけは、崩してはいけないのだ。

読書によって、本の感想を語るときには、相手の意見を決して否定してはいけない。
「こんな考え方もあるんだ」くらいの、ニュートラルな気持ちで捉えるのだ。
あくまでも、本というものは、自分の思想の“一助”にすぎない。
あくまでも、自分の力で考えなくてはいけない。そのための“一助”である。
基本は、自分である。
自分の中から、生み出された思想を、目の前の人になすり付けてはいけない。
たとえそれが、その目の前の人を救うことになっても。
私たちは、目の前の人を、「一番近くで見守る」ことが最善なのだ。

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