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フリートークという学び

ラジオでは編集していない話が好き

ポッドキャストを聴くことにハマっている。
中でも、『平野啓一郎のそろそろいい時間』を毎日聴いてる。
音楽とフリートークにより成り立っている番組だ。
ラジオパーソナリティーのトムセン陽子さんとの掛け合いが面白い。
しかし、大きく興奮することも少なく、淡々と話をされている静かな番組だ。

私は、この番組が好きだ。
淡々と話している会話というものには、ゆるく緊張感がない。それでいて、時には目を見張るような大きな発見をすることもある。
こうした、ゆるい中に存在する適度な刺激がたまらない。

先日の放送では、平野さんが「小説の書き方」について話されていた。
リスナーからの質問では、「小説スクールに入る意味はありますか?」といったものだったが、平野さんのお答えでは「僕は完全に独学で書いていたので、スクールの是非については分かりませんが……」と話されていた。
「なんと! 平野啓一郎は独学で書いていたのか!」と、大きな発見をしたのだが、そうしたお話が『平野啓一郎さんに小説の書き方をお伺いします』というようなイベントで話している内容とは違って、さらっと話されていることに親近感を感じる。そして、気張って話している言葉よりも、よほど受け入れやすい点がいい。
「冒頭が重要とは言いますけど、冒頭が重要だからと考えすぎてしまっては、いつまでも書けないので、とにかくサラッと書き始めてみることが大切だと思いますよ」
という言葉には、説得力しかなかった。

私は実際の会話でも、そのような効果を感じる。
何気ない会話の中にこそ、大きな学びが潜んでいるように感じてしまうのである。
とにかく、めちゃくちゃ学びのある発言をしよう! と言って意気込んだ話の中には、たいした学びは生まれないように思うのだ。
何気なく、冗談を交えながら交わす会話の中に、今の自分にとってとても重要な言葉が潜んでいる。それを知っているかのように、周囲の人が自分の元にその言葉を運んでくれる。そんなイメージだ。

会話もそうだし、読書でも同じだ。
自然と手に取る本は、今現在の自分にとって、とても重要なメッセージを持っていることが多い。
だから、自然と手元に来た本は、必ず開いて見るべきだ。
必ず、今の自分を救ってくれる言葉が潜んでいる。
しかし注意すべきなのは、こうした本を開く際にも、「救ってくれる言葉はどれだ?」と鼻息荒く開いてはいけない。ごく自然に、世間話をするように、本を開くのだ。
何気なく開いた先には、突然訪れる幸福のように、言葉が降りてくる。
そう、世間話をしている友人との会話のように、勉強しようとしなくても、言葉の方からこちらに向かってきてくれるのだ。

私がスタエフ(stand fm)で話している時も、そうしたことを意識している。
編集などほとんどすることなく、話したままを載せている。
話した時の言い間違いも、話の“間”も、そのままだ。
それによって、私と世間話をしているように感じてもらうことができる。
そこから得られるものは、きっと多くの『セミナー』などよりも高いものだろう。

私は『セミナー』や『〇〇講座』というものを開いたことがある。参加者として行ったこともある。
そうしたセミナーや講座を何度か経験して思ったのだが、結局、そうした場所に行って学ことというのは、実際には役に立たないことが多い。
その時は「学びになった」と満足感の高いものであっても、それは「これだけお金を使ったのだから学びになったはず」という願望のなせる技のような気がする。
お金を払わずに参加したセミナーは、もっと役に立たない。時間の無駄である。
対価を払わないということは、自分にはリスクがない。
リスクを取らずに、メリットだけ取ろうと思っても、なんの効果も期待できない。
結局、多くの人にとっての学びというものは、存在しないのだ。
「今現在の自分にとって必要なこと」というものは、常に存在する。
学んでいく以上、どんな状況であっても、必要になる言葉は必ずあるのだ。

学びたいのに、学ぼうとすると、学びがない。
何を言っているのか、分かりにくいかもしれないが、これが本質である。

人は、学ぼうと思って学ぶことは、「私はこれが学びたい」と言って学んでいることが多い。
しかし、根本的に、「今の自分への理解度」というものが必要になる。
その点、知人との世間話には、その全てが詰まっている。
今の自分を理解してくれた周囲の人が、「あなたには、この情報を話してあげたいと思っていた」という話をしてきてくれる。
そこには、“学び”一辺倒ではない、「ゆるい感覚」がある。
あくまでも、自然体によって、自分の生き方を理解することができる。
無理をして、背伸びをして、「こんな人になりたい」という願望だけで突っ走ったりしていない。一段飛ばしで駆け上がっても、息を切らせて休憩しなくてはいけなくなる。
人生というのは、一段一段、一歩ずつしか進めない。
それを、雑談という、本質的な他人とのコミュニケーションによって、自然にゆっくりと、確実に学ぶことができるのだ。

多くの人と、たくさん話をしている人は、多くの本を読んでいる人よりも、たくさんの知見を持っていたり、広い視野を持っていることが多い。
それは、この“雑談力”のなせる技だと思うのは、私だけではないはずだ。

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