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起業を一人で頑張ってきた人へ

「一人でできることには限界がある」というありきたりな話


『自分が生きている意味とはなんなのか?』
こうした疑問を持ちながら生きてきた。
小学校のころから思い悩むことが多くなり、
「自分が死んでも困る人は誰もいない」
という確信めいたものがあった。
私は誰にも愛されていない。そう、言い切れたからだ。

著書『読書を通して自分の内面を知る』より一部抜粋

【著書の紹介】

尾崎 コスモスと申します。
この記事は、『自己紹介』として公開していた記事を、わかりやすく書き直したものです。初めから、書き直しました。読んでくださると嬉しいです。
私の人生をご一緒に振り返ってください。

書くことが好きで新聞社に憧れる

高校を卒業後、コピーライターの専門学校を出て、業界新聞(ギョウカイシンブン)の会社に内定をもらった。

私が高校生だったころ、バブル景気も終わり、街に落ち着きがなかった時代。
「就職氷河期の時代が来る」と噂されていたこともあり、早いに越したことは無いと夏休みから就職活動をした。

積極的に履歴書を送り、面接を受けた。
基本的に私は、履歴書も一枚しか書かないし、一つの企業しか面接には行かない。
一発勝負が好きだった。

当時としては、就職活動には早かったため、予想通り中途採用のオジサンたちに交じっての面接。
少しの気まずさはあったものの、圧倒的に面接受験者の中では若かったので、負ける気はしなかった。 山の頂から見下ろしている気分だった。

「そのやる気を買います」

面接官からは想像どおりの言葉がきこえる。
自信があった。私は「まったく根拠のない自信」というものを持っていた。
ちょっと嫌なヤツだったかもしれない。
嫌なヤツに内定。就職決定となった。

書くことが好きで、日記を書いたり、図鑑で調べた内容を、ノートに書いてまとめることを楽しむ子供だった。書くことは好きだったし、苦だと思ったことは当時から一度もない。
書くことが好きだったからか、読書感想文が得意だった。当時は一部の裕福な友達の家にしかなかった“ファミコン”をやらせてもらうことを条件に、よく友達の読書感想文も書いていた。

文章を書くことも好きだったが、それ以上に好きだったのは漫画を描くこと。

影響を受けたのは、藤子不二雄先生(当時は、A先生とF先生は分かれていなかった)の『まんが道』という漫画で、 藤子不二雄先生のお二人の、漫画家になるまでの道のりが描かれていて、当時の私はそんな苦労話を漫画にした内容に夢中になっていた。

それなのになぜか『漫画家』という職業には憧れていたもののなりたいとは思わなかった。たぶんそれは、藤子不二雄先生の人生に憧れていて、漫画そのものには情熱がなかったのだと思う。
そのころから私は、人の人生に興味があったのだろう。

書くことは安定して好きだった私は、文章を書きたいという気持ちは捨てられない。そこで私は新聞社の採用試験を受けたというわけだ。
“物書き”という仕事につけるという一心で、新聞社への入社に夢をふくらませた。

「これからは一生、文章を書いて生きていこう」そう決意したのだった。

寿司屋から独立、そして挫折を二度経験

高校生のころからアルバイトをしていたのが、寿司屋。寿司屋での仕事は、とにかく楽しかった記憶がある。

仕事を一から教わった。
何も知らない私に丁寧に教えてくれたことが、私の知りたいという欲求を上手く刺激してくれたからかも知れない。

「知らないことを知る楽しさ」
というものを、ここで学んだ。

書くことは好きだったのに、書くことをほめてくれる人はあまりいない。でも、寿司屋では私のことをたくさんの人がほめてくれる。家庭でホメられたことがほとんど無かった私には、十分な動機になる。

文章を書いて生きていこうという気持ちを、考え直させるには十分すぎた。

当時の私の家は、両親がもめていて、私は自宅には居場所がなく、帰れない状況だったし、帰りたくなかった。

新聞社に勤めると、自宅から通勤しなくてはいけないことが嫌だった。

しかし寿司屋では寝泊りまでさせてくれ、仕事というものに没頭できた。
何もかもを忘れて何かに没頭する時期をむかえた。何も考えず、何かに夢中になると、時間があっという間に過ぎていく。

朝起きたら、仕込み、掃除、仕込み、接客、仕込み、接客、掃除、片づけ、掃除、仕込み…気が付くと夜の22時を回っている。ご飯をかき込んで寝る。次の日の朝3時に起きる、週休1日が常識だった。
そんな生活を20年以上続けて独立した。

やっとの思いで寿司屋で独立。
夢を形にできた喜びと言ったら、計り知れない。
飲食業にかかわっている若者の多くは、「一国一城の主(イッコクイチジョウノアルジ)」というものに憧れていて、そこをゴールとして設定している人がほとんど。
そんな夢を持つ多くの若者に向けて、夢は叶うと言いたい。夢を諦めてしまっている若者がたくさんいる。
独立して、店を持つところまでは、是非とも諦めずに取り組んでほしい。
思い切って行動に移してほしい。夢を持ち続けるだけでいい。
ここまでなら、諦めなければ絶対に叶う。

しかしここからはおそらく、「才能」の世界だ。
経営は才能だ。才能があって、才覚に優れた者だけが、成功という未知を長く走り続けることができる。
成功という定義の問題もあるが、ずっと成功し続ける人はいない。
一時的な成功というものがあるだけで、人は人生が一変する。
助けてくれる人がいたら、甘えることだ。遠慮せず、甘えよう。私はそれができなかったから。
10年続けば大成功、と言われる飲食店を7年やって、私もゆっくりと下降した。

「下山までが登山だ。上りっぱなしは遭難になる」
という言葉が好きだ。
人生で登りっぱなしということはない。
結果的に、登頂したタイミングで人生を終えると、人生の勝ち組のように扱われるが、それまで長い時間の苦労があるものだ。その成功を収めるまでに、途方もない時間を努力し続けてきたから、成功があるのだ。

私も、経営状態が少しずつ悪化してきて、お店は売れる時に売ってしまった。
このまま続けていても、“先の見えない不安”というものが襲ってくるから。
あらゆる要因があるが店がつぶれてしまっては、この店で働くことで収入を得て生きている従業員に申し訳ない。私の私利私欲で続けていくのはもう限界だ。
そう考えたら、踏ん切りがついた。

それでも私は思い悩んだ。何が悪かったのか。必死に働いてきて、必死に考えてやってきたのに、どうして報われないのだ。努力なんて無駄なのか。初めからやらなければよかったのか。 と、いろいろな思いが心に浮かんでくる。
どうしても前向きには考えられず、独立や企業なんてもう二度とやるか、と思っていた。もううんざりだと思った。

安定が一番だ、と思い会社員になった。
決まった給料をいただく。決まった休みがあって、心も体も元気になっていく。
心が元気な時には、自分の素直な気持ちが湧き出てくる。
疲弊していると、どうやっても、二進も三進も(にっちもさっちも)いかなかったのに、元気になると自然と元気になり、心が上向いてくるから不思議だ。

いろんな経験をして、いろんな思いをしたのに、結局、独立や起業したいと言う思いが捨てられず、またもや熱が再燃した。自分にあきれつつも、起業独立を目指した。
私は『思い立ったが吉日』ということわざを地でいく生き方をしてきた。行動するときには、考えながら進むことができない人間だ。
やるとなったら、すぐやらないと気が済まない。
何かの理由で、少し遅れてしまったと感じた仕事も、提出すると「早かったですね!」と驚かれることも一度や二度ではない。

独立をしようと、コーチングやマーケティングを学んだ。
なぜ、コーチングだったのか。それは、そこにあったからだ。
その当時、手帳のコミュニティに入っていた。そこで教えていたのがコーチングだった。話を聞くと簡単そうだ。私にもできそう!そんな甘い考えをもって始めたのだ。それ以上の理由などなかった。
ハッキリ言ってナメていたんだと思う。
寿司屋で自分でも痛い思いを経験したのにナメていた。ちゃんちゃらおかしい。

しかし、これがおかしなもので、その当時の私は、ナメてなどいないし、何なら真剣に取り組んでいた。
当時は真剣なのに、今にして思うとナメていたと思う。これは一体、どういうことなんだろうか。真剣だったのか、ナメていたのか、それとも当時の私から見たら、今の私は成長したということなのか。さっぱりわからない。

いづれにせよ、上手くはいかなかった。
コーチングは今現在も、ほとんどマネタイズできていない。
稼いだ金額の何倍ものお金を、セミナーや講座のお金に注ぎ込んだのだ。
セミナーを受ければ独立できるんなんて、そんな虫のいい話はない。
今ならわかるが、当時は必死だったのもあり、わからなかった。
実は今でも、本当のところは、わかっていなかったのかもしれない。

わかっているのは、残ったたくさんの、借金だけだ。

独立起業を目指してみて気づいたこと

コーチングの技術を手に入れて商売をしてみたものの、とってつけた能力はメッキのように、はがれてしまうということを実感してきた。
そんなあるとき、とある一人の女性から声をかけられた。

「尾崎さんと言えば、読書ですよね」

この何気ない一言で私の人生は変わった。

それからというもの、起こる出来事、周囲の人々すべてが『読書家・尾崎コスモス』になるために、お膳立てをしてくれていると思えるほど盛り上げてくれた。

初めからこうなることが皆にはわかっていたのか?
周囲の人たちが私抜きでリハーサルでもおこなったのか?
そんな疑いをもつほど自然に、穏やかでありながら急速に環境が変わっていくのが手に取るようにわかる。

そこからはあれよあれよという間に、セミナー開催やコミュニティーの開設など、色々な結果が生まれていく。周囲に乗せられて、“あれよあれよという間”いう感覚だった。

勢いに任せて行動した結果、尾崎さんの行動力はすごい!などと言っていただくこともたくさんあったが、これが落とし穴だった。
今度は、やりすぎていた。
ほめられて、いい気になって、豚もおだてりゃ木に登っていた。
豚をおだてて、木に登らせることができても、豚は自力で木から降りられない。
完全に調子に乗りすぎた。

好きなことをしていても、やりすぎると疲れちゃう。
それに気づいた。

社会で生きるということ

「私は頑張っている」 そう思っていた。
その努力というものが、正しいのか、間違っているのか考えたこともなかった。

もちろん、努力に正解、不正解はない。
努力できることは、才能だと誰かも言っていた。

しかし、私の心の中には自分しか考えない自分。「私は頑張ってる。こんなにも頑張ってる」自分の幸せだけを考えて。
自分の幸せだけを望むと、それはどんなことでも叶わない。
周囲の人たちが笑顔になれる。このように、周りを幸せにすることを 考えなくてはいけない。自分の幸せだけを考えている人は、絶対幸せなんかにならない。
私は、人と一緒に走ることのすばらしさを知らなかった。

登山したとき、一人でも登頂は嬉しいが、やはり協力し合って助け合って登った仲間がいた方が、喜びも二倍になる。登頂して、下山する時も、一緒に降りる仲間がいた方が、楽しく降りられる。そのことが今は身にしみている。

現在私は、「尾崎さんといえば、読書ですよね」と声をかけてくださった方のコミュニティに入り、X(旧Twitter)のスペースで『#手帳好きの読書部屋』というコーナーで、お話をさせてもらっている。

断捨離して、好きなことや人間関係も整理して、心も体も豊かな生活。

これからも周囲の大切な人たちと、協力し合って助け合って、人生を楽しんでいきたい。


最後に、この経験が少しでも、多くの起業独立を目指している方の参考になれば幸いです。 最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

【尾崎コスモスプロフィール】

幼少期から読書と共に育ち、小学生の時漫画を友人2人と描き始め、3人共同で制作した同人誌を同級生相手に一冊150円で売っていた。物書きになりたいと高校卒業後、『広告専門学校』コピーライター科を卒業。新聞社に内定をもらうも、家庭の事情で辞退。 その後飲食店で寿司屋として25年にわたり腕をならした。その際に教育した学生の数300名以上。
教育にあたり、わかりやすく伝えることが重要であることに目覚め、プレゼン初心者にプレゼンを教えていた。 読書活動を本格化したあと、読書会を開いて好きな本について話すだけでプレゼンスキルが養われることに気づく。 その後、自身が主宰の無料オンラインコミュニティ内で、毎月オンライン読書会を定期開催。読書の楽しさやすばらしさを伝えたいと、リアル読書会も2022年に開催した。 読書会でプレゼンのノウハウと共に、読書ノートの書き方のワークショップも開催してきた。 中高生に人気の漫画も読み、読書はかなりの雑食である。 『我楽多文庫』として自身や参加者が書いた小説やコラムなどをおさめた、無料かわら版もSNSで配布していた。

ブログ(読書と内省) https://note.com/syosai_club

twitter (日々の発信はこちら)https://twitter.com/ozaki_cosmos

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