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今日は―!283プロのー!アイドルのみなさんにー!言いたいことがありまーす!

 お前たち全員、大好きだぞ。

 ……ということはあまりにも簡単すぎるし、Twitterの140文字に収まってしまうので、好き放題やれるnoteで気力の続く限り書き散らしていきたいと思います。

 いやでも本当にみんないい子なんだよ。元からぼくは作品そのものを好きになると、その作品に出てくるキャラクターの殆どを好きになる傾向が強い方だったけど、おシャニに関してはマジのガチのガチンコファイトで全員の事が大好きになったし、それってきっとアイドルマスターシャイニーカラーズが、他に類を見ないほどのレベルで一人のキャラクターというものを徹底的に掘り下げているからだろうし、日夜多くの怪文書おじさん達がネットの海に怪文書を放出している事からもそれは確定的に明らか。

 しかして今ここで一人一人に対する思いを書き連ねていくには、ぼくはあまりにも経験値が不足している。

 イベコミュやサポコミュで各キャラの背景は大まかに把握しているとはいえ、その情報密度にはどうしてもムラがあり、一人一人を頭から順番に掘り下げていくほど啓蒙を高められていない、というのが実情。

 なので今回は、ユニットそのものを取り上げ、ユニットごとに対する所感などを思いつくままにつらつらとつづっていきたいと思います。

 コミュの考察とか、鋭い解釈みたいなのは先輩おじさん達がやってくれているので、あくまでぼく個人が彼女たちのストーリーに触れて感じた私的な感情の吐露になりますが、道端で見かけた変な形の石ころを眺めるような心持で見てくれるとありがたいです。

※補足:この記事の執筆者はサービス開始当初ちょろっとシャニマスを触った後、二年後のノクチル実装と同時期に復帰し沼に引きずり込まれた出戻り組という背景があります。

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イルミネーションスターズ 

というわけでトップバッターは言わずと知れた信号機、イルミネーションスターズ。

 櫻木真乃、風野灯織、八宮めぐるの三人からなるユニット。

 初めて見た時の印象は「ザ・王道」。それは今でもあんまり変わらない。ほわほわした真乃ちゃんと、関節が軋むほど真面目だけど不器用な灯織、誰とでもすぐに仲良くなれちゃうめぐる。とてもバランスがとれていて、初めて見た時は「これぞアイマス」という感じだった。

 真乃ちゃんに関してだけは、今までの歴代アイマスの赤の系譜のキャラには見られなかったキャラクター造形だな、というのは初見で感じていたと思う。今までの赤い子達は、わりとこう、元気があって活発な、動的な印象があった。頑張るけど空回りしちゃうとか、そういう。真乃ちゃんはとってもおとなしくて、人間よりも鳩さんの友達の方が多そうな、ぽややんとして、どこか抜けていそうなイメージで、そこが今までとはちょっと違うなって。

でも実際プロデュースしてみると、確かにほわほわ~としてて癒し系ではあるんだけど、夢に向かってひたむきに努力する姿は間違いなく赤の系譜で、周りに居る凄い仲間達と自分を比べちゃって中々自信を持てないでいる、愛おしいまでに普通の女の子、っていう。

ぼくはシャニマス以外では初代とミリオンをちょっと触っただけなんだけど、赤の系譜、特に春香さんが背負っていた「普通の女の子が憧れの存在を目指す」「普通の女の子だからこそ、みんなに憧れられるトップアイドルになれる・なれた」というようなテーマがでんぐり返りしてしまうくらい好きで、「もしかして私でも」というシンデレラストーリーを、夢と希望を、「その子がアイドルである」という事実だけで与えられるというのは、それはもう最強なんじゃないか?と思うわけですよ。

 でもそういう、言い換えれば「普通である事が“価値”となる」という考え方は、彼女たち本人からすれば「努力の否定」に繋がりかねないんだな、という事を教えてくれたのがイルミネの感謝祭コミュでした。

 「アイドルは完璧じゃないからこそいいんだ」「どこか抜けてる方が可愛げがあっていい」「だから完璧になっちゃダメ」。あのコミュを見せられた時、一消費者としては背筋が凍るような思いをさせられました。

 「普通」が「普通でなくなろうと」努力する。その姿を応援する、という事はある種の「祈り」で。普通でしかない自分が、普通でなくなりたかった自分を救ってあげる為のいわば代償行為とも言えると思います。でもその祈りは、「どうせアイドルなんて顔が可愛いだけでチヤホされている」というような呪詛に変わりかねない危険性も孕んでいて、実際ぼくも日々の生活の中で少なからずそういった思いを持っていたからこそ、でんぐり返りして真乃、めぐる…灯織…ごめん…!とPCの前で土下座する事となってしまったんですね。

 イベントコミュごとに一人一人が成長していく様子が順番に、丁寧に描かれているのも含めてシャニマスの看板を張っているユニットらしいな、と。問題が起こって、それを解決するのにメンバー同士が支え合う、という構図は他の多くのユニットにも共通しているものだけど、イルミネは特にその印象が強いんですよね。それはやっぱり、キャッチザシャイニーテイルで描かれた「センター」に対する彼女たちなりの「答え」からくるのもかもしれません。

 灯織とめぐるにとって、真乃は隣に居てほしい存在で、二人の隣に立つ事、というのがセンターだったって言う。隣に居てほしい、ってハチャメチャに強烈な肯定の言葉だと思いません?

 Star n dew by me で、真乃がめぐるに対して言った「すごいめぐるちゃんじゃなくて、めぐるちゃんが好きだから」にも通ずる言葉だと思うんですよ。誰かの隣に居る為に「凄いめぐる」であり続けてきた彼女を、ただのめぐるとして肯定したこの言葉、もうこの後の展開だけで涙で床上浸水するんですけど、かつてめぐるが真乃を「ただの真乃」として肯定してくれていた事も思い返すと、絆の美しさに脳が誤作動を起こして正常なタイピングが出来なくなる。

 イルミネーションスターズは、三人が横に並んで手を繋いでいるイメージ。実際そういうイラストも多い。三人が手を繋ぎ、時には遅れそうになっている誰かを引っ張って、転びそうになったら立ち止まって、そうやって光の輝く袂へ向かって走っていく。美し過ぎて目が焼かれる。希望へ向かって進んでいく…前進していくというイメージがことさらに強い、その成長を、歩みを見ているだけで勇気を貰える、そんなユニットだと思います。

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L'Antica

「オタクほいほいキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」

 アンティーカの初見での印象はまさにそれ。ゴシックモチーフはオタクに効く。

 特に霧子と凛世(は放クラだけど)に関しては「オタクを殺す為だけに生まれたリーサルウェポン」というイメージだったので、運命の出会いガチャでは霧子と凛世のSR(サービス開始最初期二人のSSRは実装されていなかった)とイルミネのSSRが出るまでひたすら粘ったのをぼんやりと覚えています。

 実際、蓋を開けてみれば霧子も凛世も相当に複雑なキャラクターで、その強烈なオタクを惹きつけるアイコンだけを見て飛びついた萌え豚を無間解釈地獄という仏道において最も過酷な地獄の底へと引きずりおろす女の子達だったわけですが、ぼくがそれを知るのは2年後のことだったわけで。

 パッと見の外見だけでも相当に個性の強いメンツが揃っているのがアンティーカですが、中を覗いてみたらうわー困ったぞ!どいつもこいつも一筋縄じゃいかねえ個性派ぞろいでPたん頭抱えちゃった!うーんでもそこが最高!

 イルミネが横並び三人で一緒に駆け出していくイメージなら、アンティーカはこがたんを先頭に各々のメンバーが各々の歩きやすい位置を思い思いの歩調で、けれども決して誰一人遅れることなく、つかず離れずでついていっている感じ。霧子が多分こがたんのすぐ後ろで、まみみんは左右どっちかにちょっと外れた所で周りに目を配りながら、咲耶がしんがりで、三峰はそんなみんなの間を行ったり来たりしながら、目的地(カラオケとかだと思う)に向かっておしゃべりしながら歩いてるよ。こないだ新宿で見た。

 これはシャニマスのアイドル達の多くに共通する事で、兎に角みんながみんな、同じユニットのメンバーに対して凄く気を遣うんだけど、アンティーカは特にそれが顕著で、ともすれば気を遣いすぎた結果お互いがお互いに遠慮してしまって踏み込めなくなっちゃうという所がありまして、感謝祭コミュやストーリーストーリーなんかでそれが爆発して大変な事になっていました。

 記号的な描かれ方をしたキャラクターは、その個性を発揮する過程においてともすれば協調性の欠如した行動をとりがちになるかと思うのですが、この個性だらけの集団であるアンティーカはその真逆、というのが面白いですよね。実際、社会を見回してみれば大抵の人はお互いに気を遣い合って生活しているわけで、アンティーカの距離感ってすっごいリアルだなーって思うんですよ。仲はいいしみんなちゃんと意見は言えるけど、お互いがお互いのスペースを尊重し合った結果、生まれる距離感って言うんですかね。

 このアンティーカ特有の距離感を、各々の個性が各々のやり方で過不足なくケアしているのが本当にぼくは大好きで、三峰がムードメーカーになってコミュニケーションの潤滑油となってくれて、さくやんは誰のどんな意見でもきちんと肯定してくれて意見を出しやすい雰囲気を作ってくれているし、まみみは周りに流されず客観的な意見を出してくれて、霧子はアンティーカが迷ったときに道標になるよう光を照らしてくれて、それでもお互いがお互いを尊重し合うあまりに自縄自縛で動けなくなった時、こがたんがその「遠慮の壁」を打ち壊してみんなを「向かう先」へと引っ張っていってくれる、っていう、ね。

 特にこの、霧子が道標となっている所がすげー好きポイントその2なんです。誰よりも優しくて、けれどもアンティーカの中では人一倍自分に自信が無い霧子が、アンティーカのゴシックモチーフのきっかけを作り、ストーリーストーリー後半ではテレビ局の歪んだ編集に対抗する「ストーリー」を描く。こがたんは確かにアンティーカという船を引っ張るエンジンではあるんだけど、霧子はその船が向かう先を示す羅針盤なんですよ。こがたんがアンティーカの精神的支柱なら、霧子はアンティーカのイデオロギー的な柱だな、と。そしてこの霧子が描く「アンティーカの世界」、「アンティーカという居場所」を他のメンバー達全員が、その優しさで守ろうとしている、この関係!美し過ぎて目が焼ける。ぼくも大好きな紫の蝶を探してくるか。失明した目で。

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放課後クライマックスガールズ

 銀河級に最強のユニットです。女の子は何時だって放課後がクライマックス。おじさんは何時だって涙腺がクライマックス。

 正直な話をすると、サービス開始当初の見た目しか情報が無かった時は、あんまりピンと来ていませんでした。オタク特有の「弱点:着物黒髪美人」に凛世が刺さりまくってこそいたものの、他のメンバーに対しては特に興味が動きませんでした。しかし。

 「初心者は五色爆発のコミュがオススメだよ」

 インターネットシャニマス提案おじさんのアドバイスに従ったぼくは、二年前の印象をあっさりと投げ捨て、1時間弱のうちに身も心もすっかり放クラに捧げた青春ゾンビおじさんへと変貌を遂げていました。放クラはもう既にがんにも効くし、もしも宇宙人が地球に攻めてきても友達になってみんなで仲良く青春を謳歌する。それが放クラ。銀河級に凄い。放クラの事を考えると涙で前が見えなくなってしまうという、生物的にも非常に危険な時期がぼくにもありましたが、主治医との二人三脚でなんとか乗り越え、今はこうして筆を握っている次第です。

 シャニマスくんという作品は、何かとアイドル達の事を曇らせてくる(或いは試練を与える事によって少女たちをさらに輝かせようとする)ような中々に残酷な世界観の中で成り立っていますが、こと放クラに関しては「今のところは」そのような曇らせ要素も少なく、どんな時でも何に対しても真正面から全力でぶつかっていって、全力で楽しんじゃおうという彼女たちの姿が描かれているコミュが大半を占めています。でも放クラのオタクはそんな様子を見ているだけで泣く。それはひとえに、このシャニマスという作品が先に述べたように「決して優しいばかりだけじゃない世界」であるというのが分かっていて、なおかつこの放課後クライマックスガールズというユニットが、「時計の針を気にしながら遊ぶ夕暮れの公園」の空気をどこかしらに常に孕んでいるから。この楽しく、美しい時間には限りがあって、何時かは社会に向かって羽ばたいていかなければならない、そんな限られた時間を一分一秒でも無駄にしないよう、精一杯で生きている。そんな姿に放クラのオタクはかつての、あるいは今の自分の姿を重ねて、勝手にエモくなっては涙を流す。

 放クラと言う存在を語る上で絶対外せないのは、矢張りセンターである小宮果穂の存在だと思います。大半の人は、12歳の現役小学生がユニットのセンターを張っている、という事実に少なからず面食らう事でしょう。常識がある人なら猶更。けれども一度五色爆発を見ればそんな違和感も一瞬のうちに霧散し、このグループのセンターは、放課後クライマックスガールズの真ん中に居るのは果穂以外には考えられない、という結論に必ず辿り着くことでしょう。コーラを飲んだらげっぷが出るよりも確実に。

 アンティーカの話をしたときに、「グループの方向性を決めるのは霧子、みんなをそこに引っ張っていってくれるのがこがたん」と言いましたが、果穂に関してはその二つのファクターを一人で背負っているように見えます。いや、正確には「果穂が”やりたい”、”やってみたい”と言った事に対して周りのみんなが一丸となり全力でサポートする」という構図でしょうか。果穂が「こう言う事をやりたいです!」と言うと、夏葉が「それならこういう風にしたら?」と具体案を出し、樹里ちゃーん!が「ここのところは現実的じゃないからこうしよう」と微調整をきかせ、ちょこ先輩が「それならこういうのも楽しそうだよね!」と案を更に膨らませ、何か問題に直面した時には凛世の機転が解決のきっかけになる…まさに戦隊ヒーローのように、バランスの取れた構成なんですよね。こがたんが無尽蔵な天真爛漫さとその勢いによってグイグイみんなを引っ張っていくのなら、果穂は純粋な好奇心とその若いエネルギーに惹かれたメンバーが集まり、全員で推進力になっていくというか。「放クラは果穂を見守る会」とは言い得て妙。

 個人的好きポイントの話をします。先ずは高校生組。樹里チョコ凛世ですね。感謝祭コミュは頭のてっぺんから爪の先まで大好きなんですが、特にこの三人が帰り道にお喋りしているだけのシーンが後半にありましてこれがもう、最高に最高の最高なんですよね。「文化祭の買い出しに出た高校生たち」みたいな空気感の中で、この青春がたまらなく愛おしい時間だという事を感じながらも、その愛おしい時間が何時かは終わってしまうという予感に気付きつつ、それでも楽しい事が終わったらまた次の楽しい事が待っているんだよっていう、キラキラがいっぱい詰まったお話。まだ見れてないコミュも多いんですが、迷走チョコロードでのこの三人のやり取りも好き。わちゃわちゃしてるちょこせんと相変わらず面倒見のいい樹里ちゃん、マイペースな凛世。全員可愛い。未知なるFLOZENも好き。雨乞い凛世すごい。困ったら凛世が何とかしてくれる。流石は放クラの秘密兵器。

 個人的好きポイントその2は、そのものずばり「このグループの中に凛世がいる」という所。放クラはユニットそのものが活発で元気でエネルギーに溢れたイメージがあり、メンバーもみんな元気のある子達が揃っているじゃないですか。その中にあって凛世の存在って言ってしまえば結構異質で、初期の凛世はまさに「プロデューサーの為だけに」生きているような子だった。下手をすると、この子の世界には自分とプロデューサー以外に何もないんじゃないか、なんて思ってしまいそうになるような危うさがあったんですよ。でも百色ふぉとぐらふや凛世夕町物語などのサポコミュの中で「アイドル活動を通して、凛世にも友達が出来て、実家以外に帰るべき場所が出来て、プロデューサー以外の”大切なもの”がちゃんと出来てたんだよ」っていうのを知れたとき、ぼくは深夜にも関わらず男泣きに男泣きを重ねてしまったんですよね。凛世よ、どうか、どうか幸いにあってくれ。

 個人的好きポイントその3

ちょこ先輩は―!コロッケに―!醤油をいっぱいかけまーす!


以上です。

 

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アルストロメリア

 聖・少・女・領・域。アルストロメリアです。

 初見でのイメージは、「双子キャラの間に一人挟まれる、ってなかなか挑戦的なバランスだな」でした。ぼくのバランス感覚だと、こういう双子キャラって5人ユニットとか、もしくはデュオユニットとかにしちゃいそうになるんですけど、シャニマスでは3人なんですよね。でも今改めて考えてみると、5人ユニットに入れてしまうと、ともすれば「ユニットのパーツの一部」として消費されかねない危険性もはらんでいて、デュオだと成長物語に幅を増やしずらいしで、双子+一人、という人選は確かに英断だったんだなと。事実、アルストロメリアのコミュではそれぞれのキャラクターの成長が、一人一人にしっかりフォーカスをあてた描かれ方をしていて、誰かが誰かのおまけだったりしない、一人一人が独立した一人の大崎甜花、大崎甘奈、桑山千雪として立っているのはスゲーナスゴイデス!

 現実的に考えた時、大崎姉妹はアイドルを始める前から既に関係性が出来上がっていて、千雪さんはその中に入っていかなきゃいけないわけで、結構大変だとは思うんですよね。実際、初期の方だと千雪さんが二人に対して微妙に敬語混じりな話し方をしていたりして、そこら辺の絶妙な距離感を描写するのもシャニマス君のお家芸なのですが、この三人の関係性が変化していく様子は本当に舌を巻いてしまう。

 三人組という点ではイルミネと共通しているんですけど、問題解決に対するアプローチの仕方が絶妙に違っていて、イルミネは誰かひとりが転んだときは、他の二人が足を止めて手を差し伸べ、共に再び走り出すのに対して、アルストロメリアは各々が各々、自己との対話やメンバーの行動・言動に触発され、自分の中で決着をつけて動いていってるように見えるんですよ。そうして各々が行動に移した結果、その行動が互いに影響し合って、それぞれの在り方が少しずつ変わっていきながら、それでもお互いがお互いを大切に思っている事だけは変わらないまま、成長していくっていう。

 なーちゃんも甜花ちゃんも千雪さんも常にイチャイチャしているからきららアニメなのかと勘違いしそうにもなるんだけど、その実は割と克己心の強い子達が多いんですよね。甜花ちゃんなんか忘れられがちですけどこの子そもそもが「ダメな自分を何とかしたい」「変わりたい」という気持ちを持ってアイドルやってるんすよ。人一倍自己変革を望んでいるんですよ。GRAD編での「諦めたくない!」は最高に最高。二週連続お休みしたいっていうのは愛嬌。千雪にしても、自分の中にある青い部分、「大人になり切れない自分」と正面からぶつかっていって、その度に曇ってはぼくたちとプロデューサーをハラハラさせるんだけど、最後はちゃんとケリをつけて、傷つきながらも前に進んでいく。ある意味一番青春してる人かもしれない。

 で、なーちゃんなんですけども。この子が実は一番脆いのかもしれないんすよね。ここまでの二人は「変わりながらも前に進んでいける強さ」を心の奥底に常に持てている子で、自分からアクションを起こせる部分があるんすよ。対してなーちゃんは「大好きなみんなとの幸せがずっと続けばいい」という願いがありまして、それが時に前へ進むこと、変わっていく事に対する足かせになってしまう事があったりして。感謝祭や薄桃色ではまさにこの部分が顔出してしまうわけなんですけども。しっかり者の世話焼きキャラが、実は世話を焼く対象に依存してる…っていうの、オタクはみんな大好き。それでもプロデューサーや他の二人に支えられながらも、おっかなびっくり前に進んでいこうとするなーちゃんの姿は美しくて、「がんばれ!なーちゃん!」って応援したくなっちゃうわけですよね。

 楽園に背く、とか、アルストロメリア(デビュー曲)の歌詞だとか「楽園の外」、「安心できる場所」から踏み出していくようなモチーフがアルストロメリアっていうグループにはちょくちょく付随してきます。変化に対する思いが込められた歌詞はBloomy!にも共通していて、この二曲からアルストの成長が伺えるのが凄く良い。あとハピリリはアイドルのラブソングとしてめ~っちゃ☆可愛いから好き。凄くどうでもいい事だけど、アルストは女子中高生に人気が出ていると嬉しいユニットだなって思いました。同性に人気のあるアイドルっていいよね……。


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ストレイライト 

ユニット単位で見ると、放クラと同じくらい大好きなユニットです。少年漫画かよ、ってくらいめ~っちゃ☆熱いイベントコミュばっかで燃える。

 初見での印象は「オタクの性癖を狙ってきたわね…」だったと思う。どこかこの世とは思えない空気をまとった美少女、オタサーの姫、クールなギャル、外見だけ見れば当時のオタク界隈で人気のあったキャラクター性をこれでもかと詰め込んだオタクの欲張りセットみたいな印象でした。実際、当時シャニマスに殆ど触れていなかったぼくもオ♡フ♡レ♡コ実装の際は課金してしまいました。結局その時は引けなかったけど。

 このユニットの驚くべきところは、まさにその初見の印象こそが、劇中のストレイライトがファンたちに見せる為に作りだした「アイドル像」そのものだったってことなんですよね。どういうことかは偉大なる先達が記したこの記事を読んでください。

 読んだ?ありがとね☆

 シャニマスに頭から爪先まで浸かっていると、プロデューサー視点でアイドル達の物語に触れる事が多くなるわけで、アイドルをプロデュースするゲームでありながら、アイドルではない一人の女の子の姿を見る時間の方が長くなる、というある種の逆転現象が起こっているな、とある時ぼくは気付いたわけですよ。

 ラジオの収録の話とか、業界の人と喋っている時の対応の仕方だとか、握手会の様子だとか、そういうものが断片的に描かれることによってのみぼくらは「アイドルである彼女たち」の顔をチラりと覗くことが出来る。そういう時にふっと「あ、この子達はこういう顔もするんだ」なんて間の抜けた事を思っちゃうんだけど、ストレイライトはビジュアル面が発表された時点でその「アイドルとしての彼女たちの顔」を見せてくれてるんですよね。他のユニットは劇中でファンに対してどういう顔を見せているんだろうか。概ね、ぼくたちが知っている彼女たちの延長線上にあるものなんだろうけど、具体的なものはやっぱり分からないとしか言いようがなくて。今こうして改めて考えてみると、そういう点でストレイライトはある種の安心感があるなっていう。

 ストレイライトは一貫して天才であるあさひと、それを追いかける凡才の二人、という描かれ方をしていて、特にあさひとふゆの対立構造は滅茶苦茶熱いんすよね。そのままの自分であることを貫いて、それで人気も実際ついてきているあさひ。かたや素の自分を信じられず、「誰からも愛される自分」を作り上げることでてっぺんを目指す冬優子。そんな二人がバチバチにぶつかり合って、時に認め合いながら「最強」を目指す。少年漫画かよ!。そんなもんだから、このままだと空中分解しかねない危うさがあるんだけど、そこに二人を繋ぐ博愛の女神、愛依ちゃんが加わるわけ。はちゃめちゃに我の強い二人に対して、愛依ちゃんは心配になっちゃうくらい欲の無い子で、この子の天然由来純度100%の優しさや気配りがあるからこそ、ストレイライトは高みへ向かって羽ばたいていけるんだなって言う。

 これは凄く酷い言い方かもしれないんだけど、感謝祭であさひがソロステージで立ち尽くしてしまうシーンは凄く安心してしまったんですよね。あさひは天才肌で、気になったことは何でもやってみるんだけどすぐに極めちゃって、だからこそどんな物事に対しても直ぐに飽きちゃう。それはアイドルに対しても当てはまることで、あさひが一人で進んで到達できる場所は、あさひにとっては今までの人生で既に見飽きてきた景色なんですよね。それがストレイライトの二人と一緒なら、違う景色が見えるんじゃないか。隣に居る二人は今日も明日も自分を追い越そうと必死に練習を重ねていて、実際顔を合わせる度、一緒に踊る度に少しずつだけれど進化している。そこに停滞は一切なくて、常に変化し続ける二人と一緒に歩む道は、あさひにとっては毎日が面白い事の連続で、きっとだからこそあさひは二人の事が大好きなんだろうなって。おじさん泣いちゃった。

 切磋琢磨するライバル同士としての関係性が強くプッシュされた感謝祭コミュに続いて、「WorldEnd:BreakDown」ではストレイライト内における愛依ちゃんというアイドルが、どういう立ち位置にあるのか、というのが掘り下げれています。愛依ちゃんは先にも言った通り仲間の二人が凄い所をなんのてらいもなく素直に凄いと認めることが出来る子で、みんな仲良く楽しくの協調・博愛の人なんですよね。我を通す二人の間で、「まぁまぁまぁ、いったん落ち着こうよ」となれる子なんですけど、悪い言い方をしてしまうと「なぁなぁで済ませちゃう子」っていう印象を持たれかねないところがあるんですよ。実際、初期の頃の愛依ちゃんは「すげー!ホンモノの芸能人じゃん!」とか言って自分がアイドルである事に対する自覚が欠けているような言動をちょくちょく見せてて、どこか他人事というか、もしかしたら「自分は他の二人みたいにすごくなれないんじゃないか」なんて思ってしまっているんじゃないかって、見てるこっちは滅茶苦茶心配になっちゃうんすよね。そんな愛依ちゃんがユニット同士で人気を競い合うってなった時、どうなっちゃうんだってぼくはもう気が気じゃなくて。

 それじゃあ実際どうなのよってんで蓋を開けてみると、やっぱり愛依ちゃんは愛依ちゃんのままで、他の二人を押しのけて我を通すようなことは出来なくて、自分の宣伝をしなきゃいけないのに二人の写真をツイスタに上げてしまったり、宣伝動画の撮り方をライバルの冬優子に聞いてしまったり、平和ボケしてるみたいな感じなんですよね。本人は二人に追いていかれないようと頑張ってはいるんですけど、その努力の方向性が天然でこれなんです。成長してないやん…って思いました?違うんですよ。このお話はね、あさひと冬優子が愛依ちゃんがもう持ってた「すごいところ」に気付くお話なんですよ。

 他人を蹴落とし合う芸能界の中で愛依ちゃんの「在り方」っていうのは言ってしまえば甘っちょろいのかもしれない。でもだからって、愛依ちゃんのその何の打算もなく友達を大切に出来る気持が、まったくの無価値なわけじゃないよね、って。むしろそれは人間として、むちゃくちゃ誇れることだし、実際愛依ちゃんには学校でも友達が多い描写があるわけで。それってもう愛依ちゃんの魅力そのもので。アイドルという職業が、「不特定多数のみんなに、自分を好きになってもらう職業」だと考えた時、愛依ちゃんのその友達想いな所って、最大最強の武器になるじゃん!!!!(クソデカ大声)っていう話ですよ。

 アイドルって誰かを楽しませる為に歌ったり踊ったりする仕事で、その根底には「誰かの為に」っていう部分があって。愛依ちゃんはその「誰かの為に」を特に意識せず、打算もなく行えちゃう。ある意味では他の二人よりも遥かにアイドルに向いている、っていう考え方もできるんじゃないかなって。そうであってくれると嬉しいなって、祈るような気持ちでこのクソデカ感情を吐き出しています。

 結果的にこのコミュの終盤で、「二人には次こそ絶対勝ってほしい」と言いかける愛依ちゃんに二の句を継がせず、愛依ちゃんの為に動くあさひと冬優子が描かれるんですよ。愛依ちゃんの「無私の想い」が、シャニマス内でも屈指のエゴの強さを持った二人に「愛依ちゃんの為のアクション」をとらせるんすよ。これってもう、愛依ちゃんの勝ちなのでは?これぞ優しさ一等賞ってやつですよ。

 愛依ちゃんについて語ってたら熱くなって「ユニットに対する所感」の域を超えてしまった感があるけどぼくはきにしない。冬優子についてもこの勢いで語ってしまいたいけど、冬優子は冬優子でもう単体で記事書きたいくらいに募る思いが募っては募っているのでまた今度。


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noctchil

さよなら、透明だった僕たち(チルアウト・ノクチルカ)

 もうキャッチコピーからして”強すぎ”る。3年目からのシャニマスは更に鋭く尖っていくぞ、お前たち、ついてこれるか?というクリエイター陣からの挑戦を感じる。アイドル達が常に高みを目指して羽ばたいていくツバサであるのなら、その彼女たちの物語を紡ぐクリエイターもまた、更に高く遠くへ羽ばたていかなきゃ嘘じゃろがい!そういう気概を勝手に感じてしまう。

 今のところ、浅倉と樋口二人のpSSRがあるくらいで用意されているコミュはとっても少ないんだけど、四人が四人とも扱っているテーマやその描かれ方がマジで”新しいな”と。間違いなく2020年、令和世代の描かれ方をしているな、と思うわけです。

 四人が背負っているテーマは、大まかに言うと


浅倉透→言葉が足りなすぎるせいで生じるプロデューサーとのディスコミュニケーション

樋口円香→努力を重ねる事の怖さ。自分を試されること、自分の限界を見せつけられる事の怖さ

福丸小糸→幼馴染達がどんどん手の届かない場所にいってしまうのではないか、自分だけ取り残されるんじゃないかという不安。

市川雛菜→自身の幸福の追求


 抽象的でざっくりとした感じではありますが、大体こんな感じでしょうか。

 特に透と雛菜ちゃんは性格設定が「現代っ子~~~」って感じなんですよね。透は普段から自分を理解してくれてる幼馴染達と過ごしているからかはわかりませんが、ハチャメチャに言葉が足りないんですよね。全然分からない…彼女と俺は雰囲気で話をしている…と言えてしまうくらいには。シャニマスくんはノクチル以前から状況説明を安易なセリフ解説に頼らないところがありまして、ノベルゲームというシステムではあるにもかかわらず、シナリオライターの中には明確な絵コンテがあるよねこれ!ってくらい、読んでいてその場の情景が浮かんでくるんですよね。浅倉透のコミュは、それを突き進めた末に

「…醤油」

「ん」

というような夫婦の省エネ会話めいたシナリオを、何の落ちもない、ただただ湿布を貼ってメロンを食べるだけのお話を、キャラクターの人となりを説明する為のサポートコミュとしてぶっこんでくるんですよ。恐ろしい。本当に恐ろしいぜアイドルマスターシャイニーカラーズ。

 かたや雛菜ちゃんは自分の楽しい事、しあわせ~な事だけでいい、透とは別の形で省エネが効いた女の子。辛い練習や苦しくなっちゃうような他人との衝突を避けて、自分の幸福だけを追求するその姿勢が、凄く現代的な描かれ方をしているんですよ。「あ~そういう感じか~」で背筋が寒くなったプレイヤーは少なく無いハズ。

 「楽しい・幸せ」以外のネガティブな感情が自分の周りで発生する事を徹底して避けようとしている節があって、自分の中に完成された価値観を持っている。それを守るための理論武装も完璧で、WINGで負けても勝っても「あ~楽しかった~」という隙の無さ。強キャラ感がヤベエ。WINGに臨む前からほぼほぼ完成されてるのでは?と思えるようなキャラクター性を持った彼女が、これからどういう道を進むのか、とても楽しみです。

 樋口と小糸ちゃんの二人は、「努力」というキーワードを挟んで背中合わせにしたようなストーリー展開。この努力に対する二人の描かれ方が凄く新鮮で現代的。努力を重ねて、重ねて、それでもし報われなかった時、自分の限界はここなんだ、というのを突き付けられた時の事を考えてしまうと、努力するのが怖くなってしまう、という樋口。対して小糸ちゃんは自分の周囲に「そんなに努力しなくても凄い結果を出せちゃう友達」ばかりが揃っている事から、「努力しなきゃ結果が出せない」自分の才能の無さに引け目を感じていて、それ故に自分の努力を肯定してあげられない、という、見ているこっちが辛くなるような悩みを抱えているんですよね。「努力」というものを描くのに対して、中々新鮮な切り口からアプローチを掛けているなって思って読んでいました。樋口が小糸にかける「小糸ちゃんは頑張れて偉いね」というセリフの情緒~~~~~!

 「アイドルユニットのノクチルとしての四人」は、今はまだコミュ数の関係で描写される機会が少ないのですが、元々が幼馴染であるという事でサポートコミュなどではそっちの「幼馴染四人」の姿が描かれているものが多いです。一発芸、「財布ないわ」は透のポジションを不動のものにしましたね。好き。あと小糸ちゃんにお菓子あげる樋口も好き。いっぱい好き。

 7月に実装されるノクチルのシナリオイベントが今から楽しみでしょうがないですね。一体彼女たちがアイドルという世界でどのような歩みを見せるのか、想いを馳せながらようやく今日は筆をおきましょう。

 だらだらとまとまりのないお気持ち表明にここまで付き合ってくださった方には友情の紋章を贈呈。今日から君ととぼくはともだち!本当にありがとう。それじゃあおやすみなさい。歯磨いて寝ろよ!

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