見出し画像

【植物と短歌】タンポポと結婚

夏だからなのか、大学卒業を控え将来を考える機会が増えたからなのか、最近友人と話していると恋愛や結婚の話が出ることが多い気がする。

結婚というワードを聞くと私には思い出す短歌がある(雑な導入…)。

たんぽぽがたんぽるぽるになったよう姓が変わったあとの世界は

「たんぽるぽる」雪舟えま

「姓が変わった」=結婚、だと思うのだが、「たんぽるぽる」という響きから結婚して浮かれている気持ちと、変化にどこかぎこちなさというか違和感を覚えているような気持ちを感じる歌だと思った。

私が人生で初めて読んだ歌集はこの歌が題名になっている「たんぽるぽる」だ。短歌を始めたばかりの頃、サークルの先輩に貸していただいた。

当時の私は意味の取りやすい短歌が好きだったのでこの歌集は少し難しく感じてしまったのだが、たんぽるぽるの歌はとても印象に残っていた。

少し脱線するがこの歌集に掲載されている歌の中では、

逢えばくるうこころ逢わなければくるうこころ愛に友だちはいない

「たんぽるぽる」雪舟えま

が一番好きだ。

タンポポは集合花


タンポポの短歌の話に戻る。

他にタンポポの登場する歌を探したところ、たくさんあったのだがその中で結婚が登場する歌をもう一首見つけた。

いちめんのたんぽぽ畑に呆けていたい結婚を一人でしたい

「崖にて」北山あさひ

結婚を一人でしたい、ってどういうことだろう。
その答えは以下の歌にあるのではないかと考えた。

たんぽぽに生まれ変わって繁栄のすべてを風に任せてみたい

「オールアラウンドユー」木下龍也

こちらは別の歌人の歌で、たんぽぽの花ではなく綿毛(種子)の歌だ。

タンポポの綿毛

結婚、というとそのイメージの一つに子供を持つことが挙がるだろう(もちろん必ずしもそうではない)。
人は一人では子を持てないし、子を持つなら長期間お腹の中で育てないといけないし、生まれてからも独り立ちするまで世話をしなくてはいけない。
面倒かそうでないかと言われたら、正直面倒(大変?)だと思う。

そんな面倒さと比べて、種子を風や他の生き物に運んでもらい自分の知らないところで子が勝手に育つというタンポポの生き方に、人は自由さを見出し羨ましさを感じるのかもしれない。

ちなみにタンポポの外来種は単為生殖(単独で子を作る)できるが、在来種は自家不和合性(自分の花粉では受粉しない)だと下に紹介しているブログに書かれていた。
だから私の考察に従うならこの歌の「いちめんのたんぽぽ畑」は外来種のタンポポのものでなくてはいけない。


今回は結婚などにまつわる歌しか紹介しなかったが、ほかにもタンポポの登場する短歌はたくさんある。
その中からいくつか紹介しておこう。

花散れるふぢなが茎を好く鶸のい撓めつつその実食むしも

悠然院様御詠草<田安宗武>

(たんぽぽと呼ばれるようになったのは江戸時代初め、それ以前は「ふぢな」と呼ばれており、歌に詠み込まれることはまれだった)

廃れたる園に踏みいりたんぽぽの白きを踏めば春たけにける

北原白秋

たんぽぽの穂が守りゐる空間の張りつめたるを吹きくずしけり

栗木京子

たんぽぽの綿毛を吹いて見せてやるいつかおまえも飛んでゆくから

俵万智



人の歌を紹介するだけじゃなくて、そろそろ自分でも植物を詠み込んだ歌を作りたい。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?