はじめての川上弘美作品「センセイの鞄」
おむすびの読んだ本紹介〜(パチパチ)
読書好きの会社の先輩に勧められて、初めて読んだ川上弘美作品、『センセイの鞄』。
60歳後半のセンセイと、かつてその教え子だったツキコさんは、偶然いきつけの居酒屋で一緒になって以来、並んで軽口をたたきながら呑み、きのこ狩りや花見にでかけるようになっていきます。その小説冒頭の文章。
正式には松本春綱先生であるが、センセイ、とわたしは呼ぶ。「先生」でもなく、「せんせい」でもなく、カタカナで「センセイ」だ。
高校で国語を教わった。
担任ではなかったし、国語の授業を特に熱心に聞いたこともなかったから、センセイのことはさほど印象には残っていなかった。
卒業してからはずいぶん長く会わなかった。
数年前に駅前の一杯飲み屋で隣あわせて以来、ちょくちょく往来するようになった。
センセイは背筋を反らせ気味にカウンターに座っていた。
「まぐろ納豆。蓮根のきんぴら。塩らっきょう」カウンターに座りざまにわたしが頼むのとほぼ同時に隣の背筋のご老体も、「塩らっきょ。きんぴら蓮根。まぐろ納豆」と頼んだ。
趣味の似たひとだと眺めると、向こうも眺めてきた。
どこかでこの顔は、と迷っているうちに、センセイの方から、「大町ツキコさんですね」と口を開いた。
驚いて頷くと、「ときどきこの店でお見かけしているんですよ、キミのことは」センセイはつづけた。
一杯飲み屋で「まぐろ納豆。蓮根のきんぴら。塩らっきょう」をたのみ、センセイの家で妙な味のするお茶を飲んで、市で豚キムチ弁当スペシャルを食べ……。ふんだんに盛り込まれる食の描写も、たべてみたくなるほど魅力的。おむすびはたぶん食べられていなかった。
あわびを「噛んでいる口元が、歳のいった人のそれである」センセイと、四十歳手前のツキコさん。親子ではなく、友達でもなく、恋人でもないふたりの(たいていはお酒を飲みながらの)会話が心地よく続いて、積み重なっていきます。
ツキコさん。もう一度、呼ばれた。
振り向くと、センセイが立っていた。軽くてあたたかそうなコートを着て、いつものカバンを提げて、姿勢よく立っていた。
センセイ、こんなところで、どうしたんです。
散歩ですよ。いい夜ですな。
ほんとうにセンセイなのだろうかと、手の甲をこっそりつねった。痛い。夢の中のことではないかと疑って自分をつねってみるということを、現実に人が行うことがあるのを、生まれてはじめて知った。
センセイ。私は呼びかけた。少し離れたところから、静かに呼びかけた。
ツキコさん。センセイは答えた。わたしの名前だけを、ただ口にした。
形の定まらない関係性、それ以上近づくことがためらわれる距離感が、もどかしく、艶やかです。おむすびもこの作品にでてたら、官能的にみえたろうな。
2001年谷崎潤一郎賞受賞作。
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ちなみにおむすびは、次に進められて「ニシノユキヒコの恋と冒険」を、そして今は「溺レル」をよんでいます。
このページで小説冒頭が読めます。
川上弘美さんのインタビューはこちら。
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