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母が見た夢の話

父はそれが耐えられない

 あたしの母やそのきょうだいたちが夢を「お告げ」のように実生活に使っていたのは確かだと思う。母の姉妹たちは東京以外にも静岡や故郷である北海道にバラバラに住んでいるのだが、私が子どもの頃からずっと、実に仲がよくて、母はしょっちゅう電話で交流していた。そして電話口で言うのだ。「なんか変わったことはない?夢を見たんだけど」そしてお互いの近況と、夢のなかの符号の重なるところを探すのだ。些細なものから、命に関わるものまで。

 それだけじゃなくて、母はそのへんに顔が見えたり、人が見えたり、なんかが聞こえたりして、「あら、●●さんが来た」とか、死んだ人の名を言ったりする。夢で見ることと、起きている時にそのへんに何か「見てしまう」ことに関して、母にはあまり区別がないようだった。しかも怖いものは一切見ない。だいたい親しいものが何か知らせにくるのらしかった。

 「何か見てしまう」ことはともかくとして、夢で何かを見るのは理屈にあったことだと思う。気にかけていたら夢には出てくる。何か事件を暗示するような夢もわりとあるだろう。無意識は表層にある意識よりは先々にあることを「知って」いたりもするはずだ。
 でも父はうんざりした顔をする。それは彼女の話に「境目」がないからだ。自分の無意識が告げることと、死者の”霊”(母はこの言葉すら使わない。おじいちゃんが、とか●●さんが、とか言うだけだ。)がなんか教えてくれたりすることに区別がない。そのへんに出てきて知らせてくれることもあれば、夢の中に出てきて何か言うこともあるから、母にはどっちでもよかったのだろう。

 そういえば母は「無意識」って言葉も、精神医学的なくくりでは使ったこともなかった。ようするに全部「不思議だけどわかっちゃう」「だってそうなんだもん」というノリの話としてなされる。父にはそれがどうにも受け入れ難いのだ。

 精神医学の語彙をあたしが獲得したのは高校生になってからなので、それまでは、こうした話題はあたしにとって、「ママは信じているけどパパは信じない事柄」として、それこそ境目もなく分類されるものだった。
 後にあたしは母のきょうだいたち(母には姉二人、妹二人がいる)を『霊感一族』と名付けて、孤独にひとり「そんなもんは信じない」と言ってた父との、ゆるくて痛痒いような攻防をエッセイにしたりしたけど、今になってみると、父は少し頑なでありすぎたようにも思える。でもあたしはこの二人の間に生まれた子供として、決してどっちかの肩を持つということはしなかった。常に中立でいたつもりだ。

父が切腹をする夢の謎

 あたしがティーンエイジャーだった頃に、母は父が切腹をする夢をみた。その話を私にしててくれたのを、よく覚えている。
 父は刀を持って武士のように座って、時代劇に出てくるみたいに自分の腹を左右に割いたらしい。血が吹き出したという。夢の中で、母は大変あわてて、布をもって、その血を拭ったそうだ。「ああ、大変。ああ、大変」といいながらお腹の血をぬぐったのだという。
 「血をふき取ってみたらね、傷は全然大きくなかったの。お腹の右と左に、ひとつずつ、小さな穴があいていただけだったのよ」と母は言った。
(2つずつ、だったかもしれない。ちょっと記憶があいまいで申し訳ない)

 それからすぐに、父が検査のための手術を受けることが決まった。それは本当にお腹の両側に小さい穴をあけて、組織を取る手術だったのだ。
 ちなみに母は検査について、医学的な知識があったわけではない。そんなことをすることになるなんて、夢を見たときには何もわからなかったのだ。

 「それで、パパはなんと言ったの?」というのがあたしの興味だった。母の答えは「不思議なこともあるもんだねえ」というものだったらしい。
 これはいわゆる正夢というやつなので、まあ妥当な反応だろうと思う。いくら父でも「この世に”正夢”なんてものはない」とまでは言わない。でも仮に手術前にその話をしていなかったら、「夢で見たのはこのことだったのね」と言ったところで、父の反応は全く違っていたんじゃないかと思うのだ。いくら傷口が、母が夢で見たものとそっくりだったとしても、父自身が見たわけではないから、証明のしようもなかろう。

 とはいえ、この正夢が知らせたことに関して、何か父や母に利益があったかどうかはわからない。強いて言うなら「傷は小さいから、心配するほどのことではないよ」というメッセージだろうか?
 母の姉妹のなかには、子供が肥溜めに落ちる、という大事故の前に正夢を見た人もいるが、その事故を防げたわけではない。(もっとも防げたとしたらそれは正夢ではなくなる・・・・・ってことなのかな?)

 ともあれ、父にとっては、正夢に関して「不思議なこともあるもんだね」というのが精一杯の譲歩であったことだろう。もしも夢を見ることが、何か行動の指針になるようなことがあるなら、それは受け入れ難かったろうし、まして、そのへんにだれか死んだ人がやってきて、何を知らせようとも、そんなもんの言うことに耳を傾けるとかは断じて許せない。母にはその区別はないのだが、父にはボーダーラインというものがあったと思う。「霊」の前提に懐疑的だったのだ。

 さて。そのせいなんだろうか?父や父の兄(あたしたちの伯父)が亡くなったあとに、実家のあの家に、父はやってこないようなのだった。母はあの家に父が帰っている、とはっきり言ったことはない。「まだいる感じがする」という、平凡な言い方はしていたけど。

 でも、父はいろんな人の夢の中には訪れていた。あたしも今でもたまに父の夢を見る。
 母は「馬を連れていたよ。タロといっしょに」と言ってたことがある。馬は父が大好きな動物で、乗馬が得意だったのだ。タロは同じ頃に死んだ愛犬だ。

 あたしは父が時々家にあそびに来たりしてもいいのに、とも思っていた。いや、来ていたのかもしれない。ただ姿を見せるのが下手だっただけかもしれない。あたしが「見る」ことができないのと同じように。
 実のところ、あたしの実感としては、「見る」ひとと、「見ない」人の境目もありはしないのだ。

*画像は、その愛犬のタロ

おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。