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デニスの教え。

2016年の10月。

約3年前の入社時には一桁だった社員数は、
60に達しようとしていたと思う。

この時、私は自分のキャリアとしては絶対に無いと決めていたラベリングを、遂に受け入れた。

ー 人事 ー

事実上、たった1人の専任として採用から労務まで、一手に管掌する職務を引き受ける上では、それなりの覚悟を要したことを今でもハッキリと覚えている。

2006年に社会に飛び出して以来、当然チームを率いる立場も経験すれば「モノ」から「人」を対象にすることが多くなることもあったが、何よりあらためて「モノ(プロダクト)」だけに向き合いたいからこの場へとたどり着いた。まして「人事」だけは絶対に、絶対に引き受けまいと思っていた。

自己認識でも、あらゆる性格診断テストの結果としても、高すぎる「共感力」は「人事」の足かせになると思っていた。
そして自分の「心」こそが持たないだろうと本気で思っていた。


2016年の10月。

頭と心のスイッチを180度切り替えて「人」と向き合おうと決めた。
人事における「採用」と「労務」は言わば「攻め」と「守り」。
前線でゴールを狙い続けつつ、一気に自陣へ戻って死に物狂いでディフェンスをする。そもそも使う筋肉が全く違う上に、どちらもほぼ未経験でピッチに立っている。

なんだこれ、エンドレスな無理ゲーじゃないか。

「組織」に正面から向き合わないといけないのに、そんな余裕が自分の心にすら一欠片も無かった。サイドミラーやバックミラーを全くみずに、アクセスを踏み続けるしかなかった。


ただ、そんな人事の思い出話、苦労話をしたい訳では無い。

「デニス」の話をしたいのだ。

この当時。

360度しんどい時に。

私の心の支えに、国境を越えてなってくれたのが「デニス」だった。

余裕も経験も無い私の、目となり耳となり、心の声となってくれたのが「デニス」というアメリカ人だった。

歳は私より20以上も上、アメリカ西海岸の自由な風土を体現して生きてきましたとでも言うような風貌と、体格と、欧米人らしいメリハリの聞いた顔の、とにかく「笑顔」が素敵なアンクル(親戚の叔父さん)といった存在だった。

その時のデニスは、まだ10名程度のUSチームのリクルーターであり、ムードメーカーであり、何よりもUSカルチャーチームの番人だった。
会社のビジョンとミッション、そして何より創業者の人柄と熱意に惹かれて、自ら10年以上営んできたピープルビジネスを畳んでココへやってきた。

よく話し、よく笑い、いつも遅くまで働いていた。

常にメンバーを気にかけ、声をかけ、優しい笑顔で受け止めていた。

日本が大好きで、益子焼きが大好きで、日本に来れば毎朝納豆を食べていた。

当時の組織はUSでのサービスローンチ、USメンバーの拡充を始め、日本においても急速に組織のグローバル化の機運が高まっていた。
英語が堪能でなかった自分は、USメンバーの来日や渡米もあまり乗り気になれなかったばかりか、典型的な日本人で
「言語の壁がコミュニケーションの壁」
となってしまっていた。今となっては、なんて馬鹿馬鹿しい状態だったことか。

そんなくだらない「壁」と、私の「心の迷い」を、とびきりの「笑顔」と「ハグ」で吹き飛ばしてくれたのがデニスだった。

彼は、来日してはとにかく私のことを気にかけてくれた。
その「気にかけ」は明らかに同僚に対してのそれではなく、私は「友人」としての好意を感じざるを得なかった。お互いの事を当然それほど知らないから、デニスは優しく、でも猛烈に会えば私を質問責めにした。
私の不完全な英語でも、とにかくニコニコ、優しく、ゆっくり噛みしめるように話を聞いてくれた。


スタートアップ駆け出し人事の私は、毎日攻守にわたり走り回った。

私の悪い癖で、眉間にシワがより、周りを気遣う余裕すら無くなった。

そんな時、目が会えばデニスは

(スマイル!)

広角を上げるように無言で微笑んでくれた。

折を見て、彼はだいたいこんなような事を言ってくる。

「君の笑顔は本当に素晴らしい。
だから、その笑顔を絶対に絶やすな。

君がいるとパッとその場が明るくなるんだ。
俺の言葉を信頼して大丈夫だよ、兄弟。

スマイル!」

いつもそんな調子だった。

そして、常々こんなことを言っていた。

「君の、その組織に対する"興味/関心"そのものが大きな価値だ。
逆に、今の私の興味/関心の大部分は君に対してなんだ。
その"興味/関心"を、もっともっと目の前の組織むけるだけでいいんだよ。
難しいことは無い。」

いつも笑顔で、ポジティブに、温かく励まし続けてくれた。

もっと組織に、チーム全体に目を向けよう。

本当に、こんな自分の些細なアテンションで、チーム全体を前進させられるのなら...


そしたら、突然ピッチ全体が見えてきた。


日々戦っている全メンバーと、それぞれのチームプレーと、
汗と涙と息遣いが、クリアな情景として目の前に映るようになった。

「そうか、そういう事なんだ。」

デニスが私に対してしてくれたこと、教えてくれたことを、目の前の組織に向けていこう。

この学びを、言語化するのは大変難しい。
でもこれ以外、最適な言葉が見当たらない。


それを一言で表すと「」だった。

実際、私はプロダクトも、組織も、心底「」していた。

当然今でも愛している。


創業者の熱意に、

命を削って作り出したプロダクトに、

それを全力で支えようとするチームに。


だから、そんな「愛」があること。
それを土台に、今のチームに対して「人事」という立場から、
いや、そんなタイトルを超えて、それぞれ生身の「人」に対して、

無邪気に支えになりたいんだと、
社内ドキュメントに書きなぐっている自分がいた。

そこに「愛」があるのならば、
無防備でカッコ悪くても、その温かさが支えになること、

そしてその愚直なまでの積み重ねがこそが、
いずれ強烈な追い風になることを、

教えてくれたのデニスだった。


全員に、でなくていい。

誰かの心の隙間を、その人が必要な時に、必要なだけ。


そんな経験が、
今も私の「心」の拠り所になっている。

例え「人事」という肩書きでなくても、
商業的な営みの全ては「人」が支え合い、
その対象は「人」であり、

つまり、「人」が全てだと。

===

これを読み終わった読後感と勢いで書きました。
ビルには会ったことがないけれど、彼はきっとデニスみたいな人だ。

(そしてデニスは今でも元気です)

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