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慢性疼痛をもつ家族と暮らして 3


(2からの続き)母が「脊髄硬膜損傷後の慢性疼痛」に苦しむようになって15年ほど。その間に知ったこと、考えたことなどを整理してみる。

●ブロック注射、電極刺激、セカンドオピニオン…

 ブロック注射の効果はなかった。腹部に電極刺激装置をはめ込んだが、5年ほどで取り出す手術をした。
 薬はいろいろと試した。テグレトール、トリプタノール、リオレサール、アムロジン、トラムセット、サインバルタ、リリカ、メイラックス、リン酸コデイン、パキシル、ツムラの漢方など。デパス、ネルボンはQOLの視点からの処方だろう。
 薬も電極刺激装置も、自分で処方や使い方を調節してしまうので、医師に注意されていた。新しい薬を使うといったんよくなるものの、すぐにむしろ感覚が変だし痛みが悪化しているといって飲むのをやめ、やめたらやめたで塩梅が悪いで再開を繰り返す。
 へんな薬の摂取をするとデータがとれず善後策を見失うし、離脱症状も加わるだろう。よくないと私は思っていたが、意識が薬と痛みに向かっているとき、その行動を止めることはできない。自分のからだを管理するのは自分だという点からも、そうしたければそうすればいいよと葛藤しながら同調してきた。

 親族の善意から別の総合病院でセカンドオピニオンもとった。結局のところ、診断も治療も異議なしとのことだった。この親族には「ほったらかしにしている家族のせい」「親身になっていない」と咎められた。実際、セカンドオピニオンの場に立ち会あえず、彼らにおまかせした経緯もあり、耳が痛かったが、そのお叱りにはがっかりした。十分なフォローができていないと自覚している、そもそもどうすれば改善するのかもわからないといった八方ふさがりの状況にいる家族が、自分自身を責めていないわけがない。支援する人にこそ支援を、というのは本当にその通りだと思う。家族を責めてはいけない。
 そのころの私は、子育てと親のフォローを担う労働者であり、いま思えば「あなたこそ大丈夫?」という状況だったし、実際過労で入院してしまったのだが、そんな人がいまも存在しているだろうと思うとぞっとする。まわりの人が少しずつでもケアする人に対しても配慮できると、巡り巡ってメインで困っている人にとってよい影響を及ぼすはずだ。


●「マインドフルネス」は有効では

 いろいろ試してきたものの、痛いは痛いままである。時折入院したり、絶望から寝込んだりしながら、10年ほど生活を続けてきた。
 ずっとお世話になっている都立病院の医師は、ていねいな対話のできる女性で、診断に長いときは30分も費やしてくれる。言葉を上手に使って、ちょっとした日常会話もはさみながら、認知療法と薬物治療、日常の動作を怖がらず行うことの意義を説き、リハビリをすすめてくる。リハビリは体を動かさなくてもいい、行って帰ってくるだけでも意義があるという。痛みはいっこうによくならず解決策はないままなのだが、母は(私も)絶大の信頼を医師によせていて、通院のたび励まされて帰ってくる。そして次の受診日までがんばろうと思える。

 慶応大学病院に痛みに特化した外来があり、そこにも1クール通った。「痛みを和らげるマインドフルネスクラス」として、週1度×8回、グループワーク、瞑想やストレッチをして感覚の共有をするものだ。自宅でも瞑想を行って、その感覚や毎日の思いを言語化する宿題も出た。身体感覚に耳をすませ、不快さを自覚し、コントロールする術を学ぶ。要はマインドフルネスそのもので、認知行動療法ともいえる。
 痛みの原因も濃淡も違えど、痛みで困っている仲間と出会えたのも貴重なことだった。「痛いのは私だけではない」「私は痛いのを治そうとしていたけど、痛いけど生活するやり方を考えないとね」とは母自身の言葉。
マインドフルネスは今のところ原因のわからない痛みに対して最強なのでは? と私は思っている。また、定期的に安心して通える場所があるというレベルのことが家族にとってはありがたい。でも本人としては続けるほどではなかったようだ。

●痛みだけをフォーカスしない

 それからもずっと同じかかりつけ医のところへ通い、痛い痛いの毎日を過ごしている。80歳すぎたいまでは整形的な要素が加わり、痛みの質も変わってきており、歩くのはますます難しい。ベッドにいる時間がどんどん長くなっている。介護保険を利用して廊下やベッドサイドに手すりをつけた。
 落ち込むことは多く、いまだに入院騒ぎにもなる。それでも、ちょっとしたことでなるべく笑いを見つけるようにしている。「痛いは痛いが、きれいなことはきれいじゃ」(病に伏せながらも床の間の花を愛でる正岡子規のせりふ)と痛みだけを見つめすぎないという精神で。

(4へ続く)

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