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省察研究その14「子どもはわかってる」

【出来事】


 体育の授業での出来事。ベースボール型ゲームの単元の学習も終盤となり、試合中心の学習になっている。Hさんは野球が好きだ。お父さんが昔野球の強豪校でエースだったこともあり、バスケットまでとはいかないまでも、プライドがある。


 今日は野球を習っている強力バッターのTさんがいるチームとの対戦だった。Hさんのチームは強力なバッターや飛びぬけて守備が得意な子はいないが、チームワークでコツコツ点を積み重ねていくカラーがある。



試合が進んでいくと、最終回の裏の守備(Hさんチーム)の時に大量得点を取られてしまった。すると、Hさんが1人、まだ試合が続いているのにも関わらずホームに帰ってきた。


「負けた」一言つぶやいた。しかし、実際はまだ同点になっただけで、まだ負けが決まったわけではなかった。1人ホームへと変えるHさんにだれも声をかけない。


 我慢できず、担任が「まだ負けてない。同点だよ。」と伝えた。すると、少し顔を上げ、守備に戻っていった。最終的にはこの試合はその後得点が入らず、同点で終わった。


【担任の省察】


 まさか試合途中でゲームを投げ出すとは思わなかった。

Hさんにとって勝ち負けがそこまで大きなモチベーションになっていたのか。今回、Hさんが守備をやめ、1人でホームに帰った時、だれも声をかけなかった。これは確かに声、かけられないなぁ。昨日の省察にも書いたが、子どもたちは肌感覚で付き合っている。担任が見ているよりもずっと、見えない部分のHさんの悔しさを感じ取ったのだろう。


 今回はたまたま負けずに同点だった。しかし、もし本当に負けていたらどうなっていたのだろう。私は担任としてどう声をかけただろう。子どもたちはどう、Hさんに接したのだろう。きっと私よりも子どもたちの方が上手に声をかけるんだろうな。もし、そんな場面にでくわしたら子どもたちにゆだねて、自分は勉強したいな。



 あれ、でもじゃあどうして今回は声をかけなかったのか。声をかけなくても、同点だってわかれば戻ってくるってわかっていたからなのかな。「これは確かに声、かけられないなぁ」と今しがた書いたけれど、「かけられない」じゃなくて、「かけなくても大丈夫」だったのかもしれない。だったら、また余計なことをしてしまったのかな。



 もっと子どもを信じなきゃだめだな。教師としての目線というか、大人として心配する目線?助けたい、どうにかしたい?という目線が邪魔している気がする。

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