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【MEMBER'S VOICE #2 桜井雄一朗】われわれの強みは多様なバックグラウンドを持つ専門家集団。私が建築の世界からスポーツ界に飛び込んだ理由

 私たちSports X Initiative(SXI)の一番の特徴ともいえるのは、メンバーの多様性です。実績に限らず、事業開発、ブランディング・マーケティング、各種制度設計、データアナリティクスなど、多様な専門性を有したSports Xのアルムナイメンバーを、リレー形式でご紹介いたします

桜井雄一朗(Sakurai Yuichiro)
◎経歴
本郷高校 → 芝浦工業大学/大学院 → K計画事務所 → 日建設計 → エナジーラボ → 建築企画プランナー(フリーランス) → hincha
◎私にとってSports X Leaders programとは…
「スポーツに新たな価値を生み出す専門家集団」

一貫して『見えない価値』に興味を持っています

 皆さん、こんにちは。桜井雄一朗と申します。もともと私は建築の専門家だったのですが、縁あって今はスポーツに携わるお仕事をさせていただいております。ここではその経緯とこれまでの私の歩み、そしてこのSports X Initiative(以下SXI)でどんなことを実現していきたいかをご紹介させていただきます。

 3年前、フリーランスの建築プランナーとして活動している時に建築の世界からスポーツの世界に入りました。それ以来、少しずつスポーツの仕事が増えていき、昨年、株式会社hincha(インチャ)を創業してスポーツの「企画」を生業としています。現在は複数のクライアント(ディベロッパー、スポーツチーム等)の「空間:スタジアム・アリーナ」、「街:まちづくり、エリアマネジメント」、「活動:スポンサーシップ」の3領域にて、事業企画の支援を行っています。

 学生時代から一貫しているのは、場の「空気感」「雰囲気」「熱量」といった『見えない価値』に興味があり、それを価値あるものにするために『場と人の関係性』をどのようにつくるのか、さまざまな職種で試行錯誤しながら実現を試みてきました。

 また、スポーツへの想いは高校時代のラグビー部での経験が原体験です。そして建築でもデザインだけではなく、形で様々な職種で取り組んできた理由には、学生時代の留学の経験が大きく影響しています。それぞれの原体験を織り交ぜて、以下簡単に経歴を紹介していきます。

強豪ラグビー部で挫折はしたものの……

 高校時代は、男子校の本郷高校ラグビー部で3年間プレーしました。全国大会(花園)に出場するような強豪校で、もの凄い練習量で有名なチームでした。練習は週7日、毎日5~6時間、年間の休みが10日ほどの「ド根性練習」が当たり前の環境だったので、全ての時間を懸けてラグビーに取り組みました(当時、プリクラ、アムラーといった女子高生ブーム真っ只中で、放課後に渋谷や池袋へ遊びに行くクラスメイトを何度も羨ましく思いました…)。

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 同期は延べ50人入部して最後に残ったのは7人。全国大会に行けず(関東大会止まり)、国体選抜チームにも選ばれなかったため、大学レベルでは通用しないと一人で思い込んでしまい、ラグビーを嫌いになってしまいました。

その結果、ラグビーとは全く違う世界の建築をやりたいと突如思い、(強豪ではない)大学のラグビー推薦を辞退して、建築を学ぶために大学に行くことを決意しました。(実は高校入学時の成績はトップでしたが、毎日の睡眠学習の結果、卒業時の成績は最下位で、高卒時は頭の中身は中卒レベルでした…。もちろん数学と物理は大嫌いでした。。)

 先輩・同期・後輩はラグビー推薦で大学に行き、社会人でプレーすることも珍しくない環境。後に日本代表になった先輩や後輩と同じチームでプレーできたことは貴重な経験でした。この経験が原点となり、競技ではない形でスポーツに関わりたいという想いを持つようになりました。

欧州で目の当たりにした『公共』のあり方

 2年間の浪人を経て芝浦工業大学の建築工学科に入学。製図室や研究室に泊まり込みながら、課題や設計コンペに取り組む日々でした。

 在学中にはイタリア(L’aquila University:学部3年次)、ロシア(Moscow Architectural Institute:修士1年次)に留学し、この経験は大変貴重な経験となりました。将来自国の文化を背負って立つような学生との出会いはとても刺激的でしたが、欧州の都市の広場や公園等の「雰囲気」に触れられたことが忘れられない経験でした。それは、広場や公園等の公共性の高い場所は市民にとっての「居場所」であり、その場に集う人々の過ごし方が豊かであると肌で感じられたからです。

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 使う人の「想いが集まる場」の雰囲気は、とても前向きで活発であり、部外者の私でも自然と気分が高揚するものでした。広場は一種の社交場として機能していて、人々が集うことでさまざまな場と人の関係性が生まれていました。その関係性を公の場で共にすること、それこそ『公共』なのだと感じた原体験です。それ以降、豊かな『公共』とは何なのか、場と人の活動の関係性に興味を持ち、建築をつくることで実現したいと考えるようになりました。

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建築設計事務所での下積み生活

 大学院卒業後、新卒として建築家・北山孝二郎(安藤忠雄の実弟)のK計画事務所(アトリエ建築設計事務所:建築設計)に入所しました。図面を描き、模型をつくる日々でしたが、職人に弟子入りするようなものなので、薄給で徹夜することも多々ある厳しい環境でした。

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 その当時は、設計することで前述の「空気感」や「雰囲気」をつくることができると考えており、設計の知識や技術を必死に学ぶことができて充実していました。一方で、正直設計だけで「空気感」や「雰囲気」をつくることは難しいと感じることも多かったです。それは、設計の立場では建築の要件が決まった後に図面を描くことが多く、そもそも「なぜその建築をつくるのか?」といった要件を検討する段階(設計する前の段階)には関わることが出来なかったからです。次第に違う立場で建築をつくりたいと思い始めたため、3年弱で退職しました(正直に言えば、師匠の可愛がりに耐えきれずに…)。そして退職後は、1年ほどフリーランス(実質プー太郎)として過ごしました。

 その後、縁があって日建設計(組織設計事務所:建築設計、都市計画)で「設計」担当として働き始めました。その後、「都市計画」に異動させてもらい、希望していた設計の前段階に関わることが出来ました。当時は、東京スカイツリーや渋谷駅前再開発(渋谷フクラス等)といった大規模なプロジェクトに関わることができ、2~30年後の街の未来像を考えながら、ドラスティックに街を変えるプロセスに関わることができたのは貴重な経験でした。

 2つの建築設計事務所での経験は、建築をつくる上での技術的なことや異なる立場の方々(施主、施工、運営者、ユーザー等)と協働しながら物事を進めることを学べたと思います。
 一方で設計事務所では所謂ハコモノ(建築)をつくる提案しかできず、ハコの中身(コンテンツ)を提案することはできませんでした。餅は餅屋なので当然のことでありますが、私が興味ある場の「空気感」や「雰囲気」をつくることに直接関わることができないとうモヤモヤした思いは常に持っておりました。よって日建設計は5年ほど勤めた後に退職し、新しい道に進みました。

「共創型まちづくり」に取り組む日々

 その後は、建築の企画のトップランナーの個人事務所であるエナジーラボ(建築企画事務所:建築企画、まちづくり)に入所しました。プランナーとして「ハコの中身(コンテンツ)」を企画する立場で、建築やまちづくりの新しい仕組みを提案する日々でした。

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 東急プラザ銀座、南武線高架下開発「くらすクラス」、渋谷桜丘地区再開発、竹芝地区再開発など、都心の大規模開発の企画から、郊外の沿線活性化施策として市民と協働した場づくりに関わりました。プロジェクトを通じて、企業と大学・市民・クリエイター等をつなぐ形での「共創型まちづくり」に取り組むことができました。

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 その後、2016年にフリーランスとして活動を開始。フリーランス時には、こちらも建築の企画のトップランナーであるTone&Matterの広瀬さんにお世話になりながら、様々な建築やまちづくりのPJにて、新しい企画や仕組みを提案しました。そして19年に前出のhincha(インチャ)の創業に至ります。

 SXLPには、2018年(1期)の公募記事を見て応募し、参加しました。ちょうど「スタジアム計画」や「スポーツ×まちづくり」の仕事を個人で手掛けるようになっていた頃です。スポーツ界に関わるようになり、スポーツ界の課題を感じて、PJを通じて変えたいと思うようになった時期であります。
 応募要項を読み込む中で、そこに記載されていた文章に深く共感したことが応募の決め手になりました。それは、SXLPは単に知識を学び、人脈をつくる場ではなく、スポーツそのものの構造を変えていくリーダーを育成する、高い目的を持って設立されたプログラムだと感じたことです。私自身の課題意識と同じだったこと、そして同じ志を持った仲間と挑戦したいと思って応募しました。
 そして実際にプログラムに参加してみて、スポーツ界が抱える多くの複雑な課題に対して時間を割いて取り組んだ日々は、多くの学びや気づきがあるものでした。本気でスポーツビジネスの変革を成し遂げようとする、同じ想いを持った同期との対話は有形無形の価値を生み出したものと思います。

『見えない価値』をより魅力のあるものへ――

 私のスキルを端的に言うと、建築やまちづくりを計画する際の「hard」と「soft」を理解していて、両者をつないで「企画」として形にできることです。

▼soft (コンテンツ/運営) 面
 施設内外のコンテンツ企画(vision/concept策定、ペルソナ設定) 、事業計画(事業スキーム、事業収支) 、運営計画(チーム組成、運営立上げ、コミュニティデザイン) 等

▼hard (施設/建築)面
施設計画(都市計画、建築設計、インテリア) 、設計監理、VI策定 等

 一貫しているのは、場の「空気感」「雰囲気」「熱量」に興味があることです。それら『見えない価値』をより魅力のあるものとするために何をすべきなのか、経歴で書いたさまざまな職種で試行錯誤しながら、必要なスキルを身につけてくることができたと思います。

 建築・まちづくりの文脈では上記の「hard」と「soft」をつなぐことが得意ですが、広い意味では異質なものを組み合わせて、つなげることで新たな価値を見つけることが得意です。いままでの建築・まちづくりでの経験をスポーツの領域でどのように生かせるか、今後活動の幅をさらに広げていきたいと思っています。

スポーツ産業全体を俯瞰して分析し、構造を変えたい

 私が外部からスポーツ界に入って感じたことは、以下の2点です。それはスポーツ界が抱える課題と同じものだと思います。

・オープンな世界ではないこと
・全体の構造を変えることなく、従来のやり方でより早く、上手く、大規模にやろうとする取り組みが多いこと

 政府の政策でも「スポーツの成長産業化」が掲げられ、多くの期待が寄せられている中、上記の課題は「スポーツの成長産業化」を阻むものになる気がしています。つまり、スポーツのことだけを考えていては、スポーツビジネスはうまくいかないと思います。

 「スポーツの成長産業化」を実現するためには、スポーツの価値を単体ではなく多面的に捉えることが重要です。スポーツに関わりのある事象との関連性に着目し、他産業との連携や分野を横断して問題解決を積極的に試み、新たな価値を創出していくことが必要となります。

 つまり、スポーツ産業全体を俯瞰して、構造を変えるような取り組みを行うことが今後求められるのではないでしょうか。

公共財としてのスポーツのあり方を探る

 スポーツを通じた取り組みは多様なステークホルダーが関係するため、誰かが「一人勝ち」するのではなく、「公共性」「公益性」をもたらすことが必要だと考えます。そのためには「経済的価値」のみならず、何らかの「社会的価値」を生み出すことが求められます。そのためにも、パブリックマインドを持って取り組む必要があると感じています。

 われわれSXIの強みは、一社単独(一人)で解決できないことを、多様なバックグラウンドを持つ専門家集団として、それぞれの知見や経験を共有しながら取り組み、新しい価値を創出できることにあります。そして活動を通じて得られた利益は、われわれで内部留保するのではなく、スポーツ界、そして社会へと還元されるものとしていきたいと思っています。

 多様で複雑化した現在の社会では、GDPや経済成長率といった有形の価値(数値上の価値)だけでは人々の暮らしを豊かにすることは難しく、無形の価値(信頼や愛着や関係性といった、主観で感情的な側面がある価値)を生み出してこそ、人々の暮らしを豊かにすると言えるのではないでしょうか。

 中長期的な視点で有形無形の価値を生み出すことを通じて、スポーツが文化として社会に認識されることをSXIの活動を通じて実現したい――。つまり「公共財としてのスポーツのあり方」を探ること、それが私がSXIで取り組んでいきたいことになります。

外の世界からスポーツの世界に飛び込んでほしい!

 既存の考え方ややり方では解決ができない課題に対してtackleすること、それが我々の使命です。われわれの活動の想いやコンセプトに共感し、常に課題意識を持ち、自ら行動できる方には、ぜひ仲間として加わっていただきたいです。

 また私と同様に、外の世界からスポーツの世界に飛び込む人が一人でも多くいるとうれしいです。

 アフリカの有名なことわざで「早く行きたいなら一人で行け、遠くに行きたいなら皆で行け」というものがあります。われわれSXIは仲間とともにチームとなり、スポーツを通じて社会に新たな価値を生み出す、言わば「遠い未踏の地を皆で目指す」組織でありたいと思います。

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