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(不)幸福勝負と想像力

目に見えるものしか大切にできない私たちへ。

私たちは目に見える範囲でしか想像力を働かせることができない。
見えない範囲の出来事や見えない遠くの誰かまで配慮することができない。
そのことに自覚的であらねばならない。

よく、ネットなどで「誰々の気持ち考えてください」「〇〇と比べたら大したことありません」みたいな文句をよく目にする。きっとそれが彼らの本当の気分に近い文なのだろうけれど、前述のように、我々には想像力がないから、少し待ってみてほしい。いや、というより想像力というのは見知らぬことを頭の中で創造することではなく、知っていること、会ったことある人、行ったことある場所などに対して、陥ったことのある状況やその時の感情を照らし合わせて、対象の状態を想像をする能力なのだ。だから、(不)幸福勝負で他人を下げる人たちは、ちょっと待って、想像力が何であったかをもう一度考えてみてほしい。そして、下げている相手が「ただ知らないだけなのだ」という立場で、誠実に説明することに努めてほしい。知らないことを諌める話はまた別の機会に。

根本的には、他人の幸福は自分の不幸とは無関係なのだから、そう腹を立てなさんな、と僕は思うのだ。もちろん自分が不幸のどん底だと思っているときは、目につく幸福な人を恨んだり憎らしいと思ってしまう気持ちはわかる。だけれど、その論法でいったら、もっと不幸な人だってきっといる。まさかそんな人たちのために自分が不幸であってはなるまいと、彼らは、考えたりはしないだろう。
つまり、幸福だけでなく、不幸もそういう意味では平等なのだ。自分が幸福だと思う時に幸福を感じ、不幸だと思う時に不幸になれば良いのだ。

そうは言っても、僕は日々比較的幸福を感じられているし、これも全て僕の立場から見る世界なのかもしれない。けれど、それで良いのだ。あらゆる世界の存在を否定したり、受け入れることを拒絶しなければ、それで良いのだと思う。



#エッセイ #日記 #写真

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