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家族のカタチ

こんにちは!映像クリエイターの渦原です( ^ω^ )

ちょっと日が空いてしまいました。。

お仕事が忙しい忙しい。


というのもあるのですが、久々に家族旅行に行ってまいりました!

訪れたのは赤沢温泉ですね〜

私の祖母の傘寿祝いということで、ちょっとだけ豪勢な旅行となりました。

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連休の方も多いと思いため、旅行されている方もたくさんいらっしゃると思

いますが、残りも充実したお時間を過ごせれば幸いです^^


さて、家族旅行してきた私ではありますが、やはり家族と言っても久しぶり

に会う人間と旅行する、ということには変わりありません。

知り合いほど遠くないけど、友達っていうほど馴れ馴れしい雰囲気でもない


家族との距離感ってその時の環境や時期によって、大きく変わるんだなと深

く感じましたね。

お一人暮らしをされている方がいらっしゃればこの気持ち、なんとなく分か

る方も多いと思います。


家族だからこそ、複雑な関係性であり、曖昧であり、厳格である。

そんな風に家族のカタチが常に変容する理由について私見を延べよう

と思います。

価値観が変容するのを受け入れる必要がある

子供というのは、気付いたら大きく成長しているものよ。

そんな風に、親はよくいいますよね。

私自身まだ子供側の立場なので、真にそれを理解しているわけではありませ

ん。


でも、自分の考え方や価値観が変わっていく中で、親を親と思うだけでなく

一人の人間として観察するようになります。

そんな時、親の尊敬するポイントが改めて分かることもあれば、絶対に理解

出来ないな、と思う部分も当然出てきます。


友達でこういった違いが出れば、自然と関係性が薄くなって、気づけば合わ

なくなったということになります。

個と個でつながっているので、自分のアイデンティティーで関係性を測るこ

とが出来ますよね。


ただ家族はよほど大きな溝が出来ないと、離れることは出来ません。

価値観が違うと理解しつつも、相手を受け入れる・または理解するよう努め

ないといけません。

もちろんそうでない家族もいらっしゃるとは思いますが、一般的にはやはり

お互いが気遣って時間を共有するようになっていきます。

価値観の相違があっても、それが相手のアイデンティティーなんだ。

そんな風に受け止めて、会話が続きます。

時に相違があまりに大きすぎて、嫌になっても、それを相手にぶつけると

後が面倒になる。そんな風に考えることもあるかもしれませんね。

ツッコミとボケの役割で円滑になる

会話というのは、お互いに共有したいこと・伝達したいことがある時に生ま

れるのが基本です。

友達であれば、当然話題はお互いの好きなこと・興味のあることなどを理解

し尊重することで会話は自然と生まれやすいです。

仮に違ったりすれば、この人とは合わない。そう結論づけて距離を置くこと

も出来ます。


では家族ではどうでしょうか。


世代や年代が違うので、お互いが好きなこと・興味があることにズレが出て

くる方が自然です。

かといって、昔話ばっかりしても、それはそれで話題のネタが有限です。

ではどうすれば良いか。


個人的にはツッコミ役とボケ役がいると円滑な会話になると考えています。

もちろん、そういった会話の最中にお互いの価値観を正すような発言はNG

です。特に親はそうなりがちです。

OOな部分は直した方がいいぞ、OOなやり方でやった方がお前に合ってる


こうした発言が気に障らない方もいるとは思いますが、私含め自分のアイデ

ンティティーを言葉に変換することを常習化している人からすると、ちょっ

と反論したくなります。


それは子から親に対しても同様に言えますが、それは目上の人なので中々言

えないことの方が多いです。


なのでこうしたアイデンティティーに触れることはNGですが、お笑い芸人の

ように会話にクッションがあると心地いい雰囲気とテンポが生まれます。

誰かがツッコミ、誰かがボケる。

世代を問わない空気感を生み出すことで、その場がパッと和やかになるので

仮に会話がその後なくなっても、ギクシャクした雰囲気になりずらいです。

相互依存を認めること

何度も言いますが、私は親の立場になったことがありません。

なのでこれも一概に想像でしかありませんが、親子というのは時期こそあれ

お互いに依存した関係を少なからず持っているのではと思っています。


自分の父がOOな会社で働いてる。息子が有名な学校に入っている。母には特別な資格がある。・・・・

こういった事というのは当事者よりも、実は身内に大きな影響を与えている

ことは大きいです。

時にはそれによって、自分の考え方が形成されていることに気づく時もあり

ます。


私は今でこそ、フリーランスの身ですが、有名私立中学・高校・大学に通っ

てた経歴があり、自らもそれを望んでいた節が合ったことを考えると

少なからず父の影響を受けていると思っています。


こうした無意識の依存というのは、平凡な家族間には必ず存在しているもの

で、どこか自分の生き方にリンクしている部分があります。

こうした見えないリンク、つまり見えない家族のカタチが私達の生活の裏に

潜んでおり、時折大きく輪郭を表します。

まとめ

いかがでしょうか。

社会人になるにつれ、家族というカタチは徐々に薄れたものとして私達の意

識に張り付いておりますが、薄れているようで実は深いのです。

もちろん、あくまで上記は私の私見ですが、程度こそあれ、何かしら皆さん

にも思い当たることはあるのではないでしょうか?

連休真っ只中ではありますが、家族について深く思慮してみるのも良いですね。

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