矛盾だらけの世の中を楽しむ
こんにちは!映像クリエイターのウズです!( ^ω^ )
関東だけなのかもしれませんが、今週はなぜか気温が高い。。笑
11月なのに20度以上あるってすごくないですか・・・( ̄▽ ̄)
どうなってんの地球。
いや多分、人間が原因ではあるんだけども。。
11月はもう冬の時期のはずなのに、そうでないという矛盾。
みなさんストレスは抱えてないでしょうか?
特に都会や発展した都市に住んでいると、気温以外にも様々な矛盾と日々向き合っている人は多いと思います。
そんな矛盾をうまく切り抜けている人、苦しんでいる人、諦めている人・・・
色々な形での受け止め方があると思いますが、今回はそんな矛盾だらけの日常をどう楽しんでいくのかを紹介していきたいと思います。
1.正解を求めない
矛盾したことがあるという事はすなわち、正解が無いということでもあります。
この世で最強の矛と盾。
どちらが強いかという問題に対して、正解はありません。
こうした事象は日常生活の中でもたくさんありますが、矛盾ということに気付いていても正解を求めてしまう事は誰にでもあると思います。
最強の矛と盾。
自分は矛の方が強い。という答えを持ちそれに対しての理由もはっきりしているとします。
自分の中で納得する正解を持つ事は良い事なので、答えとその理由を持つ事自体は良いと思います。
しかし問題はそれを誰かに共有する時です。
世の中には矛と盾の問題を気にしない人もたくさんいて、正解を自分の中で持たない・持てない人もいます。
そんな時、自分の答えと理由を共有するまではいいですが、それが世の中の真理であるような言い方にならないよう気をつける必要があります。
お気持ちは分かります。
自分の中では完璧だと思う理由があって生まれた正解は他の人にも当てはまるものであると無意識にでも人は考えてしまうものです。
しかし矛と盾のような曖昧すぎる問題には正解という概念が存在しない事が多いです。その方が都合が良いというのもまたあります。
人を慰めてはいけない。
これも慰めるべき状況とそうでない状況があるように、明確な正解というのはありません。
YesとNoで成り立たないことの方が多いという事をまずは理解するだけでも、周りの視点が変わってくると思います。
2.他者が持つ正解を尊重する
矛と盾の問題のように、世の中には矛盾した事がたくさんあります。
いくら正解がないと理屈的には分かっていても、自分の中で持っている正解とその理由を持っている人からすれば、共有はしたくなります。
そうですね、例えば些細な事から考えてみましょう。
目玉焼きにはなんの調味料を加えるか。
醤油、ソース、塩、オリーブオイル、胡椒、マヨネーズ、何も付けない・・・
人によってその答えは違ってくると思います。
でこの問題に対する正解とその理由を持つ人は多いと思います。
そしてもしこの問題に直面した場合、自分の正解を共有したくなるかと思います。(複数人いて、一つの調味料しか目玉焼きに加えられない場合)
自分はソースだ!なぜならOOOO
私は圧倒的に醤油!だってOOOO
こんなの塩に決まってる!OOOO
まあこんな形で自分の正解とその理由を共有しようと考えます。
今回の場合だと、各々が持つ味覚センスが違うことがこうした違いを生むというのは明白でありますが、最終的に一つの調味料を決めなければなりません。
皆さんなら、どうしますか?( ^ω^ )
お互いを納得というか、妥協ラインを見つけるためにすべきこと。
それは各々の正解とその理由を少しでもいいから認めてあげることです。
自分はソースだけど、塩もたまにはアリかもしれない・・・
そう思うことで他者への尊重が生まれ、正解への視点が広がります。
普段の些細なことでもこうした事を当たり前に出来るようになると、人として大きく成長出来ますし、何より人との関係性がより豊かになります。
もちろん、尊重をする前に自分なりの正解とその理由を持つべきではありますが、その次のステップとして他者への理解が出来ると矛盾した事へのストレスは軽減されるのかなと思います。
3.最後は自分の正解を信じる
先ほどは些細な例を挙げましたが、大きな事柄や概念も捉え方は全く一緒です。
例えばお金を稼ぐという事。
サラリーマンとしてなのか、起業してなのか。
明確な答えがあるわけではありませんが、どちらの立場にいてもそうでない立場を選んだ人へエールや理解をする事は大事な事です。
最終的にこの道で良かったと思えるかどうかは死際でしか悟る事は出来ないと個人的に思っているので、その時その時考えて出した正解を私たちはただ歩くだけしかないと思っています。
しかし、明確な答えやマジョリティーな正解がないと不安になる人も世の中にはたくさんいます。
それは今のマスメディアを始めとした、一般的に多くの人が目に触れる媒体を見れば一目瞭然です。
紅白歌合戦の歌手も、その歌手の本質的な実力よりも知名度があるかどうかが重要だったりしますし、なるべく多くの人に理解される歌出なければいけませんよね。
年に特別な日が設定されている事を考慮すれば、全くマジョリティー向けの発信や概念がいらないとは思いません。
しかしだからといって、本質を見極めずに自分の正解へと落とし込み、理由がないものを持つことには甚だ疑問を感じます。
それこそどんな歌手が好きか、というような問題もマスメディアを通した情報しか知らない人は人気がありポップスを基本に歌う歌手を好きになる事が多いですよね。
しかし音楽のジャンルは本来もっとたくさんありますし、歌手だっておそらくあなたが最も心地良いと感じる人が存在します。
今はYoutubeなどで手軽に主観的な操作で自分がしたい事を実現できます。
そうした環境にいる私たちはおそらく昔よりもより自分という個を大切にして生きる事が可能です。
せっかくそうした環境にいるのであれば、例え人から理解されなくても自分なりの正解とその理由を深く持っておくべきだと思います。
そうした正解とその理由はこの矛盾した世界から見れば、絶対的に正しいものではありませんが、その代わりに自分の人生を豊かにする道標に変わる可能性が大きくあると私は思っています。
まとめ
矛盾した世の中だからこそ、その矛盾と向き合うのが本質ではありますが絶対的な正解というのはありません。
だからこそ、自分なりの正解とその理由を持ち、他者と共有しまたそれを尊重する。
そんな風に考えれる人が増えたらもっと世の中面白くなるし、何よりも楽しむ事が出来るのかなと私は思います( ^ω^ )
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