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「アーバン」問題

「アーバン」という表現は今後使わない宣言

 コロナ禍冷めやらぬ中、アメリカでは5月末に起きた警官によるフロイドさん殺害事件を機に黒人差別反対運動が何十回目か分からない再燃をしているのはご存知の通り。結果日本においても多くの人が #blacklivesmatter のハッシュタグでつぶやき、真っ黒な画像でつぶやくという抗議を目撃した人も多いだろう。そんなデモが世界に伝搬する最中の6月8日にこんなニュースが報道された。

⬆︎「DrakeやAriana Grandeなどを擁するレーベルRepublic Recordsが『今後Urbanアーバンと言う表現は使わない』と発表

 簡単に概要を説明すると、アメリカにおいて「アーバン」とは黒人音楽の総称(JazzからBluesからR&BからHip Hopからなんでも)として使われてきたが、今後一切使わない、と。「黒人の音楽」の総称である=差別の温床になるかもしれない(なっている?)との理由だと思われる。 ヒットチャートやグラミー賞などにも使われていた「アーバン」を、なんなら今世界で最も影響力のあるアーティストを擁するレーベルがこれを発表、ということで早速グラミーなども今後賞の項目を修正することが即座に発表された。

⬆︎「アーバン」がアメリカにおいてどう使われてきたか、この宣言はどういうことか?などを日本人向けに分かりやすく解説してくれてます。

 当然他の多くの音楽ライターの方々も当惑するコメントを発表していた。「この宣言に我々日本人も追従すべきか否か?」という点が大きなポイントになる。なぜなら「アーバン」とは日本に置いては少なくとも言語通りの「都会的な」というニュアンスで使われることが多く、黒人音楽の総称としては使われていないのだ(少なくとも俺の印象はね)。ましてや差別的な意味で使われることはなかった表現なのだ。そして上記リンクの記事においてもそうだが、概ね「仕方ないけど従っておこうか」という空気感になっているように思う。いやそもそもこのニュース自体を知らない人が音楽関係者でも多いかもしれない。そこを含めて日米の距離は市民レベルではまた開いてきた気がする。

アメリカファーストの成れの果て

 果たしてこの「アーバン」問題は従うべきなのか否か?このことが問題になること自体に俺はアメリカの限界、なんならばアメリカ凋落の予兆を感じてしまうのだ。そこにある精神は、どれだけトランプ政権を批判してようとも「アメリカファースト」だからだ。

 アメリカ以外の国でどのように「アーバン」と言う言葉が使われているか?は全く関係がない、気にしてないスタンス。
「なんならば聴かなきゃいいじゃないか?」
とも取れるし、結果軽くしかHip Hop~R&Bには興味なかった人にとっては、
「面倒そうだから聴くのをやめよう」
「聴いてても、友人には内緒にしておこう」
とならないだろうか?なんならそれでもいい!というスタンスであり、逆に言うとそれくらいまだ影響力に自信があるのかもしれないが、果たしてどうでしょ??

 そもそもある国における内部事情が故、有名な呼称を使っちゃいけないとその国が発表したとして、アメリカは追従するだろうか?例えば日本における「チキン南蛮」「南蛮漬け」の「南蛮」とはそもそも蔑称なのだが、それを例えば我々が(なんなら中国人と一緒に)
「Chicken-Nanban」の「Nanban」は元来蔑称なので、今後一切使わないことにします!
と宣言したとして、他の国々、特にアメリカなどは追従してくれるだろうか?絶対にシカトするだろう。

 ましてや「アーバン」は英語としては元来差別用語ではない訳だ。あくまで「黒人音楽の総称として使っていた」のはアメリカの内部事情に過ぎない。その内部事情、それも別な「おぞましい差別の実態という内部事情」を理由にワードそのものの使用の停止を宣言するというのはいかがなものだろう?他にも英語を公用語とする国は多数あるというのに、、、いかに世界のリーダーとしてこれまで良かれ悪かれ引っ張ってきたアメリカと言えど、恥ずかしくないのか?遂に自分の国内のことで手一杯になっちゃったのか?遂に周囲の様子を考える余裕もなくなっちゃったのか?それがましてや音楽界のトップに君臨している側の発言なのだ。あんなに格好良かったお兄ちゃんお姉ちゃんが遂に引きこもりになっちゃったよ、大丈夫かなぁ??みたいなことを思っちゃうのは俺だけだろうか?

アメリカ凋落の予兆ではないか?

 20世紀は間違いなくアメリカが世界の代表に登り詰めた世紀だ。音楽に関しては「これからの音楽」にまとめた通りだけれど、音楽以外も「マイホーム」「マイカー」その他ラジオ・テレビからインターネット、スマホ(武器もあるけどね)に至るまで現代生活の軸となっているものを生み出し、世界中の「個」に出費させるシステムを作ることでビジネスで世界を席巻し、登り詰めた。その都度ポップなキャッチコピーを作っても来た。まだ2000年代くらいまでは良かった。キャッチーな「グローバリズム」という響きと共にインターネットで世界中の人々をつなぐところまでは。そして残った伸び代は今や人間相手ですらなくAi人工知能だけになってしまった。

 それでもアメリカにはカウンターカルチャーがある。そこが何ならば唯一最大のアメリカの魅力ではある。どこが政権をとろうが、そこを批判するテレビチャンネルは随時存在するし、そこを批判する芸術作品をメジャー配給で発表できる国だ。そこが「腐っても鯛」的に魅力を感じて俺はこれまでアメリカ音楽を追っかけてきた。多分これからも追っかけ続けるだろう。日本の旧態然とした「癒着ありき」のヒットチャートや賞と比べるとまだ面白いものに出会えるからだ。(今一番信頼できる日本のポップチャートは「Billboard Japan」という人が多いらしいですね。苦笑です。)

 ただそれは50歳な自分だから、であって、これからの子供達に勧められるものではないなと思う。だって子供にわざわざこの「アーバン問題」の説明をした上で黒人音楽を聴かせる気にはならないでしょ?いやこれからはそもそも「黒人音楽」という表現すらダメなのか?俺のように「日本の黒い現場にこの男あり!」というコピーもまずいってこと?だとしたら窮屈でしかないね。窮屈なものに人は寄ってこなくなるのだ。

 「いい意味でアーバンという言葉を使う人、を責める国」になっちゃおしまいだと俺は思う。あくまで個人的見解としておくけれど、言葉には罪はないんです。本来、言葉とは使う人次第でしょ?いい意味で使ってるかどうかは使ってる人の表情で分かるはずだし、文章なら前後関係で分かるはずなんです。それをネットなり何なりで一気に何十人から何万人と共有しようとするから起きた理不尽。140文字で強引にまとめなきゃいけないから起きる理不尽。
言葉の「本来」を忘れてしまっているアメリカは大丈夫か?
アメリカはまず音楽界から鎖国を宣言したということなのか・・・?
と思う残念なニュースでした。

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