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「ゴミブルー独立!!」の結末

「福祉」は本来、人間誰しもが持つ、幸せに生きる権利のようなものだと考えてきた。

だからスウィングという福祉施設が、「障害者」とラベリングされた人たちだらけになっている状況に対してず~っと違和感を拭えず、「まあ『誰しも』はさすがにムリだとしても、それにしたってスウィングは人が幸せに生きるための場所のクセに公共性めっちゃ低い!!」という、長年抱き続けてきた(だいぶ長めの)煩悶へのひとつの解、それが「SILK」(Swing Ichibu Library Keikaku)である。

スウィングを「図書館」に変身させることにより公共性をグン! と高めること、言い換えれば「特定の誰か」ではなく、福祉施設を誰もがアクセスできる公共施設化することがその狙いだ。

一方でこの逆方向とも言える思いもあった。

数ヶ月前、僕のメモ帳に「ゴミブルー独立!!」という殴り書きを見つけ、「なんですか、これ??」と笑ったのはかめちゃんだったろうか。ゴミブルーはスウィングが2008年から11年間に渡ってしつこく続けてきた清掃活動「ゴミコロリ」に登場する超ローカルヒーローだが、ゴミコロリには誰でも参加できるし、ゴミブルーにだって ―体型とやる気さえクリアすれば― 誰だってなれる。

つまりスウィングの公共性を高めるのとは反対に、スウィングに既にある公共を、その枠をはみ出した個人の生活の中に落とし込んだらどうなるか? ……たとえば「今度の休みは何しよっかなあ」の選択肢に、映画を見るでもなく買い物をするでもなく、「ヒーローでもしよっかなあ」が当たり前に加わってもいいんじゃない? が「ゴミブルー独立!!」の正体なのだ。

ゴミコロリはともかく、ゴミブルーを公共と捉えていること自体どこかしらおかしいのかもしれないが、誰もが既視感を持って了解できてしまう、記号化された「戦隊ヒーロー」の持つ力に僕たちは可能性を感じ続けている。

また、この思いつきには親キャバ・増田さんのある発言も大いに関係していることも忘れてはならない。

「もっと働きたいっていうか、休みの日が暇なんですよねえ」

かつて出勤率3割(つまり7割休み!)を誇った人の発言とは思えないが、これも平和っちゅーか、心の安定の証なのだろう。

「暇つぶしにヒーロー」って最高だ。街をきれいにするという達成感はあるし、時々モテてると勘違いもできるし、実は結構な運動にもなる。何より個人が勝手にやることでヒーローとしてのパフォーマンス力を高めるための武者修行になり、その経験は再び公共へと還ってゆく。素晴らしい循環じゃないか。

何ヶ月か前に「そんなん考えてるから、やりません?」と増田さんに声を掛けてからあっと言う間に時は行きすぎ、もう12月。何とか今年のうちに第一歩を踏み出しておきたいと、本日我々は京都随一の繁華街「河原町」へと向かったのだった。ちなみにこの日は息子との「面会交流日」だったのだが、事前に「おとうさん、ゴミブルーしてもいい?」と確認したところ、「いいよ」とのことだったので、彼も(人のままだったが)チームの一員として活動したことをここに付記しておきたい。

師走の、そして日曜日の河原町は予想通り人、人、人でごった返しており、無残に捨て去られたゴミ、ゴミ、ゴミの量は、想像を遥かに超えるものだった。用意した3枚のゴミ袋は瞬く間にいっぱいになってしまったため、後半は泣く泣くゴミスルー。その代わりに「とにかくゴミを大袈裟に拾う」「カッコよく名刺を渡す」等のパフォーマンスに専念した。

ゴミブルーは至近距離だと「こわ!!」と言われたり、0.1秒だけ見られて無視されることが多い。「こわ!!」は十代と思しき若い人に多く、0.1秒は概ね25歳オーバー、ちょうど世の中に少し疲れはじめたか、あるいは何かを勘違いしてスカしはじめた人たちに多い。我ながらすごい偏見だが、実はあながち間違っていない気もする。

いずれにせよ、至近距離だとそんなふうになりがちだが、車や京都市バスの中からなど、ゴミブルーとの間にワンクッションをかました状況は、スマホを向けたり手を振ったりという素直なアクションを誘発しやすいようだ(「直」の場合は隠し撮りされたりする)。

リアリティが若干薄れるからか、ここなら危険が及ばないという安心感が生じるからか。

ワンクッション。つまり「隔てるモノ」の存在が人の反応を素直にするって何だか不思議だ。

さらにこれは「物理的なワンクッション」に限らず、たとえば観光客や修学旅行生など、「京都で非日常を過ごしている」という「心理的なワンクッション」を持っている人たちにも言えることだと思う。割合として圧倒的にリアクションが良く、それと比例するように友好ムードも漂いやすい。

少し怯えている小さな子どもとゴミブルーが交流する場面が生じると、必ず立ち止まってその様子を眺めたり、スマホを向ける人たちがいる。皆、笑顔だ。この場合は子どもが物理的かつ心理的なワンクッションになっているのだろうし、素知らぬ顔をして行きすぎていたはずの人たちの「素」が見えたようで何だかとても嬉しい。

けれど考えてみれば、増田さんや沼田君は人前に出る仕事の時に「こっちのほうが緊張しないから」と、素顔ではなくガンガンに目立ちまくるゴミブルーを選択しがちだったりもするじゃないか。じゃあ、ゴミブルー自体もワンクッションなの???

んー、ま、とにかくワンクッションはちょっと不思議で、「仮面舞踏会」とかきっとそういうことなんだと思う。

最後に今日起こった、最も不思議で奇跡的な出来事を書き記したい。

ゴミは袋からこぼれ出るくらいにパンパンだし、そろそろ疲れてお腹もグーグーいっている。じゃあ、そろそろ終わろうかと駐車場へと向かいはじめた最終盤、ある女性の目線に気づく。近づいて名刺を渡そうとすると、怯えている……のではなく、少し興奮したような様子が見てとれたので「僕たちのこと、知ってるんですか?」と尋ねる。

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「『まともがゆれる』読みました! まさか(ゴミコロリを)やってるところを見れるなんて……」

そりゃあ、驚いた。東京から来たというその女性は、もちろん見も知らない人だ。

本を読んでくれた人に偶然出会えたことに加え、これってゴミブルーじゃなかったら、つまり僕が素顔だったら起こり得なかったことなんじゃない?? と気づくと、なんだかよく分かんなくなったけど、とにかくスゴい!!!

「ゴミブルー独立!!」の第一歩は大成功だったと言えるだろう。

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