多様性の時代を照らす光 ~大かな? それともウンコかな?~
京一さんのトイレが長い。ちょっと心配になるくらいに長い。
平和な暇人たちがザワザワざわつく。
「長いな~。ウンコちゃうか?」
誰かが真顔で言う。
心配して出てくるのが結局「ウンコ」とは、なんと貧しい想像力だろうか……。
しかしまあ、トイレが長い理由がウンコでなければある意味、相当心配だが。
ザワザワは伝播し野次馬を増やし、XLも新たなメンバーとなる。
そして彼が心配顔でふいに漏らす言葉に、暇人たちの顔からは瞬時に血の気が引き、急激に脈拍が早くなる。
「大かな? ウンコかな? どっちか分からへん」
XLサイズのこの大男は、一体何を言っているのだ???
これは想像力とかそういうレベルではなく、何かもっと根本的な問題だ。
波打つ鼓動もそのままに、誰かが真顔で、諭すようにゆっくり言う。
「大もウンコもいっしょのことやで……」
いや、あるいはこれは人間の可能性の話なのかもしれない。
その気さえあれば、年を取っても人は成長し続けることができ、変わることだってできる。
ただ、その変化が急激に訪れたとき、人は激しく混乱するものだ。
「え? そうなん? 大? ウンコ? いっしょ???」
くだらない常識や当たり前は捨てて欲しい(くだらなくはないと思うが)。
恐らく彼にとっては「え? ウソ!! 戦争もう終わってたの!??」くらいの衝撃だったのだろう。
「大」と「ウンコ」をこれまで彼はどう区別し、そこにはどのような差異があったのか?
そんなことを確かめる気には誰ひとりなれなかったが、とにかく彼の中で、もう齢五十を過ぎて、差異を乗り越え、受け入れる瞬間が期せずして訪れたのだ。
差異を認め合う……なんて、言うは易しの多様性の時代。
そんな時代にあってこのXLの姿は、一筋の光になるのではないだろうか。
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